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ビリーの挑戦2-017cut:おっさんMRものがたり

2018-03-30 | ビリーの挑戦第2部・伝説のSSTプロジェクトに挑む
ビリーの挑戦2-017cut:おっさんMRものがたり
――Scene03:R製薬の営業現場
影野小枝 漆原さん、まだ社内報から顔を上げません。第2章を読んでいるようです。

◎おっさんMRものがたり(2)

ぼくは19社の入社試験を受け、ことごとく失敗した。R製薬の情報をくれたのは、友人の梅田だった。「知り合いが勤めている会社でよければ、プロバーを募集している。紹介してやってもいいけど」
就職が決まらず打ちしおれているぼくに、梅田は助け船を出してくれた。この時点においてのぼくは、「R製薬」についても「プロバー」なる職業についても全く理解していない。就職できるのならどこでもよかったし、どんな仕事でも構わなかった。
ぼくは梅田から「新入社員募集要項」をもらって、R製薬の概要を知った。本社がスイスにある外資系製薬会社であること。募集しているのは男性のみで、職種はプロパーと内勤職であること。完全週休2日制であること。初任給は〇〇円と、標準以上の水準であること。
ぼくはプロパーを希望して、R製薬の面接を受けた。筆記試験はなかった。いきなり面接試験だった。プロパー希望の理由を問われたとき、ぼくは用意していたとおり「実力で評価を得たい」と答えた。あれは嘘だ。ぼくは英語ができない。会社の公式語が英語だと知って、それが及ばない営業の世界を選んだに過ぎない。
しかしぼくはいま襟首を捕まえられて、英語の世界に引きずり込まれようとしている。係員が入社式の終了を告げ、懇親会場の案内をした。ぼくは力なく立ち上がり、仲間に続いて歩き始めた。

◎おっさんMRものがたり(3)

総務部購買課での10年間、ぼくは自己申告面談のたびに、営業職への転属を希望した。毎日たくさんの営業マンと会うのは楽しかったが、面談レポートは英語で退出しなければならない。業者への注文書も全部英語でしなければならない。見積書も英語に翻訳してから、上梓に回す。この世界がたまらなくイヤだった。
入部してから10年目、ぼくは購買課長になっていた。それでも営業職への転職希望は続けていた。上司は根負けした顔で、「本当に平社員になっても営業へ行きたいんだな」といってくれた。
 ついに念願がかなって、MRになる道が開けた。33歳のおっさんMRの誕生の瞬間である。新人MRは半年間、研修所にこもって勉強させられる。家族とも離れて、地獄の毎日が続いた。赴任先は札幌支店1課で、札幌市内の小さな病院と開業医の担当になった。最初の1年間は全く売れなかった。成果が上げられないので、オフィスへ戻ってからの日報書きは苦痛だった。
 そんなときに、ひらめいた。日報はその日の成果を思い描いて、出掛けに書いてしまおう。そうすれば苦痛から逃れることができる。ぼくは「朝書き日報」と呼んでいた。こいつが優れものだった。その日の成果を思い描くという習慣が、思わぬ結果につながり始めたのだ。。思い描いたことが、次々に現実になってゆく。そうなると習慣はどんどんエスカレートし始める。そして「1日のPDCAサイクル」とめぐり逢った。こいつのお陰で、ぼくはたちまちトップクラスのMRになっていく。
(つづきは次号です)
影野小枝 社内報から目を上げて、漆原さんは白岩研修課長の席へ向かいました。
漆原 磯貝俊一郎は33歳のときに、MRに転身した変わり種なの?
白岩 最も記憶に残る男ですよ。総務部購買課長のタイトルを投げ出して、自ら希望してMRになったんです。新人と一緒に半年間、MR導入研修も受けました。テストではいつも「〇〇のようなもの」とあいまいな答えを書いていましたが、お情けで合格点をあげました。3年めですが、今では札幌のエースです。

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