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SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

伊賀の里 モクモク手づくりファームへ 03 忍者博物館へ

2007-09-20 | 旅行
忍者といえば伊賀、伊賀と言えば忍者。というほど忍者で有名な伊賀上野。
当然、伊賀流忍者博物館へ行く。

女房の情報によれば、伊賀と双璧をなす隣村の甲賀には忍者の直の子孫が忍者として存在しているらしいが、伊賀は絶えているのだそうだ。
しかし、伊賀流を伝承する人々はたくさん居るらしい。

さて伊賀は松尾芭蕉の生誕地としても有名。(かな?)



さっそく忍術体験広場へ。
伊賀流忍術伝承集団「阿修羅」の元で修行じゃ!



長男はTVも専ら時代劇を好む。
「柳生十兵衛」や「おりん」が特に好きである。
よって、忍者に対する興味もかなりのものである。



本物の手裏剣を投げさせてくれる。(200円の有料)
なかなか上手い。
日頃からコントロールの良い子だと思っているが、初めての手裏剣でも
壁に刺していた。



1回では気が済まず、2回目のトライ。
肩の力を抜いた理想的なフォームだ!?
写真をよく見ると、手の上方に手裏剣が見える。



次は忍者屋敷へ。
これは昭和に郊外から移設してきた本物。
こんな忍者屋敷がふつうに存在していた不思議。



博物館へ。
手裏剣の数々。
「まきびし」も長男は大好きだ。



お土産屋で手裏剣とバンダナを買ってご満悦。

本当の忍者は、農民の格好をしていて、決して忍者ルックではなかった。
当たり前である。忍者であることを見せびらかす仕事ではないからだ。
忍者の仕事は諜報部員、スパイが本業で、戦う場合もある、という仕事だ。
長男はそういうことも理解はしているそうだ。(本人談)

次男は写真で登場しない。
単に忍者を怖がっていたのであった。


SONY α100, TAMRON A09


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伊賀の里 モクモク手づくりファームへ 02 伊賀線

2007-09-20 | 旅行
いよいよ近鉄!伊賀線に乗る。
車両は860系。



この元820系は1961年に登場した近鉄奈良線の特急車で、私が小さい頃のヒーロー的特急車800系の2連版。
ずっとお世話になった想い出深い車両だ。



自慢はドア幅が当時日本で最大の1450mmなこと。(一般的には1300mm)



こうやって歴代の近鉄の歴史を作ってきた電車が走った近鉄伊賀線も9月いっぱいで終了。
しかし車両は行き続けるのだろう。





9月後半になろうというのに、ものすごく暑い。
でも子供は元気いっぱいである。
走り回る。



この広告電車は松本零士作の忍者電車ではないが、モチーフはやはり忍者。



近鉄伊賀線の代表的な風景。
伊賀は稲作も盛ん。



すれ違いはオリジナル塗装。
タクシーの運転手に聞いた噂では、広告車両は廃車にならず、このオリジナル塗装車から廃車になるだろうとのこと。
なかなか詳しいタクシー運転手に会ったのだが、前職は亀山機関区。



860系運転席。
伊賀線は1067mmの標準軌。
しかし860系はもともとは近鉄の一般規格である1435mmの広軌である。
そこで台車は近鉄南大阪線(標準軌)のものを流用しているのだ。



沿線最大の駅、上野市駅に到着する。
しかし最近、三重県上野市は伊賀市に名称変更されているのだ。
ここには車庫がある。
ピンク色の電車は松本零士氏作の忍者電車。




上野市駅から先は乗換えで伊賀上野へ向う。今日は乗らない。
伊賀上野駅は相当田舎だが、関西本線との接続駅である。





上野市駅駅舎はなかなかの風情。
駅前はひじょうに広い。

さて、新生「伊賀鉄道」は伊賀市の資本が2%入るのだが(近鉄が98%)、市の名称が変わったのだから駅名も変わるのだろうか?



