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『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

『切れる』と『キレる』について・・・

2021-02-09 11:02:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
最近の報道や話題から「切れる」「キレる」などについてちょっと
考えてみた。

先ずは『切れる』という言葉に・・・
切れるという言葉は「紐が切れる」というようにつながっていた物が
離れるような場合や「裂け目ができる」「食料がきれる」「堤防が切れる」
「縁が切れる」「通信が切れる」「薬が切れる」「たち切れる」「途切れる」
「息が切れる」「気持ちが切れる」「品切れ」・・・など
あまりいいことには使われない場合が多いように思うが、一方良い意味では
「頭が切れる」「切れ味が鋭い」「歯切れがよい」「切れ者」など・・・

私はこの「切れる」という言葉を良い意味で使う方が好きである。
歴史小説などにはよく出てくる言葉であり、一昨日最終回を迎えた大河ドラマ
『麒麟がくる』の明智光秀や戦国武将の中にはまさに「切れ者」と
呼ばれる人物が多いと思う。
彼ら「切れ者」の思想や生活信条や行動、人に対する思いなどには
大いに興味がある。

上記の「頭が切れる」「切れ味が鋭い」「歯切れがよい」などには心地よい
響きがあり、爽やかさや小気味よい、素晴らしいなどを連想させるものが
ある。

さて、次は『キレる』という言葉に・・・
この「キレる」は怒りの感情が高ぶって我慢できないような状況を表す
言葉のようで本気で怒る、激昂(激高)する様子が思い浮かぶ。
しかし、それほど激しいものでもない場合に使われることもあるようだ。
「ちょっとしたことにもキレやすい」などは相手ばかりじゃなく自分自身に
対しても些細な不満などで「キレる」場合もあるのではないだろうか。

政治家の会見などによくみられる「逆切れ」「ぶち切れ」などという
ものもある。
オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長、森喜朗の今回の
謝罪会見での開き直りのような態度もこの逆切れととられ、あの曲者
二階幹事長もボランティア辞退を表明した人たちに対し、不満や怒りを
逆切れと思われる言葉で表した。
彼らの場合は今回に限ったことではなく過去に何度も・・・・
これぞ「喉元過ぎれば熱さを忘れる・・」を表すわかりやすい例かもしれない。

日常身の回りで使うものにも切れる包丁、切れるハサミなどすっきりさせて
くれるものもある。

為政者や私利私欲にうつつを抜かす政治家に『範を示せ!』と求めても
なかなか難しいようだ。
私たちは常に『快刀乱麻を断つ』の心意気で嘘偽りなどはもちろん論外・・・
自らは常に潔い態度で正しいと思うことには遠慮も忖度もなく、何事に
も正々堂々と望みたいものである。




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昨日の投稿記事の続きのようだが・・・

2021-02-08 08:46:27 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の事件(?)は2時間半過ぎた時点(私の帰宅)で「一件落着」とし、
もう当然、二人とも怒りやいらつきなどは全くなくいつもの状態に戻って
いた。
その後、しばらくして妻千恵子選手から『お父さんが出て行った後、
私はどんな悪いことをしたのか気がつかなかったのだけど、謝らなきゃ
ならないことがあるとしたら教えて・・・謝るから・・・』という言葉が
あったが少し決まり悪さもあった私は『いいよ、終わってしまった事は・・・』と一言。

私達二人は嫌なこと、面白くないことなどはどんな場合でも
いつまでも引きずらないようにしている。(性格もそうだが・・・)

最近、耳も遠くなってきた千恵子選手は会話中は相手の声が聞き取り
にくいようだがテレビや音楽の音量にはかなり敏感に反応する。
その結果、時には少し音量が大きくなると神経に障るのかもしれない。

千恵子選手は正面からの声や音はまあまあ聞こえるのだが食事中など二人が
横に並んでいる時はあまりはっきりと聞こえない・・・ということで
昨年、調整が難しい・・といわれながらも補聴器(高額ではないもの)を
買ったのだがそれも違和感があると言って使用していないのでそんな事も
小さなストレス(?)になっているのではないだろうか。

私は繰り返し聞かれても嫌な顔をすることもなく応えているのだが妻が
聞き取りにくいことや何度も聞くことに負い目を感じているのなら自ら
補聴器の調整をすべきだと話し、調整することを教えてもその細かい
微妙な調整やテストを嫌がるため「宝の持ち腐れ」となっているのだ。
しかし、耳に関することは本人にしかわからない部分が多いと思うので
私も強制もせず本人任せとしているのだ。

