炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

山麓閑話(3)

2008-04-30 18:07:10 | Weblog
 我が家のすぐ前の多摩川べりは、桜並木が2キロ近く続いている。普段は絶好の散策路であるが、四月初め頃の桜の季節になると騒がしくなる。桜の巨木の間は敷かれたシートで埋まり(中には、何月何日、何々グループと席取までしているシートもある)、それぞれ、グループの人たちが食べ物をひろげたりしている。きこしめして顔を赤らめている御仁も見える。満開の桜とそれらの人々を眺めながら、沢山の人がぞろぞろ歩く。さすがに大声を上げて騒ぐものはいないが、常日頃、静かな散歩を楽しんでいる者にとっては、この人出の賑いは、桜どころではないという雰囲気である。
 四月下旬、多摩川の桜はすっかり葉桜になってしまうが、山里の我が家近くの小高い丘の上の村の公民館の周りは、桜が満開だ。辺りに人はほとんどいない。私たちが訪れたときは、幼児をあやしている若い女性がただ一人だけであった。私は妻と共に長い時間をかけて、しんと静まり返っているなかで、艶やかに花びらを一杯に広げている桜の巨木を愛でた。ひろげた枝振りをとおして、広がる田畑のかなたに、雪を残す高い山並みが見える。我々だけの桜だ、といった充足感が満ちてくる。(エイモット)

カタカナ英語考

2008-04-28 10:21:11 | Weblog
NHK、朝のテレビドラマの中で、「シャーラップ」と言うセリフがでてきて驚いた。
私は、この言葉を浴びたこともないし、使ったこともない。全く知らないわけでもない。アメリカの過激な映画にはよくでるセリフであったからである。日常英語会話では、罵倒する場合でない限り使ってはいけない。
改めて英語の辞書を見る。最初は「シャーラップ」のラにこだわってRかLが含まれていると思いながら辞書のページを繰る。
しかしない。
ようやく見つけた単語は shut up であった。 だまれ[乱暴な表現]とある。
RもLも含まれていない。
どうして「シャーラップ」とラが入るのだろうか。
日本人にはラが入っているように聞こえるのではないかと思っていた。

そのよう疑問をもっていたとき、池谷裕二氏の著書「怖いくらいに通じるカタカナ英語の法則」という本を手に入れた。なんとその本の68頁に shut up.(シャラップ)だまれ、と書かれている。
 池谷先生、ほんとうに「ラ」がはいるのでしょうか。それこそ日本人特有の英語になっているのではないでしょうか。

 NHKの番組、ドラマといえども「シャーラップ」は、いささかよろしくないと思う視聴者がいたことを記しておきたい。
(納)

想定外のこと

2008-04-19 10:46:29 | Weblog
様々な分野で想定外の障害が頻繁に起こっている様に見受けられる。テレビのニュース番組、アタマを下げる光景、これでもかこれでもかと報道されるからである。その番組、個性のあるアタマのテッペンを見せつけられるたびに、そーっと自らのアタマのテッペンをなでて、同じような状況か調べる。
この想定外の障害、もともとからある事象で報道の広域化と速報性により脚光をあびるのか、あるいはグローバル化に伴う新たな落とし子なのだろうか。
新たな落とし子とすれば、想定外のことを想定した技術とか学術での調査・研究するのはいかがであろうか。
メーカーでは、製品には結びつかないだろうから、やめなさいというであろう。
また大学では、教育の目的にはなじまないし、論文も書けないから、やめなさいというであろう。家人も、それでは食えなくなるから、やめてくれと懇願する。
想定外ではあるが、必ずや人類の財産になると確信して研究に没頭する研究者がいるとすれば、その研究者は仙人とならざるを得ない。
いまの社会、このような仙人のごとき研究者を許容できないだろうか。そのような想定外の研究が成就したならば、高い独創性があると評価される筈である。千に一つ、あるいは万に一つかもしれない。
仙人が千人、あるいは万人いてもいいではないかと考える。このことは想定外として排除すべきであろうか。

