炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

エキスコン(9) -メモリ中心のシステム-

2011-02-28 13:06:59 | Weblog

 このエキスコン・シリーズはExtreme–scale ComputingというIEEEComputerで掲載された特集記事に啓発され、2009.12.15から開始した。その背景にはスーパーコンピュータ、つまりスパコンのことが事業仕分けの話題になっていたこともある。

 

 最近になると、数の単位としてExa(エクサ、1018乗のことで、100万兆すなわち100京)という単位が取りざたされている。このシリーズを叙述している本人もいつの間にかエクサコンと思いこむことがある。

エクサとはとてつもない大きな数の単位である。ヒトの脳細胞は、1010乗個、つまり100億個の細胞があるといわれているから、1Eという単位の数は、日本人口1億数千万人全体を集めた脳細胞数にほぼ相当する。

 

最近手元に届いたIEEEComputer 2011年1月号にRangananthan氏が“From Microprocessors to Nanostores: Rethinking Data-Centric Systems”というタイトルで記事を書いている。

その中に、Google2002年に5Eバイトの記憶量を扱っていたが、2009年には280Eバイトの記憶容量と7年間で56倍に拡大しており、すでにエクサの単位の時代に入っていると指摘している。さらに同期間のモーアの法則による増大率は16倍と見なされるので記憶量に関しては、それより遙かに早い進展状況であるともいう。

コンピュータの発展に関してモーアの法則(Moore’s Law)がよく引用される。1965年にINTEL創始者のモーア氏が、ほぼ2年ごと(この時間間隔は発言時期よってことなるが)に半導体素子の複雑度は倍になることを示した。この法則はコンピュータの能力を左右する半導体技術の進歩状況によくあてはまることから、しばしば引用されている。

Rangananthan氏は記憶容量に関してはモーアの法則を遙かに追い越す勢いであるという。

 

しかしそれだけではない。

上記の英文表題の意味を改めて眺めてみよう。つたない訳をすると「マイクロのコンピュータからナノ規模の記憶へ:データが中心となるシステムを再考する」となろう。別の言い方をすると「コンピュータよサラバ、メモリが中心となるシステムよコンニチハ」とすればわかり易い。ここで記憶素子とか記憶機構のことを含めてメモリといいかえておく。

このテーゼに沿って、しばらくメモリ中心システムの話題を展開しよう。

 

Googleのエキサ規模のメモリはどのような効果をもたらしているか。

かって「炉端での話題」で検索のことを取り上げたことがある。その後の検索に拘わる事情はどうか。

試しに「炉端での話題」をキーワードとしてGoogleで検索すると2011年2月25日には164000件の結果が0.09秒で与えられたと示され、有難いことに、このブログが最上位に表示される。このように短時間で膨大な量のタイトルからキーワード検索するためには何かの仕掛けがあるはずである。

ここで「炉端」と「話題」を切り離したキーワードにして検索すると件数は164000とおなじであるが、時間は0.10秒とわずかながら長くなり、「炉端での話題」の表示結果は第3位に転落する。この検索をYahoo で行っても同じ結果であり、驚いたことにBing JWordでも全く同じ結果として表示される。いまやGoogleの検索エンジンが支配権を確立したといえそうである。

あくまで推量の範囲であるが、Googleの検索エンジンは、キーワードをコーディングしたアドレスを用いて膨大なメモリにアクセスするのではなかろうか。ここでアドレスとはメモリに記録されている位置を示す番地のことである。アドレスを指定することでその位置に記録された情報を読み出したり、あるいは書き換えたりできる。

Google上での検索アドレスは、それまでにその情報にアクセスが繰り返された頻度をもとにコーディング化されているであろう。

 

別の説明をしよう。辞書を引くことを想像していただきたい。

調べたい単語をキーワードとしてページを繰り、ABC順とか、アイウエオ順にアクセスすることで、目的とする単語の意味を辞書の中から見いだす。このことを辞書式検索という。

メモリの場合はアドレスを示して、その位置の情報に直ちにアクセスできる。Googleの検索エンジンは、ネットワークで結合された膨大なメモリについて辞書式検索を行うと推量する。ネットワークで結合されたメモリは、いま話題をさらっているクラウド(cloud)といいかえることもできる。

 

Rangananthan氏は、このクラウドが、これまでのマイクロのコンピュータに置き換えられる可能性を述べている。この延長線上で夢物語を述べると、いまはクラウド規模であるメモリを主体としているシステムが、やがてはメモリを中心としたシステムとしてパソコン程度におさまることになる。

 

この2月26日のNHKの放送、「追跡! AtoZ メガリークスの驚異」が放映された。放送内容を見ていると、メモリはギガバイトのデバイスが写っていたから、メガリークスのタイトルはふさわしくない、ギガリークスの方がより正確なタイトルであると内心思ったものである。やがては「エクサリークスの驚異」が起こりうるかも知れない。再度にわたるが、1エクサは日本総人口の脳の細胞数に匹敵する。

 

 さてメモリ中心のシステム実現可能性の背景について、あまりに長くなるので改めて述べることにしたい。

(納)


フィッシング電話では?

