炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

大学図書館の将来構想

2012-02-26 12:58:25 | Weblog
 風格の備わった大学には、学問の殿堂としての図書館が誇らしくそびえ建っている。
大学の学問としての歴史的価値を保存する博物館でもある。
 いまインターネットの普及と共に情報が氾濫し、さらに電子図書も広く流通しつつあるこの時代に、図書館の存在価値はあるのだろうかと言われている。
 この意見に反論し、大学図書館の今後の在り方について、ここでは私見を書き留めておきたい。

 大学の使命については、ボブ氏の「大学の復権」、筆者の「風格のある大学」で所見を述べている。
 図書の存在価値については、青氏の成書談義、筆者の成書と雑誌に述べている。成書は不滅であると著者は信じている。
現在、将来共に存在価値がある成書を納める場所が図書館である。
 現在、あるいは少し時間的に間口を広げて、現代に存在価値がある成書は、公立の都道府県立あるいは市立図書館に備えられ、一般の方々の便宜に供する。ここでは存在価値が薄れた成書は棄却される。
大学の図書館は、別の使命を持っている。
 筆者は、将来にわたる大学図書館の使命には大きく三つあると考えている。

 第一は、大学の使命である優れた人材の育成の一環を支える図書館である。つまり人材の育成のため、学習図書館としての使命がある。講義の合間に、若き学生は安らぎをおぼえながら成書に親しむ空間を提供するのである。親しみ深い部屋は、むき出しの白壁とアルミ建材の窓はふさわしくない。重厚な深みのある木質で囲まれた芸術性の豊かな空間としたい。ある知人は、山小屋と称して木質系の落ち着いた空間の書斎をしつらえ、その中で勉学にいそしみ、思索を練っておられることに羨望をおぼえる。
 学習図書館に備える成書は、講義に用いられる僅かな数の教科書と先生方から推薦された講義内容を補う成書である。もしこれらの資料がインターネットから得られるのであれば、図書館とは全く雰囲気の異なるインターネット・アクセス・サイトを利用できるようにしておくことも必要であろう。しかしこのサイトは図書館の中になくともいい。むしろ教場に近い方がよい。学習図書館ではパソコンの携帯は禁止する。いま流行しつつあるWiFi接続とか、スマホさえも利用できないようにするため、この重厚な空間は外部からの電磁波を遮断する構造にしておくのである。

 第二の大学図書館の使命は、人類の将来を見据えた学問的な開発と発展並びにその成果の応用拡大に関わる大学の職員、並びに若き学徒の支援態勢である。
いま大学図書館では正式な論文として掲載された学会誌の購読に多大な課題をかかえ始めている。その理由は学会誌の商業化である。平成24年1月の電子情報通信学会誌に高橋 努氏による「大学図書館から見た電子ジャーナルの現状と問題点」が掲載されており、大学図書館の苦悩が伝わる。
 かっての学会誌といえば、最新の論文が掲載された雑誌が、これを購読する研究者のもとに届けられた。図書館では、配布された学会雑誌を年度ごとにまとめて製本化して保管し、先生方とか学生の教育・研究資料としていつでも提供できるようにしていた。大学図書館の大きな役割の一つであったのである。ところが論文のディジタル情報化とインターネットの普及は、これまでの大学図書館の役割に旋風をもたらしている。
多くの学会は、雑誌の発刊に多大な費用がかかることから、論文として採用した著者から論文掲載料を徴収したのである。本来ならば人類にとって有益な研究成果を無償で提供できること、それは研究に従事した者にとっては冥利であり、しかも名誉なことであった。この良き風習がなくなり、研究者に対して論文掲載料を要求するようになったのは1980年頃からであったろうか。
 学問の世界では、研究成果が無償で提供され、その成果が無償で利用できることが理想である。そのためには無償で論文を公開する機構がなければならない。

