21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

ゲーム理論を要約する。

2010年11月14日 12時52分50秒 | Weblog
ふと思った。
「ゲーム理論」って何のために存在するのだろう?


例えば、
「囚人のジレンマ」

要約すると、
「信じていた人に裏切られると損をする」
ってこと。
そんなの小学生でも知ってるよ。
わざわざ「ゲーム理論」って立派な名前を付けなくても良いのに・・・・・

ゲーム理論から発展してきた理論に、
「相互確証破壊」
ってのがある。

簡単に言うと、
「確実に報復するのに十分な武装をすることで、敵に攻撃させる気を起させない」
ってこと。

それが現実に成り立つとしたら、2001年の「世界同時多発テロ」は起きてない。
「イスラエルとパレスチナの紛争」が続いていることも説明できない。
イスラエルはテロが起きるたびに、
・主犯格の指導者
・テロの実行者
の両方を確実に暗殺してきたにも関わらず、未だに、イスラエルを狙うテロ事件は後を絶たない。
「相互確証破壊」って、無意味


他にも、
「ナッシュ均衡」ってのがある。

簡単に言うと、
「交渉をしたら、2人が一番満足するところで話がまとまる」
ってこと。
これも当たり前の話じゃん。
わざわざ「ナッシュ均衡」みたいなカッコイイ名前を付けなくても・・・
ちなみに俺が交渉人だったら、まとまる話もまとまらない自信がある。笑
その場合は、「ナッシュ均衡」が存在しないことになるわけだから、やっぱり「ゲーム理論」はおかしい。名前はカッコイイ。




「相手のルールでゲームしない」
みたいなのもあった気がする。

例えとしては、
『コップに水が半分だけ入っているのを見て、
・半分しかない
・半分もある
どちらだと思いますか?』みたいな質問に、
「コップが大きすぎると思います」って答えろ。
って話。
「有利に交渉を進める手段」と言うよりも、
そんな答え方が出来る時点で、すでに相手よりも優位に立っている気がしなくもない・・・
相手を怒らせるのが怖い状況だったら、とてもじゃないけど、相手のルールを無視することなんてできない。


「ゲーム理論」の一環に、「最終提案ゲーム」ってのがあります。

ルールは、
『2人一組のゲーム。
お互いは相手を知らない。
ゲーム中に2人は顔を合わせない。
ゲーム中に交渉はできない。
ゲーム後も2人は顔を合わせない。
一方が「配分者」、他方が「受け手」としてプレーする。

まず、配分者は1万円を2人の間でどのように分けるか決める。
次に、受け手がこの分配額にOKを出すかどうか決める。

受け手がOKを出せば、受け手にも、配分者にも、それぞれの取り分が入る。

受け手がOKを出さなければ、2人とも1円も貰えない。』

実は、このゲーム、全く意味がありません。

と言うのも、ゲーム参加者の「出身地」によって、結果が変わるからです。

なので、「参加者の出身地を当てる」のには役に立ちます。笑

「ゲーム理論」は、学生の出身地を当てるために発達したのかね?



『最終提案ゲーム参加者が「経済合理的」な場合、

配分者は、
・自分の取り分を 9999円
・受け手の取り分を 1円
と分けます。

受け手は、
・OKした場合の取り分 1円
・拒否した場合の取り分 0円
を比べて、「OKした場合」の方が取り分が大きくなるので、OKを出します。
そのため、取り分は 9999円 対 1円 になります。』