加齢と共に高音が聞こえにくいということはよく聞く話だが我が家でも
千恵子選手は少し離れるとキッチンタイマーやスマホの音も聞こえない
事がある。

これらの事が複雑に重なって昨日の事件(?)となったのだと思い今日は
昨日一旦諦めた『春の声』をあらためてウィンフィルハーモニーの
演奏でゆっくりと聴いて見たい。

昨日とは打って変わって寒い一日になりそうだがせめて気持だけでも
春の野原の花に優しく吹く風や、まだ少し冷たい水の流れにはね返った
光の束を想像しながら気持だけは春を先取りして・・・

ウィーン・フィル New Year's Concert 2006 - ワルツ 「春の声」 
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些細な事から大人げなく、プイッと家を出て2時間半・・・

2021-02-07 10:13:40 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日の朝食後、自分の部屋より遙かに暖かく、太陽が差し込む
リビングへ小さなテーブルとパソコンを運び、さて今日は何から
始めようか・・・思ったとたん、頭をよぎったのはこんなぽかぽか
陽気でゆったりできる日にはクラシックでも・・・ということだった。

デッキに入れたヨハン・シュトラウス(Ⅱ世)のCDを聞き始め、
オーディオラックのリモコンを手にしてセンター音量やサラウンドボタン、
サブウーファー音量ボタンなどを操作しようとした時によもやの
事件(?)の発端が・・・・

その予期せぬ出来事とは・・・
洗濯物を干すために側で洗濯かごから一つ一つ取り出していた
妻の千恵子選手から突然『お父さんっ!音楽を聴くのならヘッドホーンに
するか自分の部屋で聴いてっ!』という思いもよらぬ尖った大きな声が・・・・

その声に一瞬、私もカチンときたのだろうか(そんなつもりはなかった
のだが)
『迷惑になるような音量でもないし、何でヘッドホーンで聴かなければ
ならないのだっ!・・』と声を荒らげて反撃(?)・・・

私はシュトラウスⅡ世の曲に続きシュトラウスⅠ世の曲の中で最も好きな
「ラデッキー行進曲」を手拍子を打って聴くつもりでいたのだが
その夢(?)はもろくも崩れた・・というより自ら諦め、ふてくされ
気味にデッキをとめてしまったのだ。

そしてお互いの間にしばし嫌な沈黙・・・
腹立たしさを抑えきれなかった私は言わなければいいのに・・・
ついつい・・『以前にも同じようなことがあったし、テレビを見てると
何時間も見ているって文句を言うし・・・何時間も見ている筈がない
だろう・・・何時間もと言うことは少なくても2~3時間のことを言うん
だぞっ!』と。

千恵子選手も負けじとばかりに『ずう~っと見てるじゃないの・・じゃ
今度書いておく・・』などといったものだから私はますますエスカレート
しそうになるのをぐっとこらえ、テーブルとパソコンを片付けると
さっさと自分の部屋へ・・・

なかなか怒りが収まらなかったがその原因は?・・・と考えてみた。

私がCDを聞き始めた時にちょうど千恵子選手は足腰の痛みに耐え
ながら(?)洗濯済みの衣類の入ったかごを持ってリビングに運び
庭に出ようとしていたのだと思う。
その時に私がいた位置はちょうどその通り道に当たるところだったので
足腰の痛みと庭に出たいのにちょっと邪魔だな・・・と思ったのかも
しれない。

ちょっとしたいらつきが思わぬ言葉に・・・と言う例なのか。
普段はそんなことで怒るようなことはないのによっぽど虫の居所が
悪かったのかもしれない。

それからしばらく自室にいた私は何となく後味が悪いという思いでどこへ
行くとも告げずに9時半頃、タイトルのとおり『プイッと家を出た』のだ。

こんなに気持ちよく晴れ、既に春が来たのかとも思われるような良い天気
だから少し時間が経てば心も晴れ晴れとして気分も爽快になること
間違いなし・・・と考え、単行本2冊を持ち車で「市民の森」の近くへ・・・

