炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

サグラダファミリァ等の建造物のこと             

2014-05-30 10:29:11 | Weblog


バルセロナでは、観光名物となっている建造中のサグラダファミリァ教会の回りを一巡した。その一部には鉄筋コンクリートの柱がむき出しに数本立てられていた。その回りを塔として仕上げるのだろうか。残薄な知識ではあるが、鉄筋コンクリートは、表面から空気中の炭酸ガスに浸食され、やがて崩壊すると聞いているので、サグラダファミリァの建築寿命は、木造建築に劣るのではないかという想いがよぎる。
つい最近の2014年5月に筆者が撮影した写真を上記に提示する。この写真の左隅に鉄筋コンクリートの柱が僅かに見える。みっともない鉄筋コンクリート柱をまともに撮した写真を捜したが、ない。
筆者は、できる限り美しくサグラダファミリァを撮影しようとした美意識が働いたせいかなと思う。

建造計画を立てたガウディは1926年に他界した。その100年後の2026年の完成を目指しているとされている。ガウディは鉄筋コンクリートを支柱とした建造は指示していなかったと想像する。その理由は、バルセロナの中心地から北西方向に約20キロ離れた田園地方のコロニア・グエルにあるガウディが作りかけた世界遺産となっている地下教会を拝観したことから伺える。その地下教会はコロニア・グリル教会ともよばれており、天井を支える支柱は、下記の筆者撮影写真のように玄武岩の原石を切り出したものであった。玄武岩の天井を支える柱は斜めにしつらえられている。斜め方向に巨大な重量を支える柱を見たのは、はじめてであった。煉瓦のリブをはめ込んだ放物円面の天井は、世界遺産にふさわしい光景を演出している。
現在建造中のサグラダファミリァの垂直に建てられた鉄筋コンクリート柱のイメージがガウディの芸術的な作品に重なるのは、ふさわしくない。
ガウディはこの教会の設計を行うにあたり、逆さ吊りにした金属鎖の形状を基にしたことが付設の説明館に具体的な模型で展示されていた。この様子も写真に納めたので提示する。筆者は、1900年代の初頭に作成したアナログ・コンピュータであると直感した。ただし強度計算までは、できなかったであろう。現在のディジタル・コンピュータで強度計算をしてみるのも意義深いかも知れない。金属鎖にかかる荷重計算は、現在のコンピュータで処理するとしても、ありきたりの強度計算ソフトウェアで対応できるかどうか疑わしい。
逆さ吊りの金属鎖のアナログ模型を拝観しながら、その構造物の一部が損傷したとき、構造物全体にどのような影響があるだろうかと考えていた。この模型から実物を作成し、どこかの構造部材が仮に破損したときには、建造物全体に大きく影響して全体が損壊するのではないだろうかとも思った。金属鎖の一端を切断してその影響を調べることも可能であるが、重力方向は逆であるから、シミュレーションにはならない。コンピュータの耐故障能力について、長年つきあってきた筆者のコダワリから、ガウディが行ったと伝えられる逆さ吊り建築設計の思想をじっくりと味うことになった。

さらに言えば、実物を拝観した地下教会の玄武岩の支柱では、逆さ吊りの鎖模型で示された教会を支えることは難しいであろう。また、このコロニア・グエル教会の地下部分の建造にも困難な事態に遭遇したのではないか。斜めの柱を何らかの方法で保持しながら放物円面天井を建造していく過程は難事業と思われる。度重なる崩落もあったのではなかろうか。当時の工事記録があれば拝見したいものである。と、建築建造に少しばかり興味を持った筆者の所感である。

ガウディがコロニア・グエルの地下教会の建造を未完成のままにした理由は、難事業と共に十分な玄武岩の柱が上部構造物を支える強度に不安があることなどによると想像した。
いずれにしてもこの地下教会、日本のような地震の多い国では、とても建造できないし、耐久力もないことだけは確かである。
(応)


コロニア・グエル地下教会


幻となった上部建築構造物の逆さ吊り模型


いま欧州のこと

2014-05-28 23:24:28 | Weblog
いま2014年の5月に欧州では、ウクライナのクリミア半島がロシア国に組み入れられ、その後行われたウクライナ全体の選挙では親欧州派が政権を握った。東部で親ロシア派が占拠した地域をウクライナ軍が攻撃を行っているとのニュースが届く。フランスでは、右翼政党が欧州連合から離脱する政策を掲げて、フランス国民の多くの支持を集め始めている。そのような時期に欧州の一部を個人的に旅行した。