2011-02-25 16:47:11 | Weblog

 この2月23日のことである。電話がかかってきたので受話器をとりあげた。最近は、「はい○○です」と自分の名前を直ちに告げるマナーは実行していない。その理由はおわかりいただけるであろう。

 

 何となくか細い声で、「そちらから電話をいただいたのですが、何でしょうか」という。その日は電話をかけた覚えはない。「電話番号を間違ってかけていませんか」とたたみかけたところ「×××の△▽▽△ですね」という。確かにこちらの番号で、間違いない。

 「こちらにこの番号で2度も電話がかかってきた記録がありますので、折り返し電話しているところです。実は両親がいなくなって心配しているところなのです」と消え入りそうな声で訴えるように言う。中学生程度の女の子か、男の子かと想像できる。

 

 「おや、それは心配ですね。しかしこちらからは電話していません」というが、「確かにこの電話番号が記録に残っています。しかも2回もかかってきています。私の家の名前は○×です」と電話の主は自分の名前を告げるが、いささかしつこい。

しかし昨日は電話をした覚えはない。その名前も心当たりはない。「何かの間違いでしょう」というと「家族の方に聞いてみてください」という。家族は留守でいない。「家族の方に代わってください」といいだす。「家族はいませんよ」と答えると、言葉巧みにこちらの名前を聞き出そうとする。「両親が心配なのです」と再び言う。

 

 いかにも哀れに訴えるので、ついにこちらの名前をうっかり言うと「そうです。この名前は父から聞いたことがあります」という。

 ついに電話を切ることにした。「電話をした覚えはありません。何かの間違いです。もし心配なら、この電話番号を警察に告げて、調べてもらってください」と告げた。

 そのあとに電話はこなかった。

 

 以上のやりとりは少しばかり省略して記述したが、実際にはもっと複雑で長時間であった。あとからゆっくりと思い出しながら考えてみるとフィッシング電話ではなかったろうか。

電話をかけなかったにも拘わらず、電話番号の記録があるという。電話会社がそのような間違い番号の記録を残すだろうか。しかも2度も。

 会話の内容は、名前を聞き出すこと、年齢を問いただすこと、家族を電話に呼び出そうとしたことなど。これらの情報がそろえば、振り込み詐欺に利用できるかも知れない。

 年齢不詳だが、子供らしい様子で弱々しい、聞き取り難い声であった。

 

どなたかこのような電話を受けた心当たりがないだろうか。これから、もし同じような電話を受けるとすれば、新たな詐欺の手口かも知れないので御注意いただきたい。

(応)


重力とエネルギー

2011-02-18 18:22:04 | Weblog

 青さんの「珍論奇説(その4)-私の輪廻論」の最初の部分に「物質とはなんですか」という問いに対して「エネルギーだ」という答えは、まことに絶妙であり、考えさせられている。「なるほどそうかも知れない」と思うし、「いやまてよ、そうかな」とも疑問を持つ。

 

 そこに届いたのが、友人から送られてきた「重力波をつかまえろ」という読売新聞2月6日、サイエンス記事の切り抜きである。アィザック・ニュートンが、物質があれば、そこに引力すなわち重力が存在することを提示したことは、万有引力として知られている。しかし物質があれば重力がどうして発生するのか、いまだに科学的に解明されていない。

この万有引力の原理によれば、物質の量が変化すると重力が変化する。最近になって噴火を繰り返し、今日のいまも霧島山系・新燃岳の噴火を予知するためにマグマ溜まりの量を高性能の重力計で測定を行っていることが報道されている。物質の質量が変化するとその変化量が波として伝搬するとすれば、それが重力波とみなされよう。しかしながら重力波の説明は、このように簡単なものではないことはおことわりしておく。

 

 「まてよ」と思っている理由は、青さんのブログでも述べているように、アインシュタインによる特殊相対性理論をもとに示した E=mC として表される式も「エネルギーを持つ」、あるいは「エネルギーと等価」と解釈することができ、質量はエネルギーそのものではないと考えられる。物質が存在することで重力が存在し、重力はエネルギーを発生させるがエネルギーそのものではないことと同様である。

 以上のことを踏まえると「物質は、ポテンシァル・エネルギーである」とすれば、疑問は少しばかり解ける。ここでポテンシァルとは、「可能な」という意味に解釈する。つまりポテンシァル・エネルギーとは「エネルギーに変わる可能性があるもの」とするのである。