なるべ人も交通量も少ないところへ・・と思い、土呂中学校の近くの
静かな芝川の土手の近くに駐車。
そこでシートを倒し、CDを聞き始めた・・2月の気候とは思えないほどの
良い天気・・・車の中は暑いくらいでジャンバーを脱ぎ、窓を全開にしても
寒くない最高の天気に気持も穏やかに・・・音楽も心地良く心に響いた。

あまりの気持ちよさに『題名のない音楽会』の放送を観るのを忘れそうに
なり急いでテレビに切り替えた。
昨日は『ドアの向こうの音楽会~冬~』というタイトルで出演者(ゲスト)
それぞれの素晴らしい演奏を聴くことができたが、私は村治佳織さんが
『島の記憶~五島列島にて~』をクラシックギターのアルペジオで演奏した
ものと多久潤一郎さんのフルート演奏・・『春の声』が特に心に響いた。

私の家出(?)の原因となったオーディオデッキに入れたCDの最初の曲が
このヨハン・シュトラウスⅡ世の『春の声』だったから尚更不思議な
繋がりだと思い、感情が少し高ぶっていたのかもしれない。

土呂中学校の周りには桜並木、そしてその少し手前にある葉っぱの落ちた
大きなメタセコイヤの並木道は時折散歩やジョギングをする人が通るだけで
近くから小鳥の声も聞こえてくるほど静かだった。

そして時間の経過とともに歩く人の数も多くなり、土曜日のためか親子
連れや夫婦で歩く姿も・・・さらに高齢者も体力維持のためか目立つ
ようになってきた。

この芝川は水の流れる部分は狭く、川の中のほとんどの場所が枯れた葦で
いっぱいだった。
それを眺める人、土手の短い草の中を覗く人、嬌声を上げ走り出す子供と
追いかける若い父親・・・

車を停めた場所のすぐ側の土手を歩く人も暑いのか上着を脱いでいる
姿もたくさん見られた。
そして、心を穏やかにしてくれる小鳥たちもやってきた。
最初にやってきたのはツグミ・・・ちょこちょこっと歩いては立ち止まり、
スッと胸を張るあの独特のスタイルで小さいながらも存在感を・・・

さらにヒヨドリも一羽二羽と・・・そして極めつきは綺麗なオレンジ色の
ジョウビタキ(オス)・・・毎年我が家の近くでも見ることができたが
今年初めて出会うジョウビタキだった。
ツグミやヒヨドリは飛び立っては戻り、草の中の餌となるものを探すより
私と同じように温かい陽射しを喜んでいるように思えた。

持っていった本は少し読んだだけでほとんどが小鳥の動きや土手の向こう
側も含め、周りを歩く人の仲睦まじそうな動きや高齢者の時々立ち止まり
ながら懸命に歩こうとする姿を見守るようなものだった。。

いつの間にか私の心はすっかり落ち着き時計を見ると何もすることもなく
あっという間に2時間半が過ぎていた。

どちらが悪いということもなく『喧嘩両成敗』というほど大袈裟なものでもなく、
終わってみればやはり些細な出来事・・・仲良し故の小競り合いということに
しておこう。





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『日本一短い「母」への手紙』とともに・・・

2021-02-06 08:45:10 | 喜怒哀楽をポジティブに

ブログ友の影響を受け、自分自身のちょっとした変化が楽しくなり
最近また少しずつ本を読むようになってきた私・・・・。
(以前とは比べものにならないほど短時間で読めるものばかりだが・・・)

ブログ友けんすけさんの一昨日(2月4日)の記事内に不思議な・・・
それも大部分がはっきりとした光景の夢を見たという内容が
綴られていたことについて私は優しいけんすけさんが優しい
お母さんへの思慕の思いが夢となったのでは?・・と勝手に想像し、
コメントさせていただいたのだが・・・

けんすけさんからの返信内容から想像どおり優しいお母さんの姿が
瞼に浮かび、我が身に置き換えると今、生きていれば109歳の母の姿と
重なり、「母」というもの、そしてその姿や生き様に思いを馳せてみた。

そして・・・すぐに本棚に駆け寄り、一冊の本に手が・・・
それは・・・
『日本一短い「母」への手紙・一筆啓上』の文庫本。
平成5年に福井県の丸岡町主催、郵政省応援で募集した
『日本一短い「母」への手紙・一筆啓上賞』に応募した作品32236通の
中の230通を載せた本だが6歳から80代の高齢者に至る年代それぞれの
僅か1~2行・・25文字から35文字程の短い手紙に母への思いが込められ、
読み手の胸が熱くなるようなものばかり・・・

