「まあ、嬉しい・・・。ありがとうねぇ。」
その人はまた紙袋から日記帳を取り出しては、何も書かれている筈のないページをパラパラと捲っては、嬉しそうに、実に嬉しそうに微笑むんである。
表紙を一枚めくって、ここに自分の名前を大きく書いてくれとせがむんである。
要介護認定レベル2のその人は、幸せなことに過去の不幸な出来事は忘れてしまったかのように、時折少女のような可愛い仕種を私の前で臆面も無く見せるのだった。
昨日のことは勿論、さっき話したことも、忘却の彼方に置き忘れてしまう、その人。
昔、中学の国語の教師をしていたこともあり、老人性痴呆症の進行を遅らせる意味合いもあり、日々の日記を書くことを勧めた私。
今日はその人との約束通り、「三年日記帳」を買ってきたんである。
ローケツ染めのケースに入れていた筈の老眼鏡も、誰かに盗られたと被害妄想なことを云うので、新しい老眼鏡も一緒にプレゼントした。
盗られた・・・・というのは執着心の現れではあるまいかと心配する私を他所に、「ここは油断もすきもないからね・・・。」と続けるその人。
「さっきあげたボールペンはどこ?」
と尋ねると、あたりを必死に捜して挙句・・・・
「あらぁどうしたとかね・・・?」
と、その在り処すら忘れている。
「ホラ、この紙袋の中にあるよ・・・。自分が忘れているとやけん、むやみに人を疑ったらいかんもんね。」
「盗られたら、またいくらでも買ってやるけん、頼むから人を疑ったりせんでね・・・・。」
その人は私の母、二番目の母
小学3年生の初夏、突然母になった人。
学校の先生をしていたからか、妙なプライドだけは高かった。合理主義者で、けして優しい母ではなかったのだった。
後添えとして嫁いだ先には、私と弟と二人のこぶ付亭主であったのだから、少しは割り引いてあげないといけないのだとも思う。
それでも当初、お母さんが来たと喜んでいた私。
雨の日には、傘を持ってバス停まで迎えに行ったものである。
父と喧嘩がたえなかったので、広用紙を繋ぎ合わせて家庭新聞を作ったこともあった。
でも徐々に日が暮れても家に帰りたくなくなっていったのも事実。
花火に出来そこないがあるように、けして心の通じる親子関係ではなかったのだが・・・・、
父の死後、長い空白の年月を経て今私の前にいるその人は、実に屈託の無い子供みたいな母なんである。
そして、入院先の病院から帰る道すがら、しみじみと思わされたこと。
私には二人の母が居て、それは他の人にはないことで、本当の母のように甘えられない辛い時期もあったけれど、それはそれでいい体験をさせて貰ったのだと思った。
少なくとも今日、その人は私に甘えたのだ。
そして私に何かを教えてくれているのかも知れない。
しっかりとお世話をせねばと決意を新たにした。