 

 青さんの輪廻論は、哲学的な側面があるので、そこまで踏み込むことは避けたい。

 

ヒトが質量として存在するときには「ポテンシァル・エネルギー」があり、そのヒトが成した業績も「ポテンシァル・エネルギー」として残る。ヒトが物質として崩壊するときには熱エネルギーとなり、約2.7ケルビンの温度(ケルビンは絶対温度の単位で、絶対ゼロ度は-273.15℃)といわれる宇宙温度に放散される。

 エネルギーから物質が生成されたとすれば、物質が崩壊するときにポテンシァルを失い宇宙のエネルギーに戻されると私は解釈する。

 青さんの高い業績は「ポテンシァル・エネルギー」として存続すると信じる。

(納)


トルコの経済事情 -炉端老人のコメント-

2011-02-17 20:32:38 | Weblog
おっ、久しぶりにきたな、なにインフルエンザに罹かってたというのか。もう大丈夫だろうなぁ。あまりソバによるなよ。
ナニナニ、おみやげは蕗の薹かい。こりゃあいい。関東地方では雪だったね。その雪をかき分けて採ってきたばかりの新鮮なものか。おーい、ばーあさん、早速テンプラにしようよ。

うん、トルコの旅行の話題はいくつか読んだよ。そう、美しい若い女の子達がパッケージ旅行に参加していて、華やいだ様子もよくわかって楽しく読んだ。
そうか、ある大学の商学部の学生で就職がきまったことでの御褒美旅行だったのかな。この就職難の時期に、ほのぼのとする話題だなあ。
その旅行中、その女の子たちに質問を投げかけたことは、たしか書いてあったな。日本からトルコに何を売って、何をトルコから買うかという話だと思った。商学部の学生さんだから、確かな返事があったのかい。
おやまあ、帰り際にハガキに書いてくれたメモを帰国便の座席ポケットに置き忘れたの。そりゃあ、おまえさんのいつものドジぶりだ。
そうか、今日はトルコの経済のことで雑談にきたの。いいよ、おつきあいしよう。

そうだ、少しばかりトルコ旅行中の経済的な話題をおさらいしておこう。トルコはECには加盟していない。ECに加盟したいという希望を持ったこともあるようだ。EC加盟している隣国のギリシャ国家経済が2010年に破綻しかねない様相となって、EC加盟国がギリシャの救済にのりだした。それが収まりかけた頃、トルコの観光旅行に行っていたわけだ。トルコ人の女性添乗員が‘いまさらECに加盟することはない’と言ったそうだが、ECに加盟することの不安感、またトルコの経済状態が健全になりつつあることだろうなあ。
トルコは農業国として自給自足できているといっていたね。おまえさんの見たところ農村は豊かそうだったのか。それでトルコの国債を買うのはどうかっていうのかい。
はてさて、それはどんなものだろうか。
トルコ・リラは2010年11月ごろ、いくらぐらいで交換したの。ほう1トルコ・リラが60円ぐらいだったのか。いま2011年2月には、1トルコ・リラが50円に近い。わずか2ヶ月の間だが、10%近く下落している。エジプトのムバラク大統領が民衆のデモのために失脚し、憲法まで変えようとする政変の影響もあるかも知れないな。

これはさておくとして、トルコではかって猛烈なインフレーションに襲われている。1974年には1米ドルが約14トルコ・リラだったのが、10年後の1984年には440トルコ・リラ、20年後の1994年には38410トルコ・リラ、さらに2004年にはなんと1米ドルが150万トルコ・リラになっている。パンを一個買うのに100万単位のトルコ・リラ札を使うことになった。
そこでトルコ政府は、2005年1月に、100万リラを1リラとするデノミネーションを行った。ゼロという数字を6個消したわけだ。
 仮に1974年に1億トルコ・リラの国債を購入していたとしょう。30年後にはパン100個程度しか買えないことになる。1974年の1億トルコ・リラで家1軒は購入できたと想像できるよ。

おまえさんは、このようなトルコ国債は買いたいと思うかい。
どうしてこのような猛烈なインフレーションになったのかな。
小耳に挟んだところによると、トルコでは、政治と宗教の分離政策による民主主義が導入されて、政治家の民衆による選挙が行われるようになった。そこで政権を取りたい政党はバラマキ政策を公約した。政権を奪取したら財源がない。そこで国債を乱発したからであるというのさ。どこかの国で起こっていることに似ているねぇ。

さてこれは真実だろうか。
経済動向は魔性にかかわると思わないかい。民衆の心理動向に支配されるから、予測できない方向に経済情勢は転向する。最近の例ではリーマンショックがある。
トルコがどうしてこのようなインフレーションに見舞われたかを調べたレポートがある。インターネットでたまたま見つけたものだがね。
東京外語大学の修士卒業論文として田中聖子さんが書いたもので‘金融危機の発生原因 -トルコにおける考察-’だ。2004年に書かれていたから、デノミネーション直前だよ。必ずしも専門家ではない大学院学生のレポートではあるがよくまとまっている。