選考委員の一人、黒岩重吾さんは『人間が持つ母への叫びが、短い文章の
中に様々な表現で表れているし、読みながら胸が熱くなった』と語っている。
また、俵万智さんは『短いと言うことは、多くの思いを
伝えられない、ということではない。短いということは一番大切な
思いだけを伝える、ということだ。
こんなにも多くの人が、母親へ向かって、一番大切な思いを言葉にして
くださった。それぞれの物語、それぞれの感動。審査員としてその現場に
いち早く立ち会えたことを、心から幸福に思う。』と。

また時実新子さんも、とにかく感動しましたと言う言葉で始まり感想を
述べた最後の部分では『親というものは、特に母は、そばにいると
うるさく、離れると恋しく、死なれて初めて自分にとっての絶対者に
なるのだということを思い知ることもできました。』と語っている。

また森浩一さんも『とにかく母のことをむしょうに書いてみたいという、
普段は意識しなかった心情がほとばしり出たことをひしひしと感じた』
という感想と『戦前、戦中、戦後のきびしい状況の中での母へのたよりの
多かったことは今日若者の多くが素知らぬ顔をしている戦争が、個人や
家族それぞれにあたえた残酷さを、もう忘れていたはずの私に母の存在を
介して思い出させてくれた』とも・・・。
もう一人の選考委員中村梅之助さんは自分の実体験も織り交ぜながら
『私はあらためて日本の母親の力強さ、忍耐強さ、優しさ、そして家族の
結びつきの美しさに胸を打たれました。』と感動の言葉を・・・。

もう何度も何度も読んだ本だがそのたびに新たな思いや感動が
胸に熱く拡がる。
読む度にますます誰もが持つ母への思いが切なく伝わり、母親の強さと
優しさをさらに強く感じるのだ。

私達の世代の母親達の多くは既に亡くなっていると思う。
大変な時代を子供や家庭のために身を粉にして強く、たくましく生きた
事がこうして私達が便利な世の中で生活できていることに繋がっている
と思うと、もう少し何かできたかもしれない・・・いややるべきだったと、
まさに『後悔先に立たず』の思いが湧き上がる。

自分なりにあまり迷惑はかけず、多少だが親孝行もできたと思う
事もあるが、それは母親が私達を思ってくれた心とは比較できない
本当に些少なもの・・・

あと4ヶ月ほどで卒寿のお祝いができたのに・・と思うと残念・・・
あれからもうまもなく20年になるが今なおあの頃の母の優しい笑顔と声が
聞こえてくるようだ。





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いつも、いつでも誰でもみんな明るくありたい・・・

2021-02-05 09:05:10 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日も朝から「春近し・・・」を感じるような良い天気となり電線に
止まったヒヨドリの声も一際高く感じられ、青空に向けるくちばしや
上下に動かす尻尾からもその小さな動きに喜びのようなものが感じられる。 

空も明るく、柔らかい陽射しをはね返す椿の葉っぱは冷たい空気にも
負けず一段と元気そうに見え、枯れた芝生に映る影も少し濃くなった
ような気がする。
このような景色も私を更に元気にしてくれるのだ。

やっぱり今日の天気のように何ごとも「明るい」のが一番だと思う。 

ここ3日間、連続して明るくない記事を投稿したが、今日は何か明るい
話題を・・・と思ってパソコンの前へ・・・

誰もが明るいという言葉には良い印象を持っていると思うし、一種の
憧れのようなものも感じるのではないだろうか。
私も明るい事は大好きなので先ずは改めてその「明るい」という言葉の
意味を考えて見た・・・

光をはじめとする自然現象の明るさ、人間が作った電気、照明などの
明るさ、さらにそれを使った道具や各種の機器など・・・
そして「明るい」という言葉に私が何よりも強く多く感じるのが日々の
生活の中で人と接する時の顔の表情や声、そして態度、話題など・・・

生活上何よりも大切だと考える「人と人との繋がり」の中でこの性格に
よる明るさがお互いの心を近づけ、良い人間関係を作りだし、精神的にも
満ち足りた生活になるのではないだろうか。

明るい笑顔で優しくおおらかな話しぶりや態度は誰の目にも好印象、
心豊かな好人物に映るだろう。
そしてその明るい笑顔や表情は輝いて見え、憧れともなるのだと思う。
私が「明るい」という言葉について最初に感じるのはやはりこのような
人の性格に関するものなので自分自身もいつもそうありたいと思っている。