今回の旅行は地中海に面したスベイン、フランスとイタリアの都市が主であった。すべてユーロ通貨が流通する都市である。1ユーロの空港での換金は日本円で144円前後であった。
筆者は、その都市の経済状況を体験するため、まずはスーパーをおとずれることにしている。スペインでの食料品は、あまり安いとは思えない。実勢の換金率は1ユーロあたり110円程度がよさそうである。アベノミクスの影響で円安になっているのか、あるいはスベインの消費税率が高いのか。スベインの消費税率は20パーセント程度と言われているが、品物によって税率が違うから一概にはなんともいえないことがレシートで細かく表示されていることからわかる。レシートを見ると消費税率は4、10、 21パーセントの3段階にわかれている。生活に欠かせない食品等は低い税率になっていると判断した。6個の大振りのネーブルを税率4パーセントによる3.60ユーロで求めた。東京からのフライトで疲れきった胃袋を癒し、1個で十分に空腹感を押さえることができる大きさであった。スペインが農業国であることを認識する安価と思わせる柑橘類である。
さらなる経済的な指標は、ガソリンの値段であろう。今回訪れた都市はいずれも1リットルあたりのガソリン価格は1.6-1.8ユーロの範囲であった。仮に換算率を1ユーロ当たり110円としてもガソリンの価格は高い。欧州ではディーゼル車が多いから軽油の値段も気になるが、ガソリンに比べて10パーセント程度しか安くない。日本としてハイブリッド車を売り込むことができると思わせた。食堂で相席となったアメリカ東部からの夫妻と話しをする機会があったので、アメリカでのガソリン価格を聞いたところ1ガロン(約3.8リットル)あたり4ドル程度という。換算すると1リットルあたりのガソリン価格は116円程度なので、アメリカでは日本より安い。それでもアメリカ人はガソリン価格が高騰したとなげいていた。さらにアメリカの経済の現況を聞いたところ、2008年は最悪であったが、現在はよくなりつつあるとのことであった。
昨年訪れたことがある原油を供給するアラブ諸国として逆の立場で考えれば、経済的な国の基盤は揺るぎないとの見方ができる。
ちなみに帰国後のニュースを見るとニッサンのゴーン社長は、フランスのルノーの社長も兼任しているそうで、ルノーの業績悪化をニッサンの業績でカバーしているとの報道も見かけたが真偽のほどはわからない。欧州の走り廻る車が小型化していることは確かである。はてさてニッサンは電気自動車を販売し始めてはいるが、ハイブリッド車を製造していたかなと疑問に思ったものである。

今回の旅行前に、治安が悪いからスリとかカッパライには注意しなさいと忠告を受けていた。まずはパスポートを持ち歩かない方が良いという。しからばホテルにパスポートを置いていく方がいいのだろうか。何はともあれ、パスポートを紛失したことがある方の意見をもとに、最新の戸籍抄本とパスポート用の写真、パスポートのコピーを準備した。外出時にはパスポートのコピーとクレジット・カード、必要最小限の現金を持ち歩くことにした。さらにクレジット・カードは番号と連絡先を記録して別途に保存した。
スペインとフランスの都市では、それほど治安が悪いという印象はない。しかしながらである。バルセロナの地下鉄に乗ったところ、車内でいきなり持ち込んだスピーカから音楽が流れ始めた。それを伴奏として芦笛のような笛を吹き始めた芸人が出現した。大道ではない。地下鉄の動く車内である。大きな音響なのでうっとりと聞き惚れることはできないにしても、まずまずの演奏を披露する。手短に演奏をおえると銭袋をさしだしてくるから、物乞いである。日本の地下鉄ではお目にかかることのない光景であった。イタリアでのピサとかローマでの観光地ではしつこく物売りにつきまとわれ、その隙にスリに会わないように注意せざるを得なかった。