これには政党のバラマキ公約のことは書かれていない。慢性的な貿易赤字、それに伴う経常財政赤字、新規にあみだした経済政策の失敗、失業者の増大と国民総生産の退潮などなど複雑な要因がからむようだ。

このレポートを一読した私の印象だがね。トルコの民衆は数十年にわたる猛烈なインフレーションで自国の通貨価値がよくわからなくなったことも原因があるだろう。このようなインフレーションのもとでは、誰も貯金などしない。宵越しの金は持たない、という江戸っ子の見栄がそのまま適用される。

そう、日本でも第二次世界大戦後には、猛烈なインフレーションに見舞われた。当時は働いても大して収入は得られず、しかも食糧もなく、飢え死しそうだった。そんなときインフレーションで高くなった食糧でも‘生きる’ために買うよ。とても貯金などできない。
最近の報道によると、政変後のエジプトは食糧難になりつつあるというから、エジプトもインフレーションに襲われるかもしれない。

えっ、日本はどうかっていうのかい。経済の専門家ではないこの老人にわかるわけはないだろう。
だがねぇ、あえて最近私が考えていることを話ししておこうか。
日本ではバブル崩壊後、デフレーションのために物価の変動は少なかった。そのために民衆は閉塞感に陥っていた。ほぼ20年近くになるかな。
 閉塞感のない社会とはどういう社会なのかって。それはね、年率数%の経済成長、それにともない物価の上昇をひきおこすから、貯蓄の利子もそれに見合う利率であり、当然ながら給与も上昇するから、安定成長として民衆の閉塞感はないという社会なのだ。
そこでだ。20年間の安定成長のツケがいきなり襲いかかるとしてもおかしくない。年率数%の物価上昇が20年続いたら元の価格の何倍になるのか、計算すればすぐわかる。仮に年率2%ならば20年で1.5倍、3%ならば約1.9倍だ。20年で物価が2倍程度ならば、まあいいのではないかな。長い間一定だったという閉塞感から、いきなり物価が2倍になるようなインフレーションとなれば衝撃は大きいので避けなければならない。しかし、何かのきっかけから緩やかなインフレーションに突入するかも知れない。

 昨日の報道では、コーヒーが高くなるらしい。ここ数日中にスーパーからコーヒーはなくなるかも知れない。コーヒーがなくなっても飢えることはないから、これでインフレーションの原因になることはないだろう。小麦とかトウモロコシの値段も高くなりつつあるというから、複合するといささか問題だな。先ほど言ったようにエジプトではくすぶる。

おう、長話の間に、蕗の薹のテンプラができたようだ。有り難うよ。
このほろ苦さはまことにいい。このほろ苦さ、閉塞感を遠ざけてくれる。
おーい、ばあーさん、酒は辛口がいい、ヒヤでもってきな。
(納)

エキスコン(8) -大きな消費電力の問題-

2011-02-16 15:43:25 | Weblog

 DARPA が諮問した2015年にエキスコン実現可能性の課題に対し、提出した報告書をもとにコゲ(Kogge)教授は解説記事を書いている。このことは前回のエキスコン(7)で紹介した。

 この解説記事をさらにひもといていこう。

 

まずは消費電力の問題に着目している。現在市販されているマルチコア・プロセッサは消費電力が大きい。最新の技術的な情報資料をもとに一例をあげる。INTEL Xeon 5600 シリーズでは6コアを収容した単体で約100ワットを消費する。前回述べた中国のスパコン天河-1Aは186368コアという。仮にXeon 5600シリーズを使うものとすると約3万個のプロセッサを必要とするから、それだけでも3メガ・ワットの電力を消費する。メモリを含む周辺回路の消費電力を合わせると4-6メガ・ワットになるであろう。

 

 イリノイ大学に設置がすすめられている「ブルー・ウォーター」と呼ばれるIBMが製作しているスパコンは15メガ・ワットの消費電力が見込まれている。この規模から、エキサコンを実現するとなると単純計算で100倍の電力が必要になるから、消費電力は1.5ギガ・ワットであり、エキサコンのそばには原子力発電所を設置しなければならない、とコゲ教授はため息をもらす。

 発熱量を減らすためには、演算素子の電圧を下げることが考えられる。現在市販されているプロセッサには3ボルト程度の低い電圧で動作するものもあるが、これを0.5ボルト程度で動作できるようにしたい。その実現可能性はあるという。しかし電圧が低くなると演算速度が遅くなりばかりでなく、ノイズにも弱くなるから、演算の誤動作も多くなる、とこの傾向にもコゲ教授は懸念を示している。