他にも『その道に明るい』や『見通しが明るい』などのように
「よく知っている」という意味で使われたり「将来に夢や希望など喜びが
持てる」などという使い方もあるがいずれも良いことに結びつくもの
ばかり・・・

今日はそんな明るい女性の楽しくもちょっと切ないような気持を
おおらかに表した『純愛ラプソディ』を聴きながら、今日もまた明るく
前を向いて軽やかに足を踏み出す主人公を応援する気持で私も
一緒に歌い、元気な人には更に元気に・・・あまり元気ではない人には
本来の明るく元気な姿に戻れるようエールを送りたいと思う。

この曲の主人公は若い女性だが、年齢や男女を問わず、誰もが
少なからず持つ恋心やほのかな思慕、魅力、揺れ動く感情、憧れなどを
自分の中で素直に感じながら、思い悩む人がいるならば一緒に応援
したいと言う気持で・・・・。

純愛ラプソディ - 竹内まりや
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やはり国の施策とその実践が必要・・・

2021-02-04 08:56:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
1月30日の記事を端緒に昨日、一昨日と現政権の体たらくぶりに怒りの
気持をぶつけてきたが、怒りの一つでもあった「河井杏里」の件・・・
既に離党しているとは言え、図々しくも議員の座にしがみついて
きたような「河井杏里」がようやく議員辞職をした。

これを遅すぎたと思う人はいても、悲しむ人はいないだろう。
地元で熱心に応援してきた人達もやはり遅すぎると強烈に批判し、
愛想づかしを超え今や怒りの対象となっているという。
多くの広島県民からも国会に出ないまま多額の報酬を得ている河井杏里に
対し、広島県民の恥であるという声が次第に大きくなっていたようだ。
(昨年6月の逮捕から7ヶ月で得た報酬は2000万円以上コロナ禍で
苦しむ人達と比べると天国と地獄である。)

地元からもそっぽを向かれるどころか非難囂々・・・ということは
やはり国民の政治に対する関心や、厳しく見る目が少しずつ大きく
拡がってきているのだろう。

そんな中、感染拡大防止についても依然として政府は「検討」そして
「検討」の連続で迷いながら道を探している状態のため死者数なども
減っていない(むしろ増加の)状況・・・

コロナで命を失うなどとは本人は勿論家族にとっても予期せぬ事で
これほど残念なことはないし悲しみや怒りのぶつけようがない・・・
ワクチン摂取が完全に行われるにはまだまだ時間がかかる・・・
国民の多くは不便を我慢して感染しないよう、また既に感染しているかも
しれないと考え、感染させないよう、できることはきちんとやっており、
少しずつではあるが確実に意識が広まっている。
今後後は国がしっかりとした対策体制でゼロを目指すべく働かねば
ならないのだ。

このコロナ禍の中で残念ながら自ら命を絶った人達もかなりいるようだ。
彼ら、彼女らの中には国の対策がしっかりとしていれば尊い命を
失うようなことがなかったのかもしれないと思える人も少なくないの
ではないか・・。
死を選ばなければならなかった状況を思うと・・・胸が痛くなる。

このコロナ禍の厳しい状況はまだまだ続くが今後はコロナに由来する
自死という悲しい事態が起きないことを願うばかりだ。

突然の事故や災害だけではなく、予期せぬものも含め病気や体調不良で
命を失った人たちの残念な思いを、生きている私達全員がもっと重く
受け止めなければ・・・と考える。
悲しくても辛くても必死に生きようと頑張っている闘病中の方々の
気持を思うと現在幸いにも健康である私達はもっともっと考え、
自覚ある行動で他者を励ましながら更に力強く生きなければ・・・

医師から余命を告げられても『自分は生きるのだ!』『死にたくない!』と
最後の最後まで望みを捨てずに頑張り抜こうとした人たちのことを思うと
自ら命を絶つ・・などということは絶対にしてはいけない・・・
老若男女すべてに対しての思いだが、特にみんなに好かれ、将来を
期待されていた若者達が落とした命とその残念な気持をもっともっと
深く考えなければ・・・

・・・と思うと死を選ぶ原因になるかもしれないことは個人的にも
国全体としても当然考え、絶対に避けるべきでそのためにも国の細かい
神経の行き届いた施策とその実践が求められるのだと思う。