駅前の風景。
空気が綺麗なんだろう。
PLフィルターを使ったような澄んだ青空になる。
東京では見られない空気感に驚く。
陽射しが痛い。




上野市南側の風景。



伊賀市のコミュニティーバス。
運行は三重交通。(近鉄系)







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伊賀の里 モクモク手づくりファームへ 01 伊賀神戸へ

2007-09-19 | 旅行
3連休は三重県の伊賀近郊にある 伊賀の里モクモク手づくりファームへ行った。
先週は体調が悪く、会社を2日休んだので、3連休は旅行をキャンセルしてゆっくり自宅に居ようという案も浮上したが、子供が非常に楽しみにしていたので、キャンセルはあまりにカワイソウであるし、どうせ自宅に居ても子供が黙って寝かせてくれるわけでもないので、予定通り出発した。

行きの名古屋までの新幹線は予約していて良かった。
一日中満席だったのだ。


のぞみに乗った時点で子供は大はしゃぎ。
指定は大人分だけなので、私と長男はデッキで遊んだり。



座席も遊び場に。
長男は絵を描いてみたり、まあ、ウキウキである。



名古屋からは近鉄特急で伊賀神戸を目指す。
やって来たのはACE22000系。
これは130キロ運転対応の緩急自在の快速ランナー。
2両ユニットも多く、客の多寡に応じて、編成を自由に増減させるのだ。
スナックカーの後継車にあたる。



どうやら三重県方面は雨模様。
名古屋限定のお菓子とおにぎりとカルピスウォーターの次男。



四日市停車中に追い越す一般車をすかさず撮る。
なんだか派手な2000系。



22000系の運転席後ろのガラスはなぜだかオレンジ色。
座席は子供が独占し、私は専ら車内巡回。
仕方がないのである。

22000系はずっと120キロぴったりで爆走する。
135kwオールモーター車で加速がすこぶる良く、その気になれば170キロは出るほどのハイパワー車。
とにかく速い。
山田線、青山トンネル等では130キロ運転を行う。




伊勢中川で難波行きに乗り換える。
中川での乗換えは階段での移動をしないようになっている。

また近鉄は乗換え毎に特急料金を取らない。
あくまで距離で取る方式。乗り継ぎは客の都合ではなく会社の都合というわけだ。
これは素晴らしい。
ぜひJRもやって欲しい。




乗った特急は30000系ビスタカー。
子供はいつも階下の座席がお気に入り。
まあ個室のようなものだ。
しかしビスタカーの入り口部分は広大だ。



1時間20分強で伊賀神戸まで到達する。
速い。
あっという間だ。
もっと乗っていたい気もするのだが。
関東にもこういう気軽にいつでも乗れる特急があればといつも思う。
名鉄と近鉄は特にフリークエントサービスの特急網が充実している。

写真は後続の急行。
これもクロスシートで快適である。
(LCカーなので、ラッシュ時はロングシート、昼間時はクロスシートに変身する魔法の電車。グッド・アイディアで表彰状ものだ。)




構内踏み切りを渡って伊賀線ホームに向う。
(この構内踏み切りもバリアフリーであり、ひじょうに便利。地下通路や跨線橋は子供連れには辛いものだ。)

伊賀線の運行形態変更の案内がある。
作業員による改造工事も行われていた。
駅舎も改良中であった。





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近鉄伊賀線

2007-09-14 | 鉄道・バス
二日間高熱に見舞われ、久しぶりに苦しい思いをした。
しかし、今週末からの3連休は伊賀に行く予定なのだ。
何とか治さねばならない。
伊賀の予定は妻が場所決めから遊ぶ場所までスケジューリングしたのだが、
私は近鉄に乗れる、伊賀線に乗れる、関西本線に乗れる、信楽高原鉄道に乗れる・・・というのが楽しみなんである。
子供は忍者、妻は「もくもくファーム」が楽しみなのである。

