風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

「対馬になりなさい」 兪 華濬 (ユ・ファジュン) さんのこと

2009年12月20日 23時59分27秒 | 風竿日記

兪 華濬 (ユ・ファジュン) さんをご存知だろうか?

国際ジャーナリストにして「玄海人クラブ」代表を務められる韓国女性なのであるが、佐賀新聞などで彼女の記事を読まれた方もいらっしゃるのではと思っているが、実は二年前から縁あって武雄市に住んでおられるのである。

雪の舞う中、18日金曜日はその彼女の韓国勲章受賞を祝う会に出席したのでした。

たくさんの出席者の中、挨拶をされた彼女のスピーチの素晴らしいこと・・・・。

日本人よりも美しい日本語をお話になる才媛なのだが、彼女がライフワークとして取り組んでおられることに、既成概念と固定観念で凝り固まっていた頭をハンマーでぶっ叩かれてしまったのである。

もっとも、武雄市内で牧師をされている彼女だから、天使のハンマーではあるのだが・・・。

実は彼女にまつわることを商工会議所の光富専務から、事前レクチャーを受けてこのパーティに出席していたのでした。

それがこの講演録 心に響く人生の達人セミナー

「凄い女性が居るもんだなぁ・・・。」というのが私の第一印象

 それではごく簡単に彼女のことをご紹介しましょうね。

なんで韓国の女性が武雄に住んでいて国際ジャーナリストとして活躍しているのか・・・・。

どうして彼女が韓国から勲章を貰ったのか・・・・・。

彼女はどんなお人なのか・・・・。

 

兪 華濬 (ユ・ファンジュ) さんは1953年(昭和28年)韓国生まれ

隣国である朝鮮半島、韓国との間にある玄界灘を渡り、古来より多くの人と文化が行き来をしてきました。

韓国・北朝鮮とは色んな不幸な歴史も繰り返されていて、隣国でありながらも、近くて遠い国という概念が双方に根付いていた歴史的な事実を踏まえて・・・・。

彼女は、日本と韓国の間に横たわるこの玄海灘に心を寄せ、これまでの恩讐を乗り越えて、両国の真の友好を願う「玄海人」としての自覚を持つ人々の、国を跨いだ輪を作ろうとの思いから、1996年「玄海人クラブ」が設立されたのでした。

このことをライフワークにしようとなさっている背景には、お父上の遺言、「玄海灘をまたぐ対馬のようになりなさい。」の教えが根底に深く関っているのであります。

彼女は、幼年時代の6年を韓国領事館の外交官だった父の任地、福岡で過ごしたのでした。韓国に帰国後日本に居たということで、当時反日教育が徹底されていた韓国で強烈な苛めを体験、その後18歳で再び来日。東京で青山学院大学に通い、韓国大使館勤務を経て、国際コンサルタントとしてビジネスの世界でも活躍されました。

89年、イギリスの大学教授のオファーがあり、最後に日本の思い出作りにと二泊三日旅行で訪れた有田で、人生の大きな転機を迎えたのでした。日本人の認識が根底から覆る転機が・・・・。

 

陶芸の町有田は、「文禄・慶長の役」で豊臣秀吉から日本に連れてこられた朝鮮陶工の李参平が陶磁器の技術を伝え、栄えてきた町なのです。

泉山の陶山神社山頂には、「陶祖李参平の碑」がそびえ建ち、碑文には「大恩人」の文字が刻まれています。

石碑が建てられたのは、韓国に対する植民地支配が進む1917(大正6)年であったということが、彼女の心を強く打ちます。

94年、彼女は有田に「韓国文化交流センター」を設立します。地元の人々に韓国語を教え、素朴な質問に答えて韓国の生活や習慣、文化の話をし、またワープロで打った機関紙「韓の風」をたった一人で発信し始めました。

参加者は徐々に増え、2年後、韓国文化交流センター福岡事務所開設を機に、日韓両国から有志を集め「玄海人クラブ」を設立したのでした。

その会の趣旨とは・・・・・

「韓国人でも日本人でもなく、両国を大事に繋ぐ玄海人としての生き方をして欲しい」という父上の教えを守られたものでした。

これまで全く知らなかった日本人の姿、日本の中で息づく韓国文化に出会った彼女が、玄海人クラブのモットーに掲げたのは、「知らせる努力、知る勇気」という双方の国家間の障壁を取り除こうとする実戦的で貴重な言葉なんであります。

 

韓国文化交流センターのこれまでの活動に加え、日韓双方がお互いのことを正しく理解しあうために、「玄海人フォーラム」、「玄海塾」、「研修旅行」を始め、ボランティアによって日本の古本を韓国の大学に送る「古本サンタクロース」、日韓両国の合唱団の相互訪問による音楽を通じた交流などを行ってこられました。

新しい日韓新時代に相応しい、双方向の草の根国際交流として、「玄海人クラブ」は大きな期待を担っているのです。

お父上がお亡くなりになる前に彼女に仰った「君は玄海灘に股を広げて立っていなさい!」という言葉は、普段温厚で上品なお父様が発するような言葉ではなかったそうですが、彼女に志を託する強いお気持ちから、これが遺言となってしまわれたそうなのですね。この話はとても感動しました。

どうしても日本と馴染めない、娘さんである彼女に父上は・・・・、

「何故引き算でモノを考えようとするのか!足し算でものを考えなさい、君は両国のどちらも知っているのだから・・・。」

そうなんです。日韓は今から足し算でモノを考えないと本当に理解しあい、お互いを慮る真の隣人愛は生まれないし、根付かないのだと思います。

日常の私達の社会ですらまったくその通り・・・。プラス思考とも言えますし、前向きに生きるともとれる言葉・・・・足し算思考がいい。この話を30年以上も前にお話になったお父上は、とても人間的に優れたお方であったのでしょうね。

素晴らしい、お父上、それに応えた素晴らしい娘さんの物語

とてもスケールの大きいドラマを思わせます。

この間の彼女の活躍に対して韓国政府が敬意を表されたのがこの勲章なのです。

李明博大統領のお名前もちゃんと・・・・・。

そして勲章の実物も撮影してまいりました。

さすがに儒教のお国柄、人の想いに報いるところが・・・・。

そして我々も玄海灘を跨いで、存在する両国併せて2億人の玄海人になろうではありませんか・・・・。

玄海人クラブのホームページはこちら