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今こそ衆知を集め、感染ゼロを目指す対策と支援を・・・

2021-02-03 09:36:14 | 喜怒哀楽をポジティブに
当然予測されたことだが緊急事態宣言の延長が発表された。

一部では解除を望む声もあるが現状ではやむを得ない・・というより
当然のことだと思う。

感染者数が多少減少気味になったからと言って、そして政権の思惑で
経済を優先することによって安易に解除するとすぐに昨年の感染爆発
直前の状態に戻ることは専門家からの意見やデーターの検証により
火を見るより明らか・・・。

延長により苦境に追い込まれる人達が更に増加することは間違い
ないと思うが、今ここでそのための支援策と感染者数をゼロに近づける
実効性のある対策を取らなければ、このまま泥沼に引きずり込まれる
ような結果になりかねないと思う。

ワクチンの効果に期待するのは良いがワクチンについてはまだ懸念材料も
明らかにされておらず摂取の方法スケジュールなどについても具体的な
策は講じられていないようだ。

とりあえず国民の多くは感染予防、防止のため、個々にできることには
最大の努力を積み重ね、懸命に実行しているのだ。

飲食業に携わる人達の中には自己の損失よりもコロナを収束に導くため
じっと我慢して時短要請に応じている人達もいることを政治家達は
忘れてはならない。
一方、時短やさらなる緊急事態宣言の延長は自分たちの死活問題であり、
例え罰則を受けてもこれ以上の我慢はできない・・・と言うことで
時間外も営業を続ける店舗が続出する傾向にあるのも事実・・・

だからこそ・・・
今、この両方の考えの人達すべてに多少の問題が残るとしてもその業種や
規模に応じた十分な支援をすべきであると思うのである。
国民から選ばれた議員たちは今こそ国民のために衆知を集め、細かい
データーや分析による不眠不休での対策を講じなければならないと考える。

血税で歳費、給料を得ている政治家達は「陳情」を聞くなどと嘘をついて
クラブのはしごをしている場合じゃない・・・。
細かい対策には時間がかかる・・・などともっともらしいことを言ってる
暇があるのなら自分たちでその時間をひねり出すぐらいの智恵を集めろと
言いたい。

この緊急事態宣言の延長も形だけですぐに解除の事だけを考えている
ようでは元の木阿弥・・・
世界に冠たる日本・・・という強い意思、誇りを持って取り組むためには
この期間が大切であることを認識すべき・・・時間がなければ作るという
気構えで議員全員が取り組んで欲しい。

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「虚偽説明」の末の離党とは・・・当然議員もやめるべき・・・

2021-02-02 11:29:00 | 喜怒哀楽をポジティブに
自民党の大嘘つき議員松本純と卑怯で小心者の二人、大塚高司と
田野瀬太道の筋の通らぬ釈明には呆れるばかり・・・
うその言い逃れでその場を凌ぎ、誤れば済むとでも思っていたの
だろうか・・・
さすがに党としても今後の選挙を見据えれば看過できないという
ことで離党勧告・・・これも手ぬるい。

問題の3人と同じように緊急事態宣言下の深夜に銀座のクラブに
入り浸ったことが明るみに出た公明党の遠山清彦議員も最初は
党代表からの注意だけで逃げ果せると思ったのかもしれない・・・
しかし、他の問題も発覚し結果的には追い詰められるような格好で
議員辞職ということに・・・

この議員たち、そして党幹部達は国民の血税によって議員の報酬が
支払われていることに何も感じないのか

いずれも国民に対し色々なことに不便や我慢を強いる立場の人間が
自らこの基本となる行動に反するようなことをするとは到底考えられない
のであるが・・・

国会議員たるものそのプライドがないのか・・・
国民から選ばれた国会議員という重責あるものを大きく傷つけ
信頼を失った罪は重く、深いのだ。
本来潔く議員辞職すべきところなのに議員と言う立場に惨めで
醜い格好でしがみつく・・・議員としての矜持もないのだから 
当然資格もないと思う。

彼らは否定するであろうが『自分たちは特権階級である・・・』と
思っているのかもしれない。

『国民は忙しく、単純であるからほとぼりが覚めればすぐに忘れる
であろう・・・地元(選挙区)で調子よく振る舞えばいつまでも
この美味しい職業の恩恵にあずかれるのだからとりあえず誤って
一時を凌げれば・・・』などと思っているのだろうか。
『国民をなめるな!』と言いたい。
事実彼らの地元でも怒りの声が上がっているのだから・・・・
それにも気づかぬ阿呆なのか・・・