先ほどブログで仲良くさせていただいているwestbellさんのブログを見ていたら、
近鉄に久しぶりに乗ったこと、そして伊賀線の分社化について書いておられた。
何と、大の近鉄ファンの私なのだが、伊賀線が10/1付で伊賀鉄道になって、施設は近鉄だが、運営は近鉄と伊賀市が設立する第3セクターの伊賀鉄道になるというのを知らなかったのだ。近鉄養老線がそうなるのは知っていたが、伊賀線がそういうことになっているのはまったく気がついていなかった。
何たる不覚。
しかし、このタイミングで伊賀線で上野市に行く旅程を勝手に(!?)考えた妻の予知能力はすごい。感謝である。
お陰で、近鉄の名前が施される最後の伊賀線を撮影できる。

westbellさん、うちの奥さん、二人に大感謝。

私が小さい頃撮影した伊賀線の写真を掲載する。
撮影したカメラは多分キヤノン フレックスで58mm/F1.8である。



伊賀神戸駅での5252.
この車両はすごい。
昭和5年信貴山電鉄が開通に備えて製造した車両で、山岳用電車だ。
信貴山電鉄の山岳路線は短命だったが、その構想が信じられない。
信貴生駒連峰を山上部分だけ走るのだ。
下からはまずケーブルで上がり、それから山上鉄道に乗り換える。
想像するとおり、5252の仲間の1両は谷底に転落している。
戦時中に鉄の拠出のため山上線が廃止され、南大阪線に移転、その後伊賀線に来た。
その優美な姿は大近鉄の中でもひときわ人気が高かったと記憶している。
歴史的にも保存してほしかった車両だ。





この車両は何編成かあったような気がする。
調べてみると、大正15年製でその当時から伊賀線を走り続けていた車両。
要するに伊賀線が電化された時の新製車なのである。




この車両の先頭部分は荷物室になっていた。型式もモニ5202である。
ホームにある荷物が積み込まれる。
これは昭和3年製で旧伊勢電の車両。名古屋線の改軌時に移転してきた。




この電車も、よくよく見れば先頭部分が荷物室になっているようだ。

コメント (9)
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いつか来た場所06

2007-09-13 | いつか来た場所
昨日と今日、会社を休んだ。
珍しく高熱を出した。
かなり丈夫で、体力には自信があるのだが、39.5度も発熱すると
もはや死んだも同然で、昨日は22時間は眠った。
昏睡状態と言ってよいかもしれない。
やっと起き上がってPCを立ち上げた。
仕事のメールが山盛りで、また疲れた。



むかし海水浴に行く途中、通りがかった東金市街で古い商店を見かけた。
車を停めて、木造の由緒正しい建物をカメラに収めた。
ふと店の横を見ると、細い軌道が裏に延びている。
たどってみると、商店の裏側は線路があちこちにレイアウトされており、
終点は山に掘られた穴だった。
お店の人に聞いてみると、裏山の洞穴で発酵させているものを店の裏手に運ぶために昔から使っている線路だそうだ。
店の正面にも線路は出てきていて、ここから車で運搬もしているらしい。
「この街には、何箇所もそういう線路があるよ。あそこと、あそこも。」
と、他の線路を所有する商店を教えてくれた。

最近は新しい高速道路ができて、東金市街を走ることがなくなってしまった。
今度行ってみようと思う。

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SONY α700について思うこと

2007-09-07 | カメラ・レンズ
9/6にSONY α700が発表された。
サプライズはなかった。
サプライズとは、フルサイズCCDだとか超高速シャッター秒間数十枚だとか、想定外のスタイルだとかだ。
しかし安心した。
正常なる進化だったこと。撮る人が望んでいた進化だったことだ。

SONYはこの一年間、α100の顧客から多くの要望を聞き、それを真摯に受け入れて、撮影する人のための正常進化を目指したのだと思う。
SONYは他と違った、変ったことをしなければならない使命を持たされてしまった会社だが、今回それをしなかったことを私は大いに評価したい。
旧コニカミノルタ移籍組の確固たる意思も働いたのだろう。

