monologue
夜明けに向けて
 



今週木曜5月31日に命日を迎えるわたしの祖母「山下いと」について少し記しておく。
いとは明治23年 1890年に滋賀県で生を享け、明治2年1870年生の山下孫吉と結婚。夫婦は20歳の年の差があった。

孫吉といとのなれ初めはロックスターとファンのような関係だった。孫吉は歌と楽器に優れ「江州音頭」を歌い近郊を廻っていた。いとは近くの村娘で20歳も年上の孫吉に恋をしてあこがれの孫吉の取り巻きとなり伴奏の太鼓を叩いた。結婚して10人の子供を設け末っ子の山下幹雄(わたしの父)を1923大正十二年三月二十一日に出産。
それは孫吉53歳、いと33歳の時でいわゆる恥かきっ子であった。そしていとが37歳の年、1927年昭和二年九月三十日に五十七才の夫孫吉を亡くす。幹雄はまだ4歳だった。いと自身はその後33年寡婦として10人の子供を育て上げ1960年昭和三十五年五月三十一日 七十才で没した。孫吉の才能は幹雄に受け継がれ幹雄は工場勤めのかたわら趣味で当時珍しいアコーディオンを弾いて地方回りしてくる歌手の伴奏などをした。そしてその音楽的才能はわたしに継がれ、わたしは米国で歌と楽器によって生活することとなった。この孫吉といとのロックスターとファンのような恋物語が現在のわたしの土台になっている。合掌…。
fumio

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