このような話題、ある建設工学の専門家と交わしたことがある。その専門家はいう。「千年に一度生じるような災害を想定して建造物を構築することは可能です。しかし、大変な費用がかかります。百年に一度生じるような災害を想定した建造物を構築し、もしその想定以上の災害が生じた場合は、再構築した方が経済的です」と。
確かに、千年に一度生じるような災害を想定して、建造物工事を行うとすれば、マスコミから「過剰投資である」と叱声され、関係者のアタマを下げる光景が報道されること、それは想定できる。
(納)

障子紙ハガシ剤の陥穽

2008-04-13 09:21:13 | Weblog
バッド・デザインの話題に相乗りする。
ある建築設計事務所のオフィスを訪れたところ、カーテンの代わりに障子がしつらえてある。近代オフィスに趣向を添えるグッド・デザインである。障子は、カーテンに勝る。遮光の程度がほどよく部屋の中は暖かな雰囲気に包まれる。薄いカーテンなどが風にふわりと揺れて、体にまとわりつく不快感はない。

障子は素晴らしい建具である。
しかし、障子紙を張り替えるというメインテナンスの労働を伴うのが大きな欠点である。
「障子紙を張り替えなさい」という声がかかる。
新しい障子紙とノリを求めにホームセンターを訪れたところ障子紙ハガシ剤が側に置いてある。古い障子紙をはがすのも厄介な作業であり、これはいいものがあるものだと購入してこれを使うことにした。
これが諸悪の根元となった。
障子紙ハガシ剤を使うと、古い紙は簡単に、しかもきれいにはがれる。表面活性剤が含まれているらしい。さすがハイテクと感心する。

しかしその感心は絶望に変わる。
新しい障子紙を貼って霧吹きをかけ、イッチョウあがりと、お茶を飲んでいたところそよ風が吹き込んで、新しくたんせい込めて貼り付けた障子紙がはらりと落ちた。なんとハガシ剤が、その目的と使命を忠実に果たしているのである。新しい障子紙もはがしてしまう。
致し方なく障子の桟を洗うことにする。
すると障子の桟の材木そのものに表面活性剤がしみ込んで作用している。水で洗い、こするたびに桟の木目がバラバラにほつれてくる。すさまじいまでのハガシ剤の効力である。障子本体の破壊に連鎖するのである。
爾来、このハガシ剤のために我が家の障子は、古来の建具のよさを失っている。

最大のバッド・デザインは、ハガシ剤の説明書にこのような事態を引き起こす注意事項が書かれていないことである。
(悩)

山麓閑話(2)

2008-04-11 16:39:09 | Weblog
 庭に面した大きな窓ガラスに小鳥が激突する事件が2回あった。ドスンと音がしたのでベランダに出てみたら、小さな鳥が気を失って横向きに倒れている。口をわずかにあけているのでそこに水を垂らしてやった。動かない。だめかなと思っていると、しばらくして、体を立て直した。それでもじっとうずくまっている。どのくらい時間がたったか、そのうちつと飛び立ち、勢いよく庭木の向こうに去っていった。安堵の気持ちが湧く。
 2回目も同じ南面の窓ガラスだ。ベランダの先の端に墜落した。目を閉じ、体をゆすってもびくとも動かない。脚も硬直しているようだ。水を口元に垂らしても全く受け付けない。首すじを痛めたのだろうか。残念ながら、今度は庭の片隅に葬った。
 どうして窓ガラスに激突するのかと、近くの人と話し合った。ガラスが透明なため目に入らず、つい、衝突するというのが1説である。そういえば、外の景色が楽しめるようにと、居間の南面と北面が大きなガラス窓になっている。突き抜けたトンネルのように見えるのかもしれない。しかし、窓ガラスの周りには壁や屋根などがあるのに、どうして突進してしまうのかと言う疑問が残る。他の1説は、ガラス窓に庭の立ち木等の景色が写っていて、鳥にとってはそのまま庭の空間の延長と見えてしまうのではないかと言うのである。
 いずれにしても、鳥の衝突を防ぐには窓ガラスを不透明にすればよいかも知れないが、住むものにとってはせっかくの開放感が得られない。窓ガラスの面積が必要以上に大きすぎたのかもしれない。設計をしてくれた方は、開放感を強く意識して、南側を床から天井近くまで、一面に窓にしようと提案されたが、さすがにものを置く場所もなくなるので床近くの数十センチは壁にしてもらったのだが、鳥たちの感覚にまで思いが及ばなかったことになるのだろうか。(オリヒソイ)