これから初めてデジタル一眼を購入しようとする人にはインパクトが弱すぎると思う。多くの人はキヤノンかニコンを買うだろう。
戦略としてはまだまだだ。
初級、中級、上級機種を同時にラインナップしなければ人は安心しない。
これから半年内にフルラインを揃えるかと思うが、一眼ブームの今、急がなければ、2強に流れるだろう。
私も、もしαマウントレンズを所有していなければ、確実にキヤノン40Dを購入した。持った感じもシャッターの感じも写りも最高で、かつ安い。何の不満もない正常進化したカメラだからだ。
SONYの販売戦略は最近上手くない。ミノルタの方がまだ上手かったかもしれない。

そうは言ってもα700は相当期待させるカメラだ。
カメラというものは実際に使用してみないと90%はわからないものだ。
それでも1年の間に勉強したことはかなり反映されているに違いない。
私が望んでいたことはすべて盛り込まれ、その部分がアピールされていた。
・金属ボディー
・防塵・防滴
・秒間5コマの高速シャッター
・AF補助光の採用
・AFの高性能化(迷わないAF)
・ISO400以上でも使えるノイズの大幅な減少
・シャッター音の高品位化
・上記を行ってかつ軽量であること

撮る人に嬉しい進化ばかりで、技術者の良心が感じられる。

価格については高い気もする。
しかし、デジタル一眼はすぐに元が取れるものだ。
私が使ったα-7Dでは約5万枚、α100では既に3万枚撮った。
これをフィルム時代のコストで考えれば恐ろしい金額だ。
ネガフィルム代、DPE代を足すと、1枚50円以上になる。最近だと70円にもなる。
私が撮った8万枚×50円=400万円!
高級車が買える金額である。
なので、フラッグシップ機を買っても高いとは言えない。
18万円の中級機、30万円の上級機の差など400万円の中では無視できる差額だ。
消費税額にも満たない額なのだ。

以上の理屈を妻はすぐに理解してくれるであろう。(笑!)


・・・ということで、フラッグシップを待ちたい気もするのである。



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私もキッザニアに行った 04

2007-09-06 | スナップ
最後の仕事はプロカメラマンのお仕事だ。
スポンサーはSONYで、使うカメラは何とα100なのであった。
うーん、すごい。





こうやって見るとSONYの製品は美しい。
あとは中身をどう充実させるかだ。
見た目のSONYと言われて久しい。
寂しいではないか。



レクチャーを受けて、撮りかたの練習。
日頃、私のαも使うせいか、さまになっている。
持ち方も完璧。
ズーム操作もできるのだ。




8名の子供全員がSONY STYLEのロゴの入ったベストを着て、全員がα100を持っている風景が、非常に面白かった。
集合写真を掲載できないのが残念。
歩きながらのカメラの持ち方も完璧。
顔は真剣そのもの。



講師が「さて、これから街に撮影に行ってもらいます。この中で皆を連れて行くリーダーを決めたいと思います。リーダーになりたい人。」
と、言った途端、長男が真っ先に一人で手を挙げた。
「皆がはぐれないようにできますか?」と聞かれて、ちょっと返答に苦慮していると、「では、今日はこの中で一番大きな小学生になってもらいましょう。○○君それでもいいですか?」ということで、小学校の高学年の子がリーダーにされていた。
さすがに、混雑する中で統率する役目だから仕方ない。
講師もまさか5歳児が名乗りを上げるとは予想してなかっただろう。




いろいろな場所で撮りまくっていた。
ちゃっかり近くに次男が写っている。
兄貴の動向が気になるのだ。



終わったら部屋に戻り、メディアを抜いて、自分の好きな写真をプリントアウトする。
こういう操作はうちの長男はお得意だ。
すでに自宅で私のPCをいじりまくっているからである。
マウス操作も完璧になっているぐらいだから、タッチパネルなんぞ楽勝だ。
(しかし最近の子供はすごいもんだ。)





プロカメラマンが終了する頃、部屋の前をパレードが通る。
それを見ながら横にいた女性講師が私のカメラを見て、「あらアルファ100なんですね。親子でイイですよね。」と。