 この理想郷を遮っているのが、電子ジャーナルの商業化である。
 学会にも大中小がある。大きな学会は、電子ジャーナルを自ら発刊・管理する能力があるが、中小学会には、その体力がない。従って商業化した電子ジャーナル論文刊行会社に、学会誌発刊を以来する。いま全世界的な規模になっている学会誌刊行会社は、シュプリンガー社、エルゼビァ社などがある。
 上記の高橋氏の寄稿文によると平成21年(2009年)、日本の大学全体の電子ジャーナルに支払う支出は約208億円となり、五年前に比べると約3.4倍になっているという。大学図書館の大きな負担になっていることは充分理解できる。この学術誌の電子ジャーナルの商業化にあって大学図書館は連合組織を組み、大学間での共有態勢を進めて対策を立てようとしている。電子ジャーナル発刊会社は、連合組織に対して、その規模に見合った値上げを行って対抗しつつあるという。
 いま、なお渦中にある大学図書館が抱える課題である。
 筆者がささやかながら提案できることは、大学の教職員がかかわる専門分野に特化して電子ジャーナルを購入することである。その電子ジャーナルの利用は大学に在職する教職員の管理のもとに他大学の先生方とか学生が利用できる態勢を整えることであろう。それにより大学間の研究での交流も進められる。
大学図書館の大きな使命は、研究分野での支援であり、得られた成果をきっちりと永久に保存する態勢である。従って大学が属する職員・学生・卒業生が発刊した成書とか正式な論文、その中で電子ジャーナルとなったものは保存のきく紙に印刷製本して保存するのである。
 大学図書館は、その大学に属した方々が残した業績を納める殿堂としての役割がある。

 第三の図書館の使命は、大学で生じる事象を記録したアーカイブスである。大学で発刊した公文書、様々な議事録、さらには在職した学生に関する記録文書の保存である。これらの記録は大学として存在する限り100年後、あるいは千年後には貴重な資料となる可能性をもっている。もとよりこの記録情報は、電子化媒体に保存しても差し支えないが、そのためには千年後であっても利用できることを確かめておかなければならない。その保証がないならば、和紙のような性質を持つ紙に、墨のような性質を持つ媒体で記録しておくのである。

 今後の大学図書館は、以上の三つの使命を備えることにある、と私見を述べた。
もしかして参考になれば幸いである。
(応)

風格のある大学

2012-02-25 16:19:51 | Weblog
 ボブ氏は「大学の復権」を説かれている。その中に書かれた一行、“ある会議のパネル討論で産業界の代表が、「5年、10年先のことは我々がやる、大学は50年先のことをやって貰いたい」と発言していたのに感銘を受けた”というくだりに共感をおぼえた。
 オワンクラゲの発光現象を長年にわたって研究を続けた下村 脩博士が、その業績から2008年にノーベル賞を授章したことは記憶に新しい。下村博士は50年先に役に立つかどうかわからないにもかかわらず研究に没頭されたのではないかと推察する。

 大学の研究は、必ずしも50年先に開花するとは限らない。
 未知への挑戦が研究を支える。
 それが何等かの形で人類に有益な成果をもたらすことになれば、まことに素晴らしい。しかしながら、そのような成果をもたらす50年先の結実、どのくらいあるのだろうかと考え込まざるを得ない。
 産学共同研究にあっては、すぐに利益をもたらすことが要求される。それが大学の評価になっている今日である。政治的なパーフォーマンスとして行われている事業仕分けでは、50年先に役に立つかも知れないプロジェクトなどは、大学といえども真っ先に切り捨てられるであろう。
 未知への挑戦は、50年後に開花しなくとも良しとしなければならない。そのプロセスには若い次の世代をになう学徒が携わっているはずであり、プロセスの進捗によって得られた知識と技能は継承される。人材の育成である。

 別の言葉で表現すると「風格のある大学」でありたい。さらにいえば「殿堂をそなえた大学」が望ましい。50年後に成果が上がるかどうかは、大学の持つ伝統、それを信頼することにある。歴史的な背景のもとに優れた成果をもたらしていたとか、優れた人材の育成を行ってきたという伝統にささえられてこそ、「50年先に開花する研究に邁進すること」は、目前の利益にとらわれることなく、まことに奥ゆかしく、衆人が認める存在となる。

 つい先日、日本のある国立大学の構内で開催されたセミナーを聴講する機会があった。この国立大学のキャンパスはそれなりに広く、高層建築の校舎も整っている。
しかしキャンパスとしての風格に乏しい。
 教育と研究の場としてまことに能率的に構成し配置されていることは確かである。しかしながら無味乾燥という言葉が、そのままあてはまる。
 殿堂はどこを探してもない。
 キャンパスのいたる所に存在する雰囲気からは、直ちに優れた成果を上げる研究を行い、無駄のない教育を行って、すぐに現場に適用できる人材を育てなさい、と伝わる。
 セミナーが終わって、くつろぐ空間はない。いま参加したセミナーの内容をじっくりと反芻しながら、知識のこやしにしたい、という場がない。このような空間からすぐに逃げ出したいという衝動にかられるキャンパスである。
 訪問者がそのような感覚に陥るから、ここで学ぶ学生も精神的な落ち着きをキャンパス内に求めることはできないと想像する。

