ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

開拓者のこころ

2019-09-09 09:35:06 | 雑感
連続テレビ小説「なつぞら」を楽しみに見ています。

先週、お気に入りの天陽君があの世に旅立ってしまいました。
天陽君は畑で倒れて息絶えましたが
自分が耕した土地に深い愛着があったんだろうなと思いました。

開拓者について、色々と考えたことがあったので、書き留めておこうと思いました。

(詳しく調べた訳ではありませんが)
北海道を開拓したのは、他県から移り住んだ人々がほとんどだったのではないかと思います。
北海道という新天地で、新たな人生をスタートしようとしたんですよね。

で、なぜ移住する決断をしたかと言うと、もともといた土地では何らかの限界を感じたからではないかと思うんです。
穿った見方になりますが、もともとの土地で満足な生活をしていたら(嫌な言い方をすると「成功していたら」)、北海道には行かなかったと思うんです。

もしかしたら、「開拓者」と胸を張れるようになったのはずっと後のことで、
もともとの土地にいた人たちの中には、「うまくいかなかった人」「失敗した人」、さらに「真っ逆さまに転落した人」(←しつこい)というレッテル貼りをして嗤う人もいたかもしれません。

では、「開拓者」と、「転落した人」の違いは何だったのか。
私は、「この土地を切り拓こう」という、志だったのではないかと思います。
「自分は負け犬だ」と自虐ばかりしていたら、土地を耕す手に力が入らなかったでしょう。
「自分は誇り高い開拓者だ」「誰が何と言おうと、ここでやっていくんだ」、そう強く思いながら、夢を描きながら、日々の作業に打ち込んだのでしょう。

それから、もう一つ。
結果として広大な農地を切り開いた開拓者たちですが、
日々の作業は、地味で泥臭いものだったに違いありません。
鍬で土地を掘り起こす、種を撒く、水をやる・・・その繰り返し。
地道な努力の積み重ねが、広大な農地の開拓に結実したのです。

私はそんな開拓者の生き方が、自分にも重なるような気がしています。
私の仕事は、一つ一つ、目の前の検査をこなしていくという、とても地味なものです。
でも、それをコツコツ、信念を持って続けていたら、
私は私の人生を大きく開拓することができるかもしれません。

そして、これは私だけの話ではないはずです。
人は皆、自分の人生の開拓者なのだと思っています。


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