パレードの先頭で踊っている男の子は、長男が救急救命士となって、酸素マスクの処置をした子であった。彼はこのプログラムの順番待ちの時に急病人役になったのだな。


しかし、キッザニアはなかなか素晴らしいと思う。
小さい頃から仕事を学び、親の仕事にも理解が得られるのだから。
お金をもらうのは面白いけれど大変だ。ということ。

うちの兄弟はきっと朝、私が家を出る時、今までと違った目で見送ってくれるに違いない。


以上、撮影はSONY アルファ100、タムロンA09
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私もキッザニアに行った 03

2007-09-05 | スナップ
やっとやる気を出した次男と長男は次にガソリンスタンドの仕事へ向かう。


しかし次男はいたずらな顔だな。
いや、あきらかに性格もそうなのだが。



運転免許を取った小学生達が運転する車に給油するのだ。
免許を取るのには貯めたキッゾで支払うわけだ。
ここはもらうだけでなく支払いもある世界なのだ。
「オーライ、オーライ!」と大きな声で車を誘導しなければならない。




兄弟で給油。




次男は恥ずかしくて声を出さない。



タイヤの点検もしなくちゃいけない。



窓も拭き、これは精算してるのかな?



次に向かったのはコカコーラの充填工場。
これも次男でもできるだろう。



製造工程を教わって、




ペットボトルに充填して、



最後のまとめ。



お疲れ様。
(次男坊もちゃんと挨拶している。)



さっそく自分で作ったコーラを飲みながら昼食。
ピザを食べた。




SONY α100、タムロンA09




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私もキッザニアに行った 02

2007-09-05 | スナップ
まずは救急救命士のレクチャーからスタート。
その前に自分で着替えもしなければならない。
その時点で、他の3歳ぐらいの子は泣き出して終了。
緊張もするだろうな。





どうやら長男は酸素ボンベ、酸素マスクを使う役らしい。



レクチャーは15分ぐらいやっていた。
かなり細かい説明。

と、緊急出動!
救急車に乗り込む。
ここで大きな仕事を言い渡される。
「救急車が通ります。道をあけてください!」とマイクで言い続ける役。
かなり上手にしゃべっていた。




現場に到着。
怪我をした子供役が待っていた。(この役柄も仕事なのかな?)
他のお母さんの表情が面白い。




他の子が処置するのを見守る。
緊張感が漂う。




自分の番だ。
酸素マスクをすばやくつける。
うまくできた。



病院へ搬送。
この時もマイクで、歩いているたくさんの通行人に注意を促す。




到着後、反省会。
感想も話さなければならない。
5歳児ぐらいでないと難しい仕事かもしれない。




お給料をもらって解散。
次男に見せる。

次男は「今日は仕事しない。見てるだけ。」と言っていたのだが、
兄貴の給料を見て、やっと何か仕事をやる気になった。(笑)


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私もキッザニアに行った 01

2007-09-05 | スナップ
このブログでは仕事の話は一切書いてないのだが、新しい会社に入って2日目の休暇を取った。まあバタバタ忙しいということだ。
その月曜日に、ついに私だけ行ったことが無かったキッザニア東京に行ったのだ。
ついつい写真が多くなってしまったので、数回に分けてご案内します。



キッザニアの入っている「ららぽーと豊洲」から見た風景。




月曜だというのに、長蛇の列。満員。
母親の大洪水!
(父親は数名しか見ない。当然か。)




架空の街がビルの中にあるわけだが、かなりワクワクする雰囲気。




うーん、これが例の銀行か。
ここに兄弟の資産であるキッゾが預金されているのだな。



まず最初に、長男が救急救命士の仕事から。
彼は控え室で30分ほど待っていた。
その間、私はグルッと全館回って見学。
女房と次男と義理の姉はだべりんぐ。甥っ子は医者になって手術の仕事へ。


撮影は
SONY α100、タムロンA09、17-35mm/F2.8-F4D

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