 かってアメリカのスタンフォード大学を訪れたとき、雄大でしかも壮大なキャンパスと殿堂に圧倒されたことをおぼえている。最初にここを訪れた学生は、この殿堂のなかの教室で勉強に励み、さらには優れた研究に没頭したいという動機をもたらすであろう。
 カーネギー・メロン大学で行われた研究会に参加したとき、各教室は重厚な木質の壁が貼り付けられ、格式の高い扉で部屋の雰囲気を廊下の喧噪からさえぎる。
そこには哲学的な思考を支える空間が整えられ、豊かな発想の醸成を助ける。
 思考をめぐらすために座す空間は、風格ゆかしい部屋であったほうがいい。
 50年後に開花するかも知れない仕事のために、決して無駄ではないのである。

 この書き物をしている側で、パソコンのファンが騒がしい。風格のない雑然とした部屋と相まって、貧困な発想しか湧かないという、いいわけにしておこう。
(応)

大学の復権

2012-02-24 11:46:13 | Weblog
 かつては社会的信用(地位)が高かった人々の権威がこのところ失墜している。医者、弁護士、会計士などの、失望させられる多くの例を見聞きするが、大学教授もそのうちの一人だ。物分りのよさそうな顔でいろいろ発言しているが、当たり前のことを当たり前にしか言っていないことが多い。ひどいのは、置かれた立場の責任を自覚せず、恥の意識もない発言もある。具体的例としては、原子力安全委員長の多くの発言を挙げれば十分であろう。 
 まあ、だらしのない教授たち個々の信用失墜だけならよいが、問題は大学そのものの信用下落だ。社会も大学人も大学の存在理由を見失いかねない。
 産業界が普通のものを効率よく大量生産しているだけでは新興国に追い上げられるのは自明だ。生き残るには、どこにもない新しい独創的創造をしなければならない。
 新しい独創的創造を生むにはあえて常識に挑戦する試みが欠かせない。非常識に見える常識への挑戦は大学の重要な使命の筈だ。しかし、信用をなくした大学が非常識へ挑戦すると言っても、社会は相手にしなくなるであろう。そこで、誰しも考える(ある程度、答えが分かっている)常識的なことしか試みなくなるが、大学がわれわれ凡人のような普通の常識人になってしまっては困るのである。
 ある会議のパネル討論で産業界の代表が、「5年、10年先のことは我々がやる、大学は50年先のことをやって貰いたい」と発言していたのに感銘を受けた。大学に対する正鵠を得た期待が全くされなくなる前に、大学人にしっかりした見識と気概を持ってもらいたいものだ。
 何年か前にアメリカの雑誌で宇宙エレベータ(地球から宇宙に向かって、遠心力を利用した垂直ケーブルをはり、それを伝って、エレベータで上り下りする)の記事を見て、何と奇想天外なアイディアかと驚いたものである。ところがドイツの大学がそのエレベータ開発のコンテストを催しているという。野心的な挑戦ではないか。
 これに反して、近頃、大学への秋入学の話が報道を賑わせている。外国の学生を多く集めたいというのが狙いだという。それだけなら、まあやってもよいといった程度の、小細工な発想だ。国際教養大学学長の中嶋嶺雄氏が喝破しているように、もっと大学の真価を高める本質的な検討をしてもらいたい。(ボブ)

50歳の定年制 -人生最盛期25年を辿って-

2012-02-20 09:43:05 | Weblog
 定年は、一般的に60歳から65歳へと延長されている。そのために若年層の雇用に大きな障害もたらし、就職難の時代をもたらしている。
 前回は、25歳までの間に無償勤労制度を提示した。
 これを受けて、50歳の定年制度を提言する。
 人生を25年ごとに区切って処世する社会が醸成されるとすれば、50歳での熟年定年制度が思い浮かんでくるからである。25歳から50歳の人生は、結婚と子育て等を含め、人生のもっとも充実した時期にあり、勤労能力も高く、優れた労働を提供できる期間である。この期間に支払われる賃金は、能力に応じて高額な支給であってもいいはずである。