今回旅行した都市では、観光地を含めて若い世代の日本人に会うことは少なかった。夏休みの時期でも無いから、働き盛りの若い日本人がノンビリと観光しないことは当然といえば当然である。外国旅行離れしているといわれている日本の若い人達も大いに外国を訪れて、外国から日本国を見直し、すこしでも国際的な感覚を養って欲しいものである。
日本からの往きの飛行便では、ワーキング・ホリデイとしてこれからアイルランドに向かうという若い日本の女性が隣の席に座っていた。頼もしいと思った。

帰国後にバルセロナで案内してくれた知人から届いたメイルによると、別れてから3キロほど海辺を歩いたが、潮風には日本の様な磯の香りがとどかなかったという。地中海の海水は、意外に透き通っていることは筆者も驚かされていた。知人は、海藻が少ないから潮騒の香りがないらしいともいう。そう言われれば海藻は少なかったようである。どうして海藻が少ないのだろうか。この疑問を解く鍵は、地中海に面した海岸は岩石のために、海藻を生育させる栄養分の供給が少ないことによるのかもしれない。
(応)

結論ありきではない議論を望む

2014-05-18 16:56:34 | Weblog

 積極的平和外交主義を唱えながら一方では武力行使に積極的な姿勢を示す、どうもちぐはぐだ。なぜこうも急に、集団的自衛権の容認に突き進まなければならないのだろうか。いろいろな脅威を煽っているが、現実をよく見れば、我が国に直接及ぶような戦争が起こる可能性は低く、むしろ、他国が戦争を起こし、それに集団的自衛権(と言うより、集団的交戦権と言う方が的を得ているのではないのか)とやらで、我が国が戦争に巻き込まれる可能性のほうがずっと現実味があるのではないか。
 今政権が行わなければならない政策の優先順位についての指摘がなされている。そこで改めて自民党の2013年参院選挙公約を見直してみたが、集団的自衛権については一言もない。公約に書いてないことに狂奔するのは、国民との約束違反だ。それどころか、最新の世論調査(共同通信)では50%以上の人が集団的自衛権の容認に反対しているという。それに省みようともしない姿勢に、不信感と不安が募る。
 集団的自衛権ではなく個別的自衛権で対処できるのではないかと言う主張がある。もっともな説得力があるように思える。
 結論ありきではなく、国民の意向にも配慮して(国民に理解してもらいたいとよく言うが、逆で、政府は国民の意向をよく理解すべきではないのか)、じっくり時間をかけて(我々にも気持ちを固めるのに時間が必要だ)まじめな議論(武力行使を容認することが抑止力につながるというが、むしろ、軍事緊張を高めることになるのではないか、ここでも積極的平和外交主義とやらに矛盾している)を掘り下げた政治をしてもらいたいものだ。(AO)

単に物価が上がればよいのか

2014-05-01 19:46:29 | Weblog
 物価が上がればよいとする論理がまかり通っているが、まったく理解できない。単に物価が上がればよいのであろうか。
 一般市民の景気がよくなって購買意欲が高まった結果物価が上がるというのであれば納得できる。しかし、円安で輸入物価が上がったために物価が上がったのであれば、庶民にとって何もよいことはない。生活が困窮するだけだ。現在生じている物価上昇はこのような状況の反映なのであって、社会の景気がよくなっているからではない。
 物価がが上がると企業の収益が増え、その結果、賃金が上がり、それがまた購買力を増し、更に、企業の収益増加につながるという景気回復の好循環が生まれると言う。しかし、収益が上がれば企業は社内留保を先にし、市民は収入が増えれば将来に備えて貯金に回すかもしれない。時間はかかるかもしれないが、やがてはその好循環が廻り始めると言う。だが、廻り始める前に企業の冨が膨らみ、物価上昇に苦しむ市民の冨は減る一方、ということでは社会における冨の格差が拡大してしまう。冨の格差の拡大を防ぐ、これが政治の要諦のはずだ。
 自分に都合のよい理屈だけを並べ立て、都合の悪い脇道の可能性については触れようともせず、そ知らぬ顔だ。これこそ手前味噌と言うものだ。手前味噌で物価上昇を礼讃し、更には、単にそれだけを目標にするなどと言うのは実に粗雑な話しで、その前に、まず、市民の暮らしをよくする方策を採り、その結果、物価が上がるという手順を踏むべきではないのか。何かはきちがえている。(Bob)