monologue
夜明けに向けて
 



  
さて、 「鏡」には、顔や姿をうつす「かがみ」のほかに、円くて平たい形が似ていることから「正月や祭りの鏡もち」や「酒だるのふた」の意味もある。

 鏡餅を飾る風習は十一代活目(いくめ)入彦垂仁天皇の時代、大物主神(ニギハヤヒ)の娘大田田根子に、大国主命が「元日、荒魂の大神に紅白の餅を祭れば幸が訪れる」と教えたことに由来するという。
お正月に飾った鏡餅を「割って」ぜんざいなどにして食べる行為を鏡割というのだが「割る」を忌み詞として
「終わり」を「お開き」というように「開き」に換えて鏡開きともいう。
それは「二十日に鏡を祝うは、初顔祝うという詞の縁をとるなり」と、「初顔祝う(ハツカをいわう)」とことばをかけていたように、二十日に行なわれていたのだが徳川三代将軍家光が四月二十日に亡くなったためこの二十日を忌日として避け十一日にしたといわれる。
つぎに「かがみ」ということばからその意味を探れば神社のご神体になる鏡は蛇がカカやハハということから蛇目(カカメ)、剣は 羽々斬(ハハキリノ)剣のように蛇の尾や胴体、あるいは頭との関連がすぐに思いつく。 鏡餅も重ね餅は蛇の姿であり、上から見れば「蛇の目紋」である。
とにもかくにもこの鏡餅を飾る風習は大物主(ニギハヤヒ)の娘大田田根子から始まり、鏡割は二十日に行われていたのである。

 今度は漢字から解いてみる。「鏡割」を実際に文字で行うと「金」と「竟」に割れる。
金は金属製だからこの偏がついただけで旁の「竟」が主要な意味のはず。
大修館、新漢和辞典でその意味を調べる。
竟 一 ケイ・キョウ(キャウ)
 一1つきる(尽)2おわる (をはる・終)。また、おわり。
3きわまる。また、きわめる。
4あまねし。また、あまねくする。5わたる。6つらなる。7ついに(つひに)

8かえって。また、しかるに。
二さかい(境)。
**********
以上が鏡の文字が示す情報である。これだけの意味が含まれていたのだ。
もっと細かく分解すれば「立」と「日」とヒトアシ。一見「兒」に似ているが日にヒトアシでこれは「光」と同じなのだが「光」は火を人がかざして走っている図であるがこちらは「日」をかざしているのだ。
「立」は大と一の組み合わせで大は人で一は地面という。
すなわち、「竟」とは人が日をかざし走り大地に立つ状態を表している。
それが「つきる、おわり、さかい」などの意味をもっている。
 アマテラスが天岩戸に隠れた時、
「鏡作部の遠祖天の糠戸(アメノヌカトあるいはアメノアラト)には鏡を
造らしめ、」 と天の糠戸あるいは天抜戸に鏡を作らせて用意して神々が騒いで大神をおびき出すときその鏡を使っている。
「日神(ひのかみ)、方(まさ)に磐戸(いはと)を開けて出(い)でます。是の時に、鏡を以て其の石窟(いはや)に入(さきい)れしかば、戸に触(つきふ)れて小瑕(きず)つけり。」
(岩波文庫日本書紀より)
このとき、アマテラスは反転した自らの姿を見たのである。闇の世界と思っていた外の世界にも光を放つ自身の姿があったのだ。ところで「屈み鬼」という遊びがある。
捕まりそうになると屈むと助かるのである。それは「屈み」が鏡にかかってその瞬間に反転して助かるという考え方からきた遊びなのだ。

うーむ。この鏡にかかっている封印は手強くて一回のブログ記事程度では一気にははがれない。
次回にはなんとかこの「鏡割り」を完遂してしまいたい。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 鏡よ鏡 岩戸開き »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。