離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

いろいろなことが起こる

2018-06-10 00:00:01 | 日記
人生ではほんとうにいろいろなことが起こりますね。

ある日突然に、大切な人と出会うこともあるし、

まるで青天の霹靂のように、別れることもある。

離婚ということが自分に起こると思っていながら、

結婚する人も少ないだろうし、

これからというときに、

病に倒れることもある。

ほんとうに予測できないのが私たちの人生。

生まれることも予測して、予定したことではないのだ。

日常のなかで、

そのひとつひとつに振り回され、悩み、苦しみ、もがく。

幸せなことや、悪夢のような苦しみに一喜一憂する。

そういうことに動揺されないように

悟ったような生き方もできるのかもしれないが、

なかなかそうはいかない。

以前にも書いたのだが、

障害物競争で、障害物があって怒ることも、動揺することもないだろう。

長距離マラソンを走りながら、距離が長すぎると文句を言うこともないだろう。

もちろん、人生は自ら望んで人生を始めたとは言い難いが、

理由はともあれ、生き始めてしまい、死へと100%向かう道のりの途上に

いることは確かだ。しかも地図もなく、残りの時間も距離もわからないという

ある意味でものすごく不合理かつ、絶対的なルールのもとにいる。

だが、このルールに文句を言っても、怒ってみても、交渉してみても意味がない。

ルール変更はない。という絶対ルールなのだ。

我々がもつべきは何なのだろうと考えたとき、

私は「覚悟」という言葉がしっくりくる。

覚悟したって、動揺したり、苦しんだり、悩むことは絶えないが、

それでも、長距離マラソンのスタートのように、

高所登山の登山口のように、

障害物レースのスタート待ちのように、

どんなものが来ても、最後までゴールしようという覚悟、決意

そんなものがあるとき、歩み方に違いがあるのではないかと思う。

離婚という障害物に出会ったとき、立ち往生し、逆戻りしたり、座り込んでもいい。

再び歩きだせるようになるまで、ゆっくり休んでいい。

考えてもいいし、戦略を練り直してもいい。

少なくとも、人生のルールに休んではいけないというのはない。

立ち止まってもいいし、休憩してもいい。

私たちにはその自由は与えられている。

ゆっくり、ゆっくり、十分に休んでほしいし、

力が入るまで、何もしなくてもいい。

コメント (2)
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