monologue
夜明けに向けて
 



 いよいよ将棋順位戦もBクラスとCクラスの最終戦が行われる。厳しい死闘が繰り広げられて来期のクラスが決まる。

先日、日本の将棋は大宇宙の法則秩序、フトマニを表現したゲームと述べたが
納得しにくい方が多いと思うので検証しておく。
 将棋の元々の文字は「象戯」であった。象はもちろん動物の象ではなく現象などの象(かたち)のことである。
日本将棋の独自の発達過程でフトマニの象(かたち)を盤上で表現して遊戯にするとき、隔り世が赤という思想と、死んだものもただ消え去るのではなく蘇り(黄泉帰り)ふたたび働くという思想が盛り込まれた。
将棋の駒は昔は馬子(こま)と書かれ蘇我馬子は現実界に降りてきて活躍した蘇我氏の駒であった。
将棋の駒、王金銀桂香が宝物の金銀珠玉を表すことはよく知られている。
それらの内、王と金以外の駒は相手の陣地(まったく同じだが逆さまの鏡の世界)に入ると裏返り、成香、成桂、成銀などとなる。
それは日月神示がいう、こちらの世界で「○九十(マコト)」が裏の世界では「誠」となることと同じである。
「誠」とは言(コト)が成るということなのだ。それで裏の世界に入った駒は成香、成桂、成銀などのように成がつくのである。
 ところが鳩森八幡神社におわす将棋の神様は、なぜか普通歩兵「ほへい」と読む歩兵を将棋では「ふひょう」と読ませ、「ふ」と呼ばせる。そして相手の陣地に入ると裏返り赤い色の「と金」になる。
それは歩兵の裏面の金の崩し字が「と」に見えるためという説が広く指示されている。
しかし、ここでフトマニのマニは珠や回転するエネルギーであったことに思いをいたし、将棋をそのフトマニの表現と考えたとき、「歩」を「ふ」と発し、その裏を「と」と発すれば他の駒が珠玉であったことでそれらを合わすと「ふとマニ」そのままなのである。将棋の駒に「フトマニ」ということばを隠してあったのだ。
これは冗談なのか本気なのかいつも量りかねるがこの神様はいつもこんなギャグで笑わせてくれる。
何時気づくかと楽しみにしておいでだったのだろう。
とにもかくにも、日本の将棋は将棋の神様が大宇宙の法則、フトマニを表現して作られたゲームであった。
fumio

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