 

 演算速度を早くするためには電力が必要である。この課題を克服する手段があるだろうか。あるかも知れないと考えている。

 

 いまディジタル制御素子は、ほとんどが同期式といって、ある一定の周期を持つクロックパルスで動作する。そのため、直接必要のない機能の部分まで見かけ上動作させている。ヒトの脳神経動作を調べていると、必要な部分だけに電気的パルスを伝搬させていることがわかる。必要のない部分の脳神経回路は動作させない。このような動作方式のことを非同期方式といって全体を動かすための周期的なパルスはない。非同期方式をディジタル制御回路に採用すれば、大幅に消費電力が削減できるのではなかろうか。

非同期式ディジタル制御回路の設計に関して、日本では東京大学で南谷 崇教授が優れた研究開発を行っている。南谷教授の指導の元に開発された非同期方式のプロセッサがテレビ放送で紹介されていた。強い印象として残っている。

 スパコン、いやエキスコンの実現を目指すには、消費電力の低減化が避けて通れないとすれば非同期式のプロセッサを開発してはどうか。さらにはデイジタル・カメラなど、あらゆるディジタル制御機器を非同期方式で動作させれば、省エネルギーに大きな貢献がもたらされ、そのゆえに大きなマーケット商品となるかもしれない。

 

 コゲ教授は、消費電力を削減することこそエキスコンに必要であると説いているが、非同期方式に関して、参加したエキスパートと議論の対象としたのかどうか。このことはDARPAの報告書を参照できないからわからない。

 少なくとも学会の読み物記事にはふれられていない。

(納)


Windows 7 -窓を飾る感性-

2011-02-15 09:39:02 | Weblog

 これまで、筆者は情報工学にすこしばかり関心があり、その学問的な基礎のイロハ程度のことはわかっているつもりでいた。

しばらくWindows 7 とつきあっていると、これは学問の世界による進歩からもたらされたものではない、感性の世界の展開であるという想いがする。パソコンと向き合って、いかにヒトが感覚的に楽しく、しかも容易に使えるようにすることに指向したシステムである。ゲーム感覚の延長線上といえるかもしれない。

パソコンに搭載するOSシステムを開発するエンジニアに要求される素質は、情報工学の学問的な基礎知識ではなく、優れた感性である。

 

 一つ例を挙げよう。

タスクバーの領域にあるマークにカーソルを置くとそのタスクが実行中の様相を半透明な小さなのぞき窓を表示する。そのミニチュア・サイズの窓にカーソルを移すと、かりそめの全景の窓になる。さらに全景の窓をクリックするとその窓が実存に変わり、その上での作業が可能になる。WORDなどで複数の作業を同時並行的に実行し、しかもメイルを作成するなどは都合がいい。あるいはマッキントッシュで開発された技法をもとにしてWindowsで採用されたのかも知れないが、情報工学でのアカデミックな内容には関係がない。ヒトの感性にかかわる技法である。

 タスクバーのプレビュー機能と紹介されている。

 

 さらに楽しいこともある。

デスクトップの背景にスライド表示ができる。昨年旅行したおりに撮影した約600枚に上るディジタル写真をそのままスライド上映しながら、このブログも書き留めている。 ある写真では旅の想い出にひたり、しばしくつろぐ。

 時には他人に撮ってもらった自分の顔に驚き、これはない方がいいと思う。あわててスライドからはずす。

これに味をしめて、古いカラー・フイルムのディジタル化も行っているが、今のディジタル写真にくらべると色彩の再現性は悪く、解像度もよくない。安物のフイルム・スキャナーのせいだけではない。さらによろしくないのは古いフイルムにはカビが生えていて変色していること、スキャナーで取り込むときにホコリが写り込むことである。

 

 特にマイクロソフトから宣伝を依頼されているわけではないのから、このくらいにしておこう。

情報工学の基礎から学んだエンジニァではなく、ヒトにかわる感性を心地よく刺激できる能力を持った人材がパソコンOS開発に必要となっている。このような人材のことを、かっこうよくいうと「アクティブ・インターフェイス・デザイナー」、日本語で言えば「入出力操作装飾設計者」とでもいえよう。

これが Windows 7 を使い始めた初心者の感想である。

(納)

珍論奇説(その4)―私の輪廻論

2011-02-14 17:27:30 | Weblog

材料の研究をしている友人に、或る時、「物質とは何ですか」と尋ねた。いまから思えばこの質問は珍妙だが、答えもまた変わっていて、「エネルギーだ」と言う。聞いた当初は、ちんぷんかんぷんで、その意味が全く分からなかった。