一般にアメリカ人の考え方は、これに似ていて、配分者の分け方の平均は、8000円 対 2000円とかに近くなるようです。

日本人の場合は、ほとんどの場合、5000円 対 5000円前後に落ち着きます。

インドネシアのとある島で、この実験をしたところ、2000円 対 8000円に分かれたらしいです。

日本人にはもっと「思いやりの心」を持って欲しいですね。

「受け手が拒否する最低金額」も、これに合わせて上昇します。

道を歩いている人に突然声をかけて、最終提案ゲームの説明をし、「あなたは受け手です。配分者はあなたにーーー円を提案しました。
受け取りますか?」と聞いた場合。

声をかけられた人は、金額が何円であろうと「受け取ります。」と言えば臨時収入が入るにもかかわらず、拒否する人が出てきます。

突然声をかけられて、「この10円あげます」と言われた場合と、

「配分者の取り分は9990円です。あたなの取り分は10円ですが、受け取りますか?」
と言われた場合だと、感じ方が違います。

どっちにしろ、「気味が悪いから受け取りたくない」と感じる人も出てくる気がしますが・・・

4 コメント

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Unknown (学生)
2010-12-06 13:48:24
 囚人のジレンマや両性の闘いなどの例は支配戦略やナッシュ均衡、あるいは混合戦略の概念などを説明するために用いられているだけで、実際の分析にああいった例を使っている研究者なんて一人もいません。囚人のジレンマの要約が「信じていた人に裏切られると損をする」って・・・^^;あれを要約するなら「支配戦略均衡の概念はナッシュ均衡をより精緻化したものといえる」「支配戦略の逐次除去により解が得られた場合、それは必ずナッシュ均衡解である」ですよ。
 また、例えば貿易や国際的コミットメントのゲームにおいては「信じていた人に裏切られても損をしない」場合も(利得構造次第で)フツーにあります。またナッシュ均衡は「両者が一番満足するところ」でなく「相手の戦略を所与として各プレイヤーが他の戦略に移行する誘因を持たない状況」です。一番満足するところが実現する例なんて稀でしょう。全然当たり前じゃないですよ(笑)
 次に、相手のルールでゲームしないというのはおそらく各プレイヤーについて情報の非対称性が存在するために各自が想定するゲームが異なる、つまり各プレイヤーが所与の情報をもとにゲームの手番や利得構造を想定するというものです。この分野は比較的新しいですが、例えば私的情報の開示を受けて両者のゲームが結合するなど興味深い性質があるために汎用性が高いと評価されています。コップの例はゲーム理論における例とかけ離れすぎています。ゲーム理論は閉じた系で扱われるもので、ゲームからの逸脱の可能性が存在する場合は諦めるかモデルを拡張するか、というだけの話です。
 最終提案ゲームは事例がかえって分かりにくくさせている部分はあるとは思いますが、あの事例の本質は動学的(時系列的)な手番を導入することで最終的な整合性にズレが生じる可能性があるということです。国際的なビジネスや政治においてはこの手番を考慮したゲームを土台としてコミットメントを考慮することにより“悪い方”に均衡せず両者にwin-winの関係を築かせるためのインセンティブ設計などが盛んに行われています。それからゲームというのは多くの仮定の上に成り立っています。仮定ひとつで均衡が変わります。つまり利得は何を基準にするか?というような議論が非常に重要であって、ゲームの解き方は極端な話どうでもいい。出身地で結果が変わるなら、それを利得構造に組み込まなかったのが悪いということ。例えばアンケート調査により出身地別に帰属意識の強さについて多変量解析を行い、アイデンティティの重み付けを行ったパラメータを利得に換算して導入するといったような手順が必要です。でもこの場合、その話は現実への適合性がどうこうではなく、動学的不整合性についての議論を読者により深く理解してもらうために背景付けをしているにすぎないんですよ。下らない揚げ足をとって勝ち誇ってどうすんの。

>「ゲーム理論」は、学生の出身地を当てるために発達したのかね?
皮肉が下手ですね。いわんとするところは文脈から分かりますが、その文脈が上述したようにアレなんで頭の弱さを露呈していますね。


 最後にもうひとつ加えておくと、ゲーム理論を用いた研究においては利得は一般式、すなわちパラメータで表されます。諸学者向けの入門書には載ってないこともありますが連続関数の場合も当然あります(この場合ゲームの表現は戦略系でも展開系でもありませんが、概念は一緒です)何もしないときの利得を「0」と置く場合はよくありますが、「この場合の利得は5とする」なんて書いてある論文はありません。ひとつでもいいから論文読んでください。


 ずいぶんと攻撃的な文章になってしまいました。あなたの低レベルな理解に基づいたゲーム理論への糞以下の批判に我慢がききませんでした。ちなみに私は工学部の大学生です。研究者でないどころか経済学部生でさえない僕でもこのくらいは知ってるんですよ。経済学を胡散臭いものと考えたくなる気持ちは理解できる、というか非常に重要なことだと思いますが、浅い理解に基づいた批判はその分野を築いた先人達に失礼です。



恥を知れ。
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返信 (fu-chine)
2010-12-06 20:26:36
コメントをありがとうございます。
かなり攻撃的な内容で、私は心が痛みましたが、理系の方からの貴重なコメントでしたので、公開することにしました。

実はタイトルを「ゲーム理論を要約する」としましたが、上記コメントを読んで頂けると分かる通り、本文の内容はゲーム理論と無関係です。「ゲーム理論」を研究されている方には謝罪します。(個人的には、謝罪する必要のないほど、本文の内容は「ゲーム理論」とかけ離れていると思いますが・・・)

