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柳田国男『口語訳・遠野物語』(河出文庫、佐藤誠輔訳)

2018-02-18 | 書評「や行」の国内著者
柳田国男『口語訳・遠野物語』(河出文庫、佐藤誠輔訳)

百年の月日を越え、語り継がれ読み続けられている不朽の名作『遠野物語』。柳田国男が言い伝えを採集し流麗な文語でまとめた原文を、今日の読者にわかりやすく味わい深い口語文に。大意をそこなわずに、会話を遠野方言であらわしながら再構成していく冒険的な試み。丁寧な注釈も付す。原典への橋渡しとして。(内容紹介より)

◎100年たっても色あせない

柳田国男『遠野物語』は一度、角川ソフィア文庫で読んでいます、今回『口語訳・遠野物語』(河出文庫、佐藤誠輔訳)と京極夏彦『遠野物語remix』(角川文庫)が出ましたので、読み直してみました。3冊の本をくらべてみます。

――土淵村山口に新田乙蔵といふ老人あり。村の人は乙爺といふ。今は九十に近く病みてまさに死なんとす。年頃遠野郷の昔の話をよく知りて、誰かに話して聞かせおきたしと口癖のやうに言へど、あまり臭ければ立ち寄りて聞かんとする人なし。(角川ソフィア文庫『遠野物語』十二より)

――土淵村山口に新田乙蔵という老人がおり。村の人たちは、親しみをこめて「乙爺」と呼んでいました。乙爺は「おれも、もうすぐ九十になるし、病気も持っているがら、いつ死ぬがわがんね。おれは、ほんとうのごどいえば、遠野の里の昔の話をいっぱい覚えでるのよ。それを今のうちに、だれがさ聞かせたいもんだが」と、口癖のように言っていました。しかし、乙爺は風呂にも入らず、不潔で、あまりにも臭いものですから、だれも立ち寄って聞こうとする人がありませんでした。(河出文庫、佐藤誠輔訳『口語訳・遠野物語』)12より)

――土淵村山口に、新田乙蔵という名の老人が住んでいる。村の人々は皆、乙爺と呼んでいる。今はもう九十に近い高齢で、しかも病気がちであり、死期も近いと謂われているようである。この人は遠野郷の昔話を能(よ)く知っていて、自分が生きているうちに誰かに話しておきたい、伝え残したいと長年口癖のように言っている。自らの寿命が尽きかけているのを悟ったのか、近年益々その思いを強くしているのだという。(京極夏彦『遠野物語remix』十二より)

私には3つに、大きなちがいを認められません。ただしせっかく口語訳が出たのですから、こちらを種本として筆を進めたいと思います。

『遠野物語』は100年以上も前の1910(明治43)年に自費出版されたものです。柳田国男が文学仲間で遠野出身の佐々木喜善(鏡石)から聞きとった話を、説話集としてまとめました。序文には「鏡石君は話上手ではありませんが、とても誠実な人です。私も彼の話をもとに、一つ一つの言葉を大事にあつかい、私自身が感じたことを文章にしました」とあります。原文もそえておきます。

――「此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞来たり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折々訪ね来り此話をせられしを筆記せしなり」

これが評判となり、単なる説話集というよりも、文学的な価値を高く評価されました。当時19歳だった芥川龍之介は、親友に宛てた書簡に「此頃柳田國男氏の遠野物語と云ふをよみ大へん面白く感じ候」と書きつづっています。(この部分はウィキペディアを参照しました)

おそらく佐々木の東北なまりの強いぼくとつとした話を、柳田国男は苦労して流れるような文章にしたのだと思います。録音機があった時代なら、佐々木の肉声を聞いてみたいところです。

『口語訳・遠野物語』(河出文庫、佐藤誠輔訳)には、119話が所収されています。いっぽう『遠野物語』(角川ソフィア文庫)には「遠野物語拾遺」がついて299話が網羅されています。京極夏彦『遠野物語remix』(角川文庫)は、順番をばらばらにした編集になっています。それ以前(初出1976年)には、井上ひさしが『新釈遠野物語』(新潮文庫)というパロディ版を上梓しています。
何度も笑ってしまいました。冒頭だけ引いておきます。