その後、ある科学雑誌に、宇宙の星の起源をコンピュータでシミュレーションした画像と、記事が載っているのを見た。はじめ、宇宙にはエネルギーが一様に満ちていたが、或る時、そこに何かのきっかけで揺籃が起こり、エネルギーの局所的集中(偏在)が生じた。この集中がさらに進んだ結果、そこに星が生まれた、と言うのである。なるほど、物質はエネルギーだと言う友人のご託宣も荒唐無稽な話しではなく、科学の最先端の宇宙観に基づいていたのだ。そういえば、有名なアインシュタインの関係式(方程式という言葉はあまり好きではない)E = m×C2E:エネルギー、m:質量、C:光速)もエネルギーと質量(物の量)を結びつけるものだった。質量が消滅するとそこからすさまじいエネルギーが生じると言うのが核エネルギーだ。

ここまで来ると、私の体はものの集まりだから(すざましい)エネルギーの集積だ、と言う考えが浮かぶ。私の死後、肉体は消滅するが、エネルギー不滅の法則によれば、私のエネルギーは世界のどこかに残るのだろう。再び、エネルギーの集中に巻き込まれてどこかの物質の一部に組み込まれるかもしれない。ばらばらかもしれないが、私のエネルギーは世界のどこかに存在するのだ。私は消滅しない、という不思議な感覚に捉われる。このような馬鹿げた推論を真剣に信じているわけではないが、こう考えると若干心が休まるではないか。

年をとり、自分の体が全体として統括されているというより、あちこちおかしくなって、ばらばらになっていく感じに捉われることがある。エネルギーの集中が保てなくなって分解しかかっているのだろうか。だとすると、エネルギーの集中を保つ力(?)はどこから来るのであろうか。(エネルギーと言う観点からはなれて)物質は、極限的には、素粒子の集まりであり、それら素粒子を引き付けておくための力が、電磁気の力、重力など(もう一つあげられていたよう気がするが)の外にあるのではないかと考えている物理学者の疑問が、身近に感じられるような気がしないでもない。(青)


Windows 7 -アンインストールできないソフト-

2011-02-14 10:55:13 | Weblog

 次世代のスパコンとしてエキスコンの話題を取り上げているが、ここでWindows 7 のことに口を挟んでおきたい。

 

 昨年の夏場の暑さでついに長年使い込んでいたWindows 2000 のシステムがダウンして使えなくなった。いたし方なく、ハードウェアを更新すると共に、Windows 7 OSとして搭載した。Window XP Windows Vista に親しむことなく、10年ぶりに新世界に移動したわけである。

 これまでも少しばかり愚痴をこぼしていた。知らない間に、システムの更新をするなどがあり、ウイルスの侵入ではないかと疑うこともある。実際にウイルスに感染し、これを駆除したとの記録も残っている。

 

 ハードウェアを更新しているから、適合したドライバーが必要である。ドライバーを捜していると「あなたのシステムのドライバーをチェックします」という無償ソフトが見つかりこれを試したところ、とんでもない多くのドライバーが不足しているというメッセージが現れる。「これらのドライバーを搭載することをお勧めします」と言うメッセージが続く。これは危ない。ドライバーをダウンロードしようとすると高額な料金支払いの請求があるかも知れない、と想った。

 

 この押し売りとも思われるソフトをWindows 7 から危険回避のために削除しようとしたら、「アンインストール」できない。「変更」のみのサインしか現れない。いまだにこのサイトには食いつかれたままである。Windows 7 の欠陥を巧みに利用して、食いついたまま離れないようにしているのではなかろうか。

 

 このような好ましくないソフトの駆除は、どのようにすればいいのかわからないままである。システムを最初から立ち上げ直せばいいことはわかるが、これまでマイクロソフトによる更新があったことを考えるととてもできない。どなたか教唆していただけないものだろうか。

(納)

 

追記

 インターネットで調べると、このような困難事に遭遇しているケースが多いことがわかる。どうやらレジストリを変更すればよいらしいが詳細についてはわからない。マイクロソフトとして善処してほしいものである。


エキスコン(7) -天河- 

2011-02-12 13:13:19 | Weblog

このエキスコンのシリーズではスーパーコンピュータ、いわゆるスパコンのことを話題にとりあげている。

 

前回からすでに一年が経過しているが、その間に中国が「天河-1A」というスパコンを発表し、世界トップの性能であることを誇っている。どのような目的でこのスパコンが製造されたかということはよくわからない 

手元にスパコンの記事が掲載された雑誌が届いた。スパコンの最近の事情について専門的な立場から解説した内容である。その中にもこの中国の天河の資料がある。

 

 天河のコアは186368あるという。最近では、かってのCPUのことをコアという。複数のCPUを一つの半導体素子(ダイ、英語ではdieという単体、台という日本語がわかりやすいであろう)の中に組み込んで外観はこれまでの単体のCPUと変わらないものが製造されている。たとえば2つのCPUが一つの素子に組み込まれたものをデュアルコア・プロセッサと呼んでいる。