 まだまだ能力を維持できる50歳の定年とは理解できない、とお叱りを受けるかも知れないが、いますこし提言についてお聞き頂きたい。
 公的機関とか大中小企業とも高額な賃金を今までのように60歳あるいは65歳まで支払うことは、多大な人件費を負担することになり、日本国全体の人件費高騰の原因である。さらには若年層の就職難を解消することにも50歳定年は大きな効果が期待できる。
 しかしながら、50歳の定年後も従来の職場に留まることは差し支えないものとしよう。そこで支払われる賃金は、従来受給された賃金とは比べものにならないほど低い基本給のみとする。救済策は講じておきたい。

 その一つの例は歩合給である。
 定年後には提供される勤労能力に応じて加算する賃金を設定する。定年後にあって高い能力を維持し、公的機関とか大中小企業に貢献できる者には、それに応じて加算された賃金を支給する。50歳の熟年定年であっても、25歳に始まる青年期と壮年期に大いに活躍すれば、豊かな充実した人生設計ができる社会が醸成されるのではなかろうか。

 もとより50歳の定年後は、全く異なった職業、あるいは自由業についてもいい。
 ある知人からシニア村の構想をつい最近聞かされた。自然豊かな田舎暮らしの中で、農事作業とか果樹園の手入れとか収穫により、自活の道を開く場を提供するという構想である。
 素晴らしい。
 しかし65歳の定年後ではこのシニア村の住民にはふさわしくない。いま少し若い頃から、自然に親しむ作業をしなければ、自然からの恵みをもたらすことは難しい。農業とか果樹栽培にも多くの「ノウハウ」がある。このことは筆者が、遅きに失して実際に体験したことから、はっきりと言いきることができる。
 新たな人生、50歳を転機として迎えるのである。人生100年の時代になりつつあるから、これまた楽しい人生設計が立てられる。

 75歳は第二の定年である。
 後期高齢化ともなれば、ここから先の人生は、迷惑をかけることなく、自由に過ごせる社会でありたい。
(農)

日本経済の活性化には -人生育成期の貢献を期待-

2012-02-19 10:18:46 | Weblog
 2月14日の日本銀行の経済政策決定会合で、資産買い入れ資金を65兆円とするデフレ脱却の政策を発表した。17日になって為替レートはようやく円安に動き始めている。昨年11月1日に、日銀が為替レートの取引に介入したときの水準に戻ったという。昨年実施したこの為替介入は、何らの効果ももたらさなかったので、事実上は失敗に終わった経済政策であったと思わざるを得ない。
 今回の1パーセントのインフレを指向した経済政策は、どのように具体的に実施されるのか、よくわからない。新聞情報によれば、日本国の国債を買い入れる施策を行うように書かれている記事もある。はたしてそのような施策でインフレに傾くのであろうか。
 筆者は、何等かの大きな社会的な変事でインフレに傾くかも知れないと考えていた。2011年3月11日に発生した東日本大震災、並びに福島第一原子力発電所事故は、インフレの導火線となる可能性を否定できなかった。しかしこの大きな変事にもかかわらずインフレ状態になるどころか、製造業に与えたダメージ、さらにはタイ国で発生した長期にわたる水害の影響があり、デフレ状態がさらに悪化しつつある。

 前に、米国を始めとして周辺諸国は軒並み年率数パーセントのインフレ傾向にある中、日本国だけがデフレ状態のままで為替レートは円高に推移し、経済的な鎖国状態にあると述べた。異常な円高為替レートは、日本国内の人件費が他国に比べてはるかに高くなっている。人件費が大きなウェイトを占める工業製品は、価格高騰のために国際市場競争力が失われる。円高のために輸入する原材料が安くなるから、相殺されていいではないかという説もある。この説に対して、工業製品の原材料の輸入価格が円高のために、製品全体の何パーセントが節約できるのか、と伺いたい。現在の工業製品原価にかかわる人件費は、意外に大きなウェイトを占めていると考えられる。
 今回、日銀がデフレ対策として打ち出した資産買い入れ資金を拡大したことで、インフレ傾向に、はたして移行するのであろうか。経済の専門家に解説いただきたい。
 筆者のシロウトながらの憶測を述べてみよう。企業の借り入れ資金を潤沢に準備することで設備投資を刺激し、その結果として雇用の増大とともに工業製品の増産化が計られ、工業製品の輸出が拡大する、というのが日銀の経済政策会合がたてるシナリオなのであろう。充分な資金が調達できれば、日本企業は人件費の安い諸外国での製造設備に投資し、企業の利益増大を優先することになるのではと想像する。筆者が工業製品企業の経営者であれば、そのような政策を実施するであろう。工場の国外移転が増進され、日本国内工業生産の空洞化現象はさらに膨らむことになる。

