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安岡章太郎『海辺の光景』(新潮文庫)

2018-02-22 | 書評「や行」の国内著者
安岡章太郎『海辺の光景』(新潮文庫)

不思議なほど父を嫌っていた母は、死の床で「おとうさん」とかすれかかる声で云った──。精神を病み、海辺の病院に一年前から入院している母を、信太郎は父と見舞う。医者や看護人の対応にとまどいながら、息詰まる病室で九日間を過ごす。戦後の窮乏生活における思い出と母の死を、虚無的な心象風景に重ね合わせ、戦後最高の文学的達成といわれる表題作ほか全七編の小説集。(文庫案内より)

◎落ちこぼれの人生

安岡章太郎は1920年、高知で生まれています。そして2013年に亡くなりました。文壇的には「戦中派」または「第3の新人」として、くくられています。「第3の新人」は山本健吉の命名したもので、吉行淳之介(推薦作『夕暮まで』新潮文庫)、小島信夫(推薦作『抱擁家族』講談社文芸文庫)、庄野潤三(推薦作『プールサイド小景』新潮文庫)、遠藤周作(推薦作『沈黙』新潮文庫)、島尾敏雄(推薦作『死の棘』新潮文庫)、三浦朱門、近藤啓太郎などが該当します。

安岡章太郎のデビューまでの人生は、落ちこぼれの連続でした。父親が陸軍獣医だった関係で転校をくりかえし、1年浪人して慶大文学部予科へ入ります。しかし落第したまま、召集されます。そして肺疾患のために戦地から送還され、その後脊椎カリエスで療養生活をします。

その間に書いた「ガラスの靴」が芥川賞(1951年)の候補となり、1953年「悪い仲間」と「陰気な愉しみ」によって芥川賞を受賞します。この3作品は講談社文芸文庫『ガラスの靴/悪い仲間』で読むことができます。

これらの作品には軍隊でおった傷や、その後の病気の影響が色濃くあらわれています。安岡章太郎作品は、〈恥の文学〉などといわれたりもします。しかし重い足かせをはめたまま、文壇の評価は高まりました。屈辱におびえつつ、下から上をみつめる新しい感覚というのが評価のポイントです。

新潮文庫旧版の『海辺の光景』の解説は、平野謙が書いています(新版は四方田犬彦)。平野謙は安岡章太郎自身の言葉を、次のように紹介しています。

――現にいまから十年前に、自分の体のなかには、「何か良くない虫」が一匹住みついていて、その虫のせいで、入学試験や入社試験には必ず落第し、恋愛をすれば必ずヘマな失敗をし、と著者自身が語ったことがある。(新潮文庫旧版、平野謙の解説より)

もうひとつだけ、安岡文学に切りこんだ論評を紹介させていただきます。
――自己嫌悪が自己愛を意味し、肉親への軽蔑が肉親への愛を意味する。むろんこの逆説は自身がつくりあげ自身が選びつづけた方法の必然的な帰結というほかはないが、安岡章太郎はここでその事実に正面から向き合っているといってよい。(三浦雅士『メランコリーの水脈』福武文庫P174より)

◎安岡章太郎の代表作

『海辺(かいへん)の光景』(新潮文庫)は1959年に発表され、野間文芸賞を受賞しています。私は安岡章太郎の代表作だと思っています。冒頭の文章は、物語を暗示する巧みな風景描写になっています。

――片側の窓に、高知湾の海がナマリ色に光っている。小型タクシーの中は蒸し風呂の暑さだ。桟橋を過ぎると、石灰工場の白い粉が風に巻き上げられて、フロント・グラスの前を幕を引いたようにとおりすぎた。(冒頭より)

主人公・浜口信太郎(30歳半ば)は父・信吉(元陸軍獣医)とともに、母・チカが収容されている精神病院を訪れます。母は郷里である高知の、海辺の精神病院で危篤状態になっています。本書は母の死を看取るまでの、9日間を描いています。引用した冒頭部分は、1年前に器質性痴呆症の母を入院させるために見た風景です。そのときは寝具などを運ぶために、古い大型車を利用しています。この冒頭部分を、安原顕は誤読しています。