 天河にどのような複数個のコアをもつプロセッサが用いられているのだろうか。いずれにしても膨大な数のコアである。天河の全景は写真を見ても巨大なスパコンである。性能は4701000giga-flopsであるという。10の9乗がgigaである。より上の位取り表示によるpeta1015乗であるから、4.7peta-flopsである。エキスコンの表題に用いているエクサ(exa)で表示すると0.0047exa-flopsである。天河は、エキスコンとはいえないにしても世界最高の性能を誇るスパコンであることは間違いない。 

 このようなスパコンの性能は、一般的に標準化されたベンチマーク・テストのプログラムで測定される。従ってこのベンチマーク・テストに適合した構成のスパコンとすればギネスブックに登録できるスパコンは作成できる。いま中国で稼働し始め、スパコンの天下を取った天河による処理がどのような科学的な成果を生み出すのか注目したい。

 

 さて話題を学会の読み物記事に戻そう。その記事のタイトルは、「The Tops in Flops」で著者は、Peter Kogge氏であり、現在は米国のノートルダム大学の教授、1970年代にはIBMでスペース・シャトル用のアレイ・コンピュータの開発に従事していたと紹介されている。

 米国国防省管轄のDARPAから2007年に委託された2015年でのスパコンの性能に関する研究報告書を要約した紹介記事が「The Tops in Flops」であると筆者は解釈している。DARPAが示した内容は2015年には1018flops、記事にはquintillionと書かれているがexa-flopsと同位の性能を有するスパコンに向けての技術開発動向を明らかにすることが研究目的であるという。コゲ(Kogge)教授は、有数なコンピュータ科学者を集めたグループにより、数年間にわたり資料を収集し、多くの討議を重ねて278ページの報告書をたたき出した(hammered out)と述べている。

 

 結論から言うとDARPAが要望するスパコンの「出現は困難である、むしろできない」とコゲ教授はいいたいらしい。この話題はこのエキサコンで、いずれ取り上げてみたい。

 

 この記事を読んでいてDARPAがこのような高い性能を要求するスパコン、まさにエキサコン、はどのような背景の目的があるのか、スパコン天河と同様によくわからない。いかに高性能のスパコンを用いたとしても解けない問題があることは、これまでのエキサコン・シリーズの中で述べている。

 そのような課題に立ち向かうのだろうか。

(納)

 

追記

 紹介記事の本文をよく読んでみると天河のベンチマーク・テストは 2.57peta-flops と書かれている。これは実測結果であり、上記中の 4.7peta-flops は、名目的な値と推察できる。もし実測したのであればスパコン天河の大きな目的はベンチマーク・テストでスパコンの世界でトップとなったことを誇示することなのかもしれない。


衝撃とその影響 -政治家の責任-

2011-02-06 11:11:37 | Weblog

 いま民主党の菅内閣は、通常国会に平成23年度の国家予算案を提出している。膨大な赤字国債を抱えての新年度予算である。国会審議のかたわら、菅総理は消費税の税率を改定しなければ、この国家的な財政難を乗り切ることが困難であると考えているように様々な言動から見てとれる。

 

 かりに消費税が現在の5%から10%に切り上げられたとしよう。この切り上げは、ある日ある時からはじまるであろうが、階段的に変化することになる。この階段的に変化する動態は、前回の「報道と微分値」に述べたように、インパルスあるいはインパクト、つまり衝撃である。数学的に、階段状に変化する関数の微分値は、無限大の大きさを持ち、間隔が無限小のインパルス(δ関数と定義)として扱う。実際の現象ではこのインパルスは、ある有限の値と幅を持つ。たとえば5%から10%の消費税の切り上げより、5%から20%の切り上げの方が大きな衝撃となる。

 

 衝撃が社会的、あるいは経済的に発生したとき、その影響は衝撃の大きさとその衝撃に耐えうる構造によって異なる。社会的、経済的な構造をシステムとして見れば、衝撃の大きさによって

 ①衝撃の影響はほとんどないようにすぐにおさまる

 ②衝撃の影響はかなり大きく、時間がかかるがやがておさまる

 ③衝撃のためにシステムは破壊する

と大まかに3つの事態が想定できる。

システムとしての社会的、経済的な構造が剛健で、しかも柔軟性があれば、かなり大きな衝撃であってもシステムの破壊には至らないであろう。

 

衝撃があったとしてもシステムとしては影響がない、あるいは少なくてすむような社会的、経済的基盤と構造を整えるのがプロの政治家による政治である。

プロの政治家とは、優れた世界観と歴史観を備え、先験的な明察と予測ができる能力をもとに、将来のあるべき国家の姿を理念として持ち、しかもその理念を周囲の民衆に理解させる説得力を兼ね備えなければならない。そのようなプロの政治家が、政治に携わってほしい。