私利私欲にひたすら邁進するそんな議員たちは要らないのだ!
さっさと議員辞職してしまえ!
真面目な(?)議員たちに顔向けできないだろう。
その真面目な(?)議員たちももっともっと遠慮なく自己主張をし、
内部をクリーンにするための努力をして欲しい。

『獅子身中の虫』が多すぎると嘆くだけではいけないのだ。
各議員自らが特効薬となって「獅子身中の虫」を駆除すべく
「獅子奮迅」の働きをして欲しい。
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誰かのひとことで・・・

2021-02-01 09:19:08 | 喜怒哀楽をポジティブに
今後もまだまだ長く続くであろうこのコロナ禍ではある程度制限された
自粛生活の中で、一日中家の中にいるとストレスを感じると言う人も
少なくないようだ。

私は幸い何日間閉じこもっていても気持に変化もなく、何も不自由だとは
感じないのだが妻の千恵子選手は一日に一度は外に出ないと息苦しく
なったり、頭が痛くなったりするという。

妻は天気のいい日にはリハビリのために杖をついて3~40分歩くことで
そのストレスのようなものを紛らわしたり、日常の買い物で外気を
吸うと気持がほぐれ「ほっ」とするらしい。
ということで気分転換によるストレス解消を実践している。
(最近、ブログ友の影響(アドバイス)で歩き始めた私だが私の目的は
ストレスとは無関係・・・)

一方外へ出なくても平気な私は家の中で何かをやっているときは勿論、
何もしていなくてもストレスらしきものは全く感じないので時々は
お互いの気持が分かり合えない点で小さな衝突もあり、お互いに
『何故?』という気持と表情になるのである。

しかしそこは54年という長い間一緒に暮らしてきた相手のこと・・・
お互いの性格もよくわかっており、修復に要する時間も短く、長く引き
ずるようなことはない。
この54年間は計算すると今までの人生の約70%・・・実に何よりも長い
時間である。
同じような部分も持ち合わせながら全く違うところもそれ以上に多い
二人のことを考えると不思議なものであると思う。

世の中は性格はもちろん、それぞれ環境も違う中で育った者同士が
学校、仕事、地域社会などで協力し合い仲良く楽しく生活していくことの
意義を考えるとやはりお互い、相手への理解が必要なのだろう。

そういう意味でも自分の家族や家庭だけではなく大きく広く人と接する
事の大切さがよくわかるような気がするのである。
今までも人との交流を大切にしてきたつもりだが・・・

現役を引退し、時間に余裕のできた私は家庭内の事にだけ目を向けて
いたのでは心に広がりができないのではないかと思い、2年半ぐらい
前(2018年8月)からブログを始めたのだがこれが私の人生に大きな
力や影響を与えてくれる大切ものとなっている。

ブログ友の記事や私がいただいたコメントで私も感激、感動だけではなく
実際に行動を変えるきっかけになったり決断できた事も少なくない。
本日アップの曲の歌詞にあるように『誰かのひとことで明日も頑張ると・・』
を何度も何度も実感しているのだ。
過日の記事にも書いたが他者の言葉にふと気づき、自分の生き方にも
取り入れるとか、いいと思ってできることを実践するというのは
自分に新しい知識や体験をあたえてくれることであり大歓迎・・・
という心境。

拙い文章であっても自分の気持をそのまま素直に文字や文章にしてみる
爽快さや自らを省みる材料となった事、少しずつ増えたブログ友との
交流でたくさんのことを学び、少しでも前へ・・少しでも成長したい・・・
という気持が膨らみ、日々、感心、感激、感動していることなど・・・
いくら齢を重ねても知識や実体験を積み、そしてそれを活かすことができれば
自分自身の変化も見られ心も豊かになるような気がするのである。

私の後半の人生はブログ友のお陰で明るく、大きく、広く豊かな拡がりを
持つこと疑いなし・・・皆さんに感謝しながら素直に自分の気持を表し
続けて行こうと思う。
『誰かのひとこと』は私にとって大きくて重い、そして大切な宝物なのだ。

竹内まりや/Mariya Takeuchi~みんなひとり
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