離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

内省するのは、自分を責めることではないのです

2012-05-05 22:45:12 | 日記
こんばんわ。

今日も2連載です。

というのも、多くの方が勘違いをされるといけないので
この際に書いておこうと思ったわけです。

私は、よく言いますね。

自分の課題から逃げていないか?

真摯に向き合ったのか?

内省しているのか?

いつも言うように、物事には裏表があります。

ある人から見れば、正義でも、反対から見れば悪だったりします。

離婚について言えば、
自分から見たら、相手が悪くて、
相手から見たら、自分が悪い。
まさに、視点が真逆なんですね。

もちろん、全面的に自分が悪い!!なんてこともあるかもしれませんが。。。

さて、いろいろと苦しみながら、考えます。
課題と向き合います。

自分が悪かったんだろうか。

相手を傷つけたんだろうか。

もっとこうしたらよかったんではないだろうか。

もっと自分にはできたことがあったんではないだろうか。

自分が正しいと思うこと、

自分が間違ったと思うこと、

もっとこうすればよかったのだと思うこと、

いくらでも考えてほしい。

もっと、もっと自分自身の内面を掘り下げてみてほしい。

ただし!!!

事実を客観的に見つめ、考えることと、

自分自身を責めて、責めて、追い詰めることは別です。

自分自身を責める必要はないのです!!

もう一度、

自分を責めることに意味などありません!!

責めても、何も解決しないどころか、
益々、落ち込み、最後は、入院しなければならなくなるでしょう。

事実を結果として受け止め、気づき、生き方、考え方を変換していく。

そこに意味があるのであって、
自分を責めることに意味はありません。

少なくとも、あなたはその瞬間、全力を尽くした。
自分の判断で行動した。
ただそれだけです。そのときの自分は自分のことをした。

自分を責めているとき、

それは責めているようでも、結局、自分を甘やかしています。

客観的に事実を認めていくことよりも、自分を責めて、悪者にする方が実は楽なんです。

「自分が悪かったんだ。」

「自分がこうしていれば、違う結果だったんだ」

でも、過去は戻らないのに、それを言いつづけても、それはそこに留まる理由を作っているようなもの。

ある意味で、「自己憐憫(れんびん)」なのです。自分を自分で憐れんでいるだけなのです。

そこから、何の生産的なことも生まれません。

本当の厳しさとは。
事実を事実としてとらえ、良いところは認め、悪いところも認め、
それを前進の力にしていくことです。

絶対に、自分自身を責め続けるのをやめること!!

そんなことではなく、その力を前進のために使うこと。
自己責任というただの言葉の魔力に、とどまるのをやめることです。






1 コメント

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Unknown (あるがまま)
2021-05-02 07:20:00
自分の課題から逃げていないか?真摯に向き合っているか?

今や、自分を責めてはいません。
けれど、上記のふたつを厳しく自分に問い続けると、やっぱり入院しなきゃならなくなりますね。
なんでも、ほどほどが大事
過ぎたれば及ばざるが如し。

こんなめんどくさい読者、お困りでしょうか…ご負担かもしれません。
でも、著者様の紹介された本も読んでいたりもしますが、やはり著者様のブログの文章がいちばん心に響きます。全体では4周目、記事によっては何回読んだか分かりません。
もう卒業していいと思える日まで。
ありがとうございます。
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