monologue
夜明けに向けて
 

  


竹取物語の書き出しは「いまは昔、竹取の翁といふものありけり、
野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使いけり」となっていて「いまは昔」で始まるのは後の『平中物語』や『今昔物語』と同じ。
その意味は今でもあり、昔のことでもある、時間を超越した普遍的な物語、ということ。
「竹取」ということばに秘められているのは竹鳥でこの鳥は飛び立って仲秋(穐)八月十五夜に月に帰ることになる。つまり籠から竹冠を取れば龍となって昇天する。三ヶ月で竹のように成長して一人前の成人女性の儀礼である、髪あげと裳着(もぎ)をして「三室戸斎部(みむろどいんべ)の穐田(あきた)に『なよ竹のかぐや姫』と命名される。(斎部氏は宗教的な祭祀を司った氏族で讃岐の国の忌部氏は毎年朝廷に竹を八百竿献上していた。江戸時代の国学者、加納諸平は「三室戸」を三輪山に比定して斎部氏は大神神社の神職祝部(ほうりべ)という。三輪山の祭神は、大物主、饒速日尊(ニギハヤヒ)でその大物主がその時代の為政者たちの愚かな行動を戯画化した風刺物語であったらしい。
 加納諸平は求婚する五人の皇子を
石つくりの御子-丹比真人島
くらもちの御子-藤原朝臣不比等
右大臣あべのみむらじ-阿部朝臣御主人
大納言大伴のみゆき-大伴宿禰御行
中納言石上のまろたり-石上朝臣麻呂
と比定して、みかどを707年に二十五才で夭折した繊細で感性豊かな天皇、文武天皇とみている。
 竹取物語の結末は富士語源説話となり、「なよ竹の」は「よ(節、夜、世」「ふし」にかかる枕詞なので「なよ竹のかぐや姫」とは富士(不死)の姫という。
かぐや姫は人々を残し、竹を取って龍となって月に帰った。
fumio

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