――柳田国男にならってぼくもこの『新釈遠野物語』を以下の如き書き出しで始めようと思う。「これから何回かにわたって語られるおはなしはすべて、遠野近くの人、犬伏太吉老人から聞いたものである。昭和二十八年十月頃から、折々、犬伏老人の岩屋を訪ねて筆記したものである。犬伏老人は話し上手だが、ずいぶんいんちき臭いところがあり、ぼくもまた多少誇大癖があるので、一字一句あてにはならぬ事ばかりあると思われる」(井上ひさしが『新釈遠野物語』新潮文庫より)

『遠野物語』は自費出版直後から今日まで、延々と読み継がれている稀有な本です。いまなお、まったく色あせていません。新潮文庫『遠野物語』のあとがきには、田山花袋、島崎藤村、泉鏡花の感想が収載されています。芥川龍之介のように、もろ手をあげてとはゆきませんが、興味深い内容です。

◎「民俗学」の開祖

朝日新聞夕刊(2011.11.01)に「日本人理解助ける『遠野物語』」という記事がありました。米国の日本研究家、ロナルド・モースの講演記事です。『遠野物語』には、三陸地方の津波をめぐる話も収められているとありました。記憶にありませんでしたので、さっそく調べてみました。『口語訳・遠野物語』(河出文庫)の第99話(P184)に「大津波」という見出しがありました。新聞記事のほうで紹介してみます。

――三陸の大津波で妻を失った夫が、月夜の晩に海岸で妻と、やはり津波で死んだ村の男と会う。2人はかって心を通わせた仲で今は夫婦になったという。夫に子どもがかわいくないのかと問われ、泣き出す妻。去りゆく2人を、夫は途中で追うのをやめる。(新聞からの引用)

モースは講演のなかで「99話を改めて読むと、津波をきっかけに浮き彫りにになった妻の秘密や、それを知った夫の喪失感、妻と男が死者となって遂げた思いの切なさなどが重層的に描かれ、物語の深みを感じた」と語っています。

『遠野物語』にはほかにも、地理や地形、家の盛衰、魂の行方、行事、昔話、動植物、神々、怪異霊力などの話が、ふんだんにもりこまれています。「小古事記」とか「小風土記」などと称する学者もいるほどです。そのあたりの評価について、紹介させていただきます。

――特に作者(註:柳田国男)が心をこめて記録したのは、河童や天狗、ザシキワジジなどの小さな神々である。時代のイデオロギーに追われ、水底や山蔭に隠れ住むささやかな存在を、作者は新しい学問の光で親しげに優しく照らし出している。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版より)
 
柳田国男は「民俗学」の開祖といわれています。しかし他の民俗学者は、冷ややかでした。柳田国男は序文でつぎのように書いています。

――このような書物は、現在の流行でないことはわかっています。どれほど印刷が容易だからといって、こんな本を出版し、自分だけの狭い趣味を、他人に押しつけるのは無作法なふるまいだと、おっしゃる方もあるでしょう。しかし、あえて答えます。このような話を聞き、このような場所をじかに見てきて、これを人に語りたがらない人など、はたしているでしょうか。(序より)

『遠野物語』をすぐれた文学としてとりあげることに、他の民俗学者は嫌悪感をいだきます。その理由について、言及している著作があります。

――民俗学は、事実を客観的に究明する学問である。従って、そこに主観的な文学が混入しているとなると、学問の客観性が疑われることになる。(百目鬼恭三郎『風の文庫談義』文藝春秋)

柳田国男の他の著作については、角川ソフィア文庫から「柳田国男コレクション」として出版されています。和紙のカバーのついた、しゃれた装いになっています。私のお薦めは『山の人生』と『日本の祭』です。 
(山本藤光:2014.11.01初校、2018.02.18改稿)


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