本物の「ゲーム理論」は数学です。そして、多くの仮定の上に成り立っている経済学にも応用できます。

本文に出てくるのは、「社会は論理的に成り立っている」と言う幻想を与えている「エセ・ゲーム理論」です。

私が伝えたかったのは、「生身の人間は計算通りには動かない」と言うことです。

今日も、財布に3万円を入れて出かけ、何箇所かで買い物をした後、帰宅時に財布を見てみたら、残っていたのが1万8000円前後でした。レシートを足し合わせてみたところ、9000円前後しか使ってないので、約3000円足りません・・・。レシートを貰わずに、どこかで使ったはずなんですが、思い出せません・・・。

人間はそんな生き物です。「引き算」でさえ日常生活に応用できません。
返信する
Unknown (学生)
2010-12-07 14:07:55
 まさかこんな文章をコメントに反映していただけるとは思いませんでした。その点にまず感謝です。内容についてこれ以上あれこれ言う気はありませんが、ひとつ補足させていただきたいのは、私がここまで極端に噛みついた理由として近年のゲーム理論の普及に関する状況が挙げられるということです。
 
 新書などで細かい数式など用いず定性的にゲーム理論の初歩を扱ったものが増えており、サラリーマンや学生に広く知られるようになったと聞いています。これを学者や研究者の方などは概ね喜ばしく思っているようですが、ネット上のブロガーや私の周りの経済学部の学生には浅い理解に基づいて「こんなの学者の自己満足だ」「現実には役に立たない」と嘲笑している人間が非常に多く感じられるのです。いくらゲーム理論に汎用性があるとは言っても、意思決定に作用する要因が多すぎる、複雑すぎるものに適用するのは困難ですし、実際には「適用できるものに適用している」というだけの話です。ですから「ゲーム理論的思考で人生をよくしよう!」なんて本は本屋の棚から手に取る価値さえないと思います。

 私はこのような状況を招いた原因はこうした著書の中で取り上げられているほとんどの事例の文脈があまりに現実を簡略化しすぎているところにあると思います。囚人のジレンマの利得は収監年数であり、囚人のバックグラウンドは一切含まれません。もしこの二人が信頼し合っていたら?刑務官がウソをついている可能性を考慮したら?そういう現実の状況との適合性に著者は触れていない。おそらくほとんどの著者はゲームの構造について話をしたがっていて、事例の文脈は感覚的に分かりやすければいいや、というスタンスで書いているのでしょうが、ここは初学者向けの本では改めるべき箇所だと思います。
 
 あなたのおっしゃるように生身の人間は、(特に私的な場では)論理的に動かない。その通りです。実際スペンスという学者がノーベル賞を受賞するきっかけとなった「就職市場のシグナリング理論」を読んだ時の僕の第一印象は「うさんくせえ^^;」でした(笑)。というのは現実の状況と乖離しかねない強い仮定がたくさん置かれているからです。さらに採用者や就職者がこんなに合理的には動かないと経験的に知っているからです。そういう意味でのうさんくささには同意します。
 ただ、いくつかの論文にカンタンにでもお目を通してもらえば、これは現実と適合していそうだな、と思えるものがあると思います。なんでこんなことが言えるのかというと、ゲームの特長は、利得の値の「大きさ」でなく「序列」を基準として定性的な議論を可能にするところだからです。つまり上の僕のコメントの中の「閉じた系」についての議論は十分に可能だということです。


 最後に昨日のコメントがあまりに幼稚すぎたことについて謝ります。ごめんなさい。
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返信2 (fu-chine)
2010-12-07 19:47:39
コメントありがとうございます。
折角の機会ですので、全てのコメントを公開させて頂くことにしました。

現代社会には、本物の「ゲーム理論」と「エセ・ゲーム理論」があります。

本文の主旨は「エセ・ゲーム理論を信じるな」と言うことです。あまり難しく書いてしまうと、「エセ・ゲーム理論」に騙されている人達には理解が出来なくなると思うので、本文は現状のまま残したいと思います。

「本物のゲーム理論の要約」を探して、このブログにたどりついた方には謝罪します。


少しだけ、別の内容を追加させて頂きます。
・インターネット上の情報の多くは「フロー」です。流れて来て流れて行ってしまいます。ネット上に「今日ある情報」のほとんどは「明日」には価値を失います。それに対して、論文等で発表されている研究内容の多くは「ストック」出来る情報です。貯めて行くことが出来ます。
結論・ネットをする時間があるのなら、本を読みましょう。
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