 シロウトでも頭数さえそろえば、投票によって勝ち得るから、「いま現在さえよければいい」という政策の政治を行えば、社会的・経済的なシステム構造は崩弱化して、わずかな衝撃で破壊を招く。いま日本の国体は、システムとして崩弱化しつつあるのではなかろうかと危惧の念を持っている。

(納)


報道と微分値

2011-02-01 22:40:36 | Weblog

新聞報道、テレビ報道、インターネットの報道、およそ報道という報道は時々刻々の出来事、あるいは事象の微分値情報を伝えているといえる。

 

微分という数学の用語は、おそらく明治時代の数学者が、英語のdifferential から名付けたと思われる。英語の本来の意味は「差を表す」とか「区別を示す」という意味であるから、微分よりも「差分」と呼んだ方が適切であった。微分の数学的な定義に基づく、より正確な日本語は「微少間隔での差分」であるから、これを省略して「微分」としたのだろうか。

 

報道は、事象の差分を伝えると考えれば、その内容は微分値である。

経済市況における時々刻々の株価の変動値は、微分値として報道されるから、株価の変動で一喜一憂することは、株価の微分値で感応することといえる。

 

大きな微分値はインパルス、別の横文字表現をするとインパクトである。これを日本語で表すと衝撃値である。

 

いまエジプトでは、30年近く政権を維持したムバラク大統領に対して、民衆運動が「衝撃」として働きかけようとしている。その様子を伝える報道は、確かに微分値である。

つい2ヶ月ほど前に観光で訪れた時のエジプトは、いとも静かな選挙戦の最中であった。日本の国は「おしん」のイメージと語った親日の若いエジプト人現地添乗員は、いまどうしているだろうか。

 

日本の国会の様子を生中継するテレビ報道は、微分値なのだろうか。議員の質疑内容を聞いていると、発言を微分値として働きかけようと努力しているらしい。インパクトを与える表現が報道に適しており、民主主義の名のもとに行われる選挙での集票のインパルスになると心得ているからであろう。

 

歴史的な流れの中で民衆は、小さい微分値で左右されてはならないと思うが、いかがなものであろうか。民主主義の堕落を防ぐためにも。

あるいは堕落した後に、エジプトがいま直面しているような大きな微分値に遭遇することになるのだろうか。

(納)


自尊心と自尊感情

2011-02-01 21:16:50 | Weblog

 自尊とは、手元の辞書をひくと「自分を自分で偉いとおもうこと」「うぬぼれること」「自分を尊重し、品位を保つこと」とある。識見が高いとされる広辞苑には「自ら尊大にかまえること」「自らたかぶること」「自重して自ら自分の品位を維持すること」とある。自尊心とは「自尊の気持」「自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を排除しようとする心理・態度」「プライド」と記されている。自尊心とはあまり好ましい意味ではない。

一般的に「あの人は自尊心が高い(強い)」といえば、自分が優れているように振る舞い、あまり他人の言葉に耳をかさないで独りよがりという意味で使うことがある。

 

心理学の分野では、自尊の意味を違った形でとらえつつある。最近では青少年、すなわち低学年の子どもとか思春期の子ども、さらには大学生の年代に至るまで自尊心が低下しているということが課題となっている。心理学では一般通念として広く使われている「自尊心」とは、内容に差違があることから、自尊心の代わりに「自尊感情」あるいはこの英語訳である「セルフエスティーム(self  esteem)」を学術用語として用いている。最近では自尊感情が定着しつつある。

 

様々な心理学の自尊感情の研究成果を横から眺めていると、「自尊とは、ヒトが生きるための根幹をなす感性」と解釈できる。この解釈は、心理学者から厳しい批判を受けるかも知れない。

わかりやすく例をあげてみよう。

自尊感情が低下すると自殺につながることがある。「自分はダメな人間である」、とか「生きていても仕方がない」、「自分が生きているから他の人に迷惑をかける」などと思いこむことは、ヒトとして生きる根幹の自尊感情が低下しているといえる。逆に自尊感情が高ければ、「自分は生きていく価値があるから生きる、また自分が生きていることで他の人たちのためになるから生きるのだ」と思えば、これは生きるための根幹をなす自尊感情が高いといえる。

 

そうであるとすれば自尊感情という呼び方もふさわしくない。これまでも何度か「感性」のことを述べてきた。感性とは生まれ育つ環境にあって、ヒトの自分自身の中に育成される感覚とそれに対する反応に拘わる機構と解釈すれば、セルフエスティームのことを自尊感性と呼ぶのはいかがなものであろうか。

(脳)