monologue
夜明けに向けて
 



東アジア初の女性君主であった第33代推古天皇(すいこてんのう)の諱(いみな)、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)にちなんだペンネーム、額田王(ぬかのおおきみ)あるいは額田部姫王(ぬかたべのひめみこ)として知られ活躍した女性は壬申の乱の後、世間から離れて栗原(おうばら)の里(奈良県桜井市大字粟原)で ひっそり暮していた。

   そこに持統天皇が吉野川沿いの奈良県吉野町宮滝にあった吉野の宮に行幸した時随行した天武帝の息子、弓削皇子から歌が届く。
 
 吉野の宮に幸しし時、弓削皇子、額田王に贈る歌一首

 古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴濟遊久
 「古(いにしへ)に 恋ふる鳥かも 弓絃葉(ゆづるは)の
  御井(みゐ)の上より 鳴き渡り行く」
  
 額田王、和へ奉る歌一首

 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾念流碁騰
「古(いにしへ)に 恋ふらむ鳥は 霍公鳥(ほととぎす)
 けだしや鳴きし わが念(も)へる如(ごと)」

 歌の先達として自分を思ってくれる弓削皇子の歌に対して、額田王は一度帝位を退いたのち復位を望んだ蜀の望帝が志を果たさないまま死してほととぎすと化し往時を偲んで昼夜分かたず鳴いたという故事をふまえて自らをほととぎすになぞらえて懐旧の念を歌っている。これが当時のヒット曲全集であった万葉集に収められたかの女の最期のヒットソングとなったのである。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 今週のアクセ... スーパースタ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
コメントをするにはログインが必要になります

ログイン   新規登録