対策はあるのか。
短期的な対策としては、中国が政策として固持しているように、為替レートを国策で定める方法がある。もとより自由主義国家としては行ってはならない経済政策であり、諸外国からの非難は避けられない。経済封鎖の制裁を覚悟しなければならない。もしこの政策を断行したとすれば、あらゆる輸入資材は高騰する。現在食品の60パーセントは輸入しているから、食品はおろか、すべての物価が高騰する。

それでは数十年後を見通した長期的な施策はあるのか。一つの提案は若年層の労働意欲向上と自らの能力の開発をかねた次のような社会奉仕制度はいかがであろう。
日本国民の義務として、25歳になるまでの間に数年間にわたり、無償勤労に従事する制度である。例えば15歳になれば、無償勤労を行う資格が生じるものとする。いかなる勤労に従事するかは自らが自由に選択できる。農業・林業・漁業等の一時産業、あるいは製造工場のような職場でもいい。この無償勤労期間での住居と食糧、並びに生活必需品は支給される。高度な知識を必要とする職業、例えば公務員、学校での教育職、研究機構での研究職等は数年間の無償勤労を義務づける。サービス産業でも例外扱いはしない。

 若年層における無償勤労による形を変えた税金支払いの制度である。
 この若年層での勤労を提供することは、日本での工業生産品の人件費を削減し、国際競争力をもたらすようになるであろう。若い頃に、勤労を行うことを通じて自らの能力を発見する機会もある。将来にわたってどのような職業に従事すれば、満足しながら勤労に従事し、自らの向上心も養うことができるかを知ることができる。

 東日本大震災において、多くの若者達がボランティア活動に参加した。日本の若者達のその活動の様相、まことに感動的であった。この奉仕精神こそ、日本の再生事業にかかわる無償勤労に活かすことができると信じて疑わない。
 このような政策を掲げて選挙に望む政党があるとすれば、将来の日本のために一票を投じたい。
(農)

英語で演じる歌舞伎

2012-02-18 09:52:58 | Weblog
 英語で演じる歌舞伎をご覧になったことがあるだろうか。
 筆者が初めて歌舞伎の実演を見たのは、1969年頃であったろうか、イリノイ大学の教職にあった佐藤昌三氏が演出し、当時新しくできたクラナート・センターという劇場で学生が演じる英語の歌舞伎であった。日本語の歌舞伎は、難解であると敬遠して実演を見たことはなかったが、少しばかり英語に慣れていた当時、まことにわかりやすい歌舞伎であり、本来の歌舞伎の本質をとらえているらしく、見応えがあったことを覚えている。
 あれから40年以上経過している。

 佐藤昌三氏は、いまイリノイ大学名誉教授である。
 イリノイ大学に留学している日本人学生から、次のような案内がつい最近届いている。
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2011年度奨学生(著者注:下記)の高田修太と申します.
現在、冬学期が始まりまして,残り少ない留学生活に向けてスタートを切ったところです. このたび、Krannert Centerにて日本館初代館長の佐藤昌三先生の歌舞伎が3月末から披露されるということで,ご連絡させていただきます.
LADY MACBETH: A KABUKI PLAY
BY KAREN SUNDE AND CONCEIVED
BY SHOZO SATO
公演日(いずれも現地時間)
2012年3月29日(木)~31日(土): 19:30~
 4月1日(日):15:00~
 4月4日(水)~4月7日(土):19:30~
チケット価格 $16 (65歳以上$15/イリノイ大学以外の大学生 $15/イリノイ大学学生 $10)
 チケットの購入に関してなのですが,まだKrannert Centerの方で購入できるようにはなっていないようですので,ご覧になる予定の方は定期的にチェックしていただければと思います.詳しