こんばんわ。
よく色々な場面で使う
「自己責任」 という言葉。
実は、私は離婚後の数年間に渡り、
自分で、自分自身に使っていてながら、
とても違和感がありました。
何の責任もないとは思わない、
でも、離婚の理由として、主要な責任がほんとうに自分にあるのかと。
何かまるで、自分が一身に責任を負うかのような気分で
どう考えても、ふつう以上には責任がないし、
カウンセラーとなった今の視点でみても、自分が50%以上の責任があるとは思えない。
「人生は自己責任」なんていう風に使うと、とてつもなく苦しいわけです。
違和感もあるんですね。
結婚を誰に強要されたのでもなく、もちろん離婚もそう。
日本語の影響でしょうか、
どうにも「自己責任」という言葉には、
自分が100%悪い!!のような印象があるんですね。
「お前の責任だ!!」みたいな。
で、どーもなぁ。。。と思っていたところに、
ある本から、
「自分が源泉」 という言葉を知りました。
おっ、これかも!! そう思ったんですね。
この言葉は、物事は、自分から始まる。ということです。
相手にボールがあるんでは、どうにもならないですが、
物事は自分にはじめにボールがあって、
そこから始まる。
だから、修正することも、自分から始まる。
「責任」 と 「源泉」
「源泉」という言葉には、よりポジティブな、創造性のある響きがありますね。
そして、「自分が源泉」
そこには、自分に責任があるということではなく、
すべての物事が自分から始まる!という意味しかない。
極端ですが、離婚の要因の99%が相手であったとしても、
その相手と結婚した、選んだという意味で
「自分が源泉」となるわけです。
であれば、自分が次回は、違う選択をすれば、違う結果が出るんですね。
逆に、同じ選択をすれば、同じ結果が出るんですね。
「自己責任」と「自分が源泉」 似ていて、まったく違う意味がわかるでしょうか?
よく色々な場面で使う
「自己責任」 という言葉。
実は、私は離婚後の数年間に渡り、
自分で、自分自身に使っていてながら、
とても違和感がありました。
何の責任もないとは思わない、
でも、離婚の理由として、主要な責任がほんとうに自分にあるのかと。
何かまるで、自分が一身に責任を負うかのような気分で
どう考えても、ふつう以上には責任がないし、
カウンセラーとなった今の視点でみても、自分が50%以上の責任があるとは思えない。
「人生は自己責任」なんていう風に使うと、とてつもなく苦しいわけです。
違和感もあるんですね。
結婚を誰に強要されたのでもなく、もちろん離婚もそう。
日本語の影響でしょうか、
どうにも「自己責任」という言葉には、
自分が100%悪い!!のような印象があるんですね。
「お前の責任だ!!」みたいな。
で、どーもなぁ。。。と思っていたところに、
ある本から、
「自分が源泉」 という言葉を知りました。
おっ、これかも!! そう思ったんですね。
この言葉は、物事は、自分から始まる。ということです。
相手にボールがあるんでは、どうにもならないですが、
物事は自分にはじめにボールがあって、
そこから始まる。
だから、修正することも、自分から始まる。
「責任」 と 「源泉」
「源泉」という言葉には、よりポジティブな、創造性のある響きがありますね。
そして、「自分が源泉」
そこには、自分に責任があるということではなく、
すべての物事が自分から始まる!という意味しかない。
極端ですが、離婚の要因の99%が相手であったとしても、
その相手と結婚した、選んだという意味で
「自分が源泉」となるわけです。
であれば、自分が次回は、違う選択をすれば、違う結果が出るんですね。
逆に、同じ選択をすれば、同じ結果が出るんですね。
「自己責任」と「自分が源泉」 似ていて、まったく違う意味がわかるでしょうか?
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