バッドデザイン(続)

2008-04-08 15:52:17 | Weblog
 バッドデザインについて書いた手前、気になってもう一度、周りを見回して驚いた。バッドデザイン商品の氾濫だ。もう少し、挙げてみる。少し長くなるがお付き合い願いたい。
①丈夫にと思って繊維に何か添加物でも付けたのだろうか、水をよく吸わない手拭がある。布地が固く、ごわごわして、肌触りがすこぶる悪い。吸水性が低いから、使った後で、たとえば、手や顔、あるいはテーブルの上に、水分が残る。これでは、手拭の用をなさない。
 反対に、薄く柔らかく、絹の感触のハンカチ。残念ながら保水性が極めて低い。手洗いなど、1回使っただけでびしょびしょな感じになる。汗拭きにもならない。実用性に乏しい、かっこをつけたハンカチか。
②私は足指に痛みを抱えているので、靴下のデザインに神経質になっている。まず、足首の編み方がきつく、長く履いていると足先が浮腫むようになる。もう少し、弾力性をゆるく出来ないものか。次に足先。靴にはいわゆるEEEEタイプといった、幅広の形があるが、多くの靴下は指先部分が細くしぼむような形になっている。靴だけでなく靴下でも足指が締め付けられるような感じになる。もっともこの頃は、緩めの靴下と言うものも出始めているようだ。デパートの売り場で物色していたら、緩めの靴下を指定する客が結構多いことを知った。
 最後に、靴下は全部が一体で出来ているわけではなく、指先部分が踵部分を含めた本体と縫合されている。この部分がひどい。裏側に縫い目が出張っているのだ。これが足指に当たって痛い。これを避けるため、私は靴下を裏返して履いている。
③石鹸は界面活性剤である天然の油脂を固めたものと言うのが、昔覚えた私の知識である。界面活性剤によって皮膚(とは限らないが)などの表面が流動的になり、汚れが落ちるのである。ところが、最近の石鹸には界面活性剤である油脂をちゃんと使っているのか疑いたくなるものがある。泡立ちは一応あるが、汚れがさっぱりと落ちないのだ。これは、泡立ちだけで誤魔化した確信犯的なバッドデザインではないか。モーレアで土産に買ってきた素朴な石鹸のなんと爽やかなことか。
④液晶トップメーカ製のテレビ。リモコンで番組の視聴予約が出来る。ところが、予約より前の別番組を見るため、リモコンを使ってテレビの電源を入れ、その後、切ると(もちろん予約時間より前に)、予約番組はオンするが番組の時間が過ぎても電源がオフにならないのだ。目を皿のようにして取扱説明書を探したら、小さな字で、「リモコンの電源ボタンで「切」にした状態(スタンバイ状態)で、視聴予約した番組が始まると自動的に電源「入」になります。また、その後、リモコン操作をしなかった場合、予約した番組が終了すると自動的にスタンバイ状態になります。」と書いてあった。しかし、「リモコン操作をするとスタンバイ状態にはならない」とは書いてないのである。要するに、予約して電源を切ったら、後はそっとしておけと言うことだ。
 どうしてこのようなデザインが出来るのか。これは、バッドデザインと言うより、デザインミスだ。
⑤この頃の車のヘッドライトは目を吊り上げたような形が多い。血相を変えて相手を出し抜こうと人々が必死に競争している世相を、反映しているとでも言うのであろうか。世相がそうなら、もう少し落ち着いた、いわゆる、癒しのようなデザインにしてもらえないものか。
⑥日本の建築家の多くは美的センスに乏しいのではないか、と言うのが私の持論だ。奇妙なフォルムや細い線がやたらと多い外観の建物は美しいとは思えない。東京都庁の建物を見て落ち着いた気分になれますか。もっとも、東急線大岡山駅前の或る建物を設計した建築家は「現代の不安とアンバランスを表現したかった」と言ったそうだ。見るたびに、アンバランスの苛立ちと不安を感じさせられてはたまらない。
 外壁にでこぼこの多い高層ビルの清掃はどうするのであろうか。先日、近くの高層マンションが外壁清掃のために、非常な手間を掛けて高い足場を組んでいるのを目撃した。思慮深く設計した建物は、清掃用の装置を外壁に沿って動く機構を埋め込んでいるそうだが、多くの高層マンションは、予めそのような方策を考えていない(残念ながら我が家が入っているビルもそうだ)バッドデザインだ。(青)

バッド デザイン

2008-04-01 12:45:10 | Weblog
 ちょっとした思い付きとか、単にかっこよいというだけで、実際に使用すると不便極まりないグッズが結構多い。このような、バッド デザイン賞に値するものをいくつか挙げてみよう。
①円筒の直径が小さく、丈が長い、すなわち見た目にはスリムなガラス(別にガラスでなくてもよいが、手元のものがガラスだ)のコップ。中の水を飲むときは別に問題ないが、口元で傾けたコップを元に戻すとき、コップの下のほう(底のほう)に戻る水が反動で、必ずといってよいくらい、コップの外に跳ね出る。水をこぼさないようにするにはよほど意識して、そろりそろりとコップを戻さないといけない。普通に使っているときはそのような注意はすぐ忘れるので、水を飲むたびに腹が立つ。
②最近はこの傾向が減ったように見えるが、自動車のドア(特に運転席側)の後ろの縁を垂直にではなく、ドアの外から見て、右下部より左上部が車の後ろくるように傾斜をつけている。かっこよさを売りにする車ほどこの傾斜が大きい。車を降りて外に立つとき、ドアの後縁の真ん中辺りから下のほうを見ることが多い。まず真上は見ない。そこで、ドアを閉めるとき、体はドアをかわすと思っていても、ドアの後縁の上部先端が体のほうに出張っていて、それが顔の辺りを擦りそうになる。あわてて体をそむけるハメになる。これはとても危険なデザインだ。前にも触れたが、窓の側面につけるサイドミラーも危険なデザインだ。
③歯が短く、布地に深く隠れそうにつけられているジッパー。咬み合わせ金具(ノブ?)を持ち上げるとき、かぶさるように覆っている布地をくい込んでしまう。この布地を外すのが一苦労で、かなり力任せにしないとうまくいかない。布地を外すのにいらいらさせられた経験はありませんか。さらに、ジッパーの下端をはめ込んで咬み合わせ金具を持ち上げる訳だが、下端の金具の深さが十分でなく、よほど注意しないと確実にジッパーが咬み合わないことがある。咬み合わせ金具を上げてジッパーを閉じたと思っていると、下のほうから外れてくるのだ。これを元に戻すのも並大抵ではない。全くワーストデザインだ。
④肌合いというか、風合いというか、編み方に手を加えた布地で作られた始末の悪いシャツとかパジャマがある。シャツの場合、重ね着をする下着とかセーターとの間のすべりが悪く、着たり脱いだりするとき窮屈な思いをする。パジャマの場合、寝返りを打つと体に巻きついてきて、息苦しくなる。単純な思いつきの落し穴だ。
 ついでながら、着心地よさそうなパジャマを買ってきたらズボンの前に窓が開いていない。夜中に小用を足すとは思っていないのだろうか。

 デザイナーはもっと注意深く仕事をしてもらいたいものだ。デザインしたものを少なくとも自分で使ってみればバッド デザインにすぐ気がつくはずだ。ひょっとすると、バッド デザインであることは承知で、思いつきだけで売ってしまおうとしている確信犯か?(青)