我が家のすぐ前の多摩川べりは、桜並木が2キロ近く続いている。普段は絶好の散策路であるが、四月初め頃の桜の季節になると騒がしくなる。桜の巨木の間は敷かれたシートで埋まり(中には、何月何日、何々グループと席取までしているシートもある)、それぞれ、グループの人たちが食べ物をひろげたりしている。きこしめして顔を赤らめている御仁も見える。満開の桜とそれらの人々を眺めながら、沢山の人がぞろぞろ歩く。さすがに大声を上げて騒ぐものはいないが、常日頃、静かな散歩を楽しんでいる者にとっては、この人出の賑いは、桜どころではないという雰囲気である。
四月下旬、多摩川の桜はすっかり葉桜になってしまうが、山里の我が家近くの小高い丘の上の村の公民館の周りは、桜が満開だ。辺りに人はほとんどいない。私たちが訪れたときは、幼児をあやしている若い女性がただ一人だけであった。私は妻と共に長い時間をかけて、しんと静まり返っているなかで、艶やかに花びらを一杯に広げている桜の巨木を愛でた。ひろげた枝振りをとおして、広がる田畑のかなたに、雪を残す高い山並みが見える。我々だけの桜だ、といった充足感が満ちてくる。(エイモット)
四月下旬、多摩川の桜はすっかり葉桜になってしまうが、山里の我が家近くの小高い丘の上の村の公民館の周りは、桜が満開だ。辺りに人はほとんどいない。私たちが訪れたときは、幼児をあやしている若い女性がただ一人だけであった。私は妻と共に長い時間をかけて、しんと静まり返っているなかで、艶やかに花びらを一杯に広げている桜の巨木を愛でた。ひろげた枝振りをとおして、広がる田畑のかなたに、雪を残す高い山並みが見える。我々だけの桜だ、といった充足感が満ちてくる。(エイモット)