――主人公信太郎と父信吉は、老耄性痴呆症になった母浜口チカを病院に入れに行く。これはその冒頭シーンである。(『星々峡』2000年6月号より)

冒頭部分で乗っているのは「小型タクシー」で、回想部分のものは「古い大型車」です。どうしてこんな誤読をしたのか、不思議でなりません。『星々峡』連載をまとめた単行本『乱読すれども乱心せず』(春風社)でも、修正がなされていませんでした。

『海辺の光景』は「回想小説」である、とだれかが書いているのを読んだことがあります。出典を探したのですが、みつかりませんでした。母危篤の知らせを受け、母の死を看取る。いわゆる2枚のパンにはさまれた、サンドウィッチの具材は母の狂気への回想となっています。

母チカには獣医として外地を転々としていた、夫信吉の存在は希薄なものでした。息子信太郎と2人だけの日常のなかに、帰還兵として夫信吉がもどってきます。それまで支給されていた棒給がとまり、生活はたちまち困窮します。

――母親にとって戦前、戦時下は、夫が家庭にいない夫不在の二十数年であり、戦後は夫は家庭にいながら夫不在の状態がそのままつづいた二十数年だった。母親には夫がただ無為な人生失格者のようにしか見えない。単純な生活とは、一個の生のなかでだけ確立する倫理であって、妻や子供にさえ理解を求めるものではない。『海辺の光景』の母は、はっきりと父親を拒否する。(川西政明『死霊からキッチンへ』講談社現代新書P71より)

母に狂気の影があらわれます。それからいろいろあって、夫婦は故郷の高知へと都落ちすることになります。行きたくもなかった夫の郷里で、母チカの痴呆症はさらに悪化してしまいます。

帰郷してからの父信吉は、献身的に妻チカを介護します。そして嫌悪していた夫信吉に、妻チカは心を許しはじめます。戦中と戦後。夫と妻。親と子。健康と病。生と死。安岡章太郎は回想のなかに、これでもかといわんばかりの、具材をつめこみます。

『海辺の光景』については江藤淳が、『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)で「母の崩壊」の象徴的な作品としてとりあげています。本書については別途、「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介させていています。ここではふれません。

◎干潮のとき

病院での信太郎は、母の病室にいるか、海辺を散歩するかしか選択肢がありません。海辺で、親切な男の患者と出会います。眼前に見える島について、信太郎は男に問いかけます。男は「あれは無人島だが、ときどき病院の患者が島へ渡っている」と答えます。それから先の展開について、本文を引用させてもらいます。結末へとつながる、たいせつな部分だからです。

(引用はじめ)
「しかし、どうやって渡るのだろう? 泳ぐのかな、それともそのボートにでも乗って……」
「どうやって渡る? それはいろいろでしょう。大昔は島とこちらの陸地とが、ひっついちょったそうで、いまでも干潮のときウマく行けば歩いても渡れるといいますがねえ」
「へえ、こうやってみると随分深そうだがな」
「いまは深いですよ。潮がこんで来よるから……。干潮のときは杙が下から見えてきますよ。真珠貝の養殖をやりよるんですワ」
「真珠?」
(引用おわり、本文P113より)

男の話では、島は観光会社に買い取られていて、観光客目当てに「男女縁結びの神」がまつられているとのことでした。世間から隔離されている病院のある陸地と、観光客目当ての無人島、そして真珠貝の養殖。これらが干潮になればつながるという設定は、じつに象徴的で巧みです。そしてこの場面はみごとにエンディングにつながります。

島は信太郎が母とだけ過ごした、時期の象徴でもあります。そこは引き潮のときだけ、渡ることができます。安岡章太郎はていねいな筆運びで、信太郎と母とが暮らした世界を、祠のある島にたくしました。

母は引き潮にもっていかれたように、あっという間に亡くなります。そして信太郎は、見なれた光景を目にします。

――岬に抱かれ、ポッカリと童話風の島を浮かべたその光景は、すでに見慣れたものだった。が、いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙が黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立っているからだ。(本文P165より)

真珠貝養殖のための杙を、信太郎は「墓標のようだ」と感じます。母の看病のために幽閉されていた病院は、いま新たな世界とつながったのです。
(山本藤光:2013.11.15初稿、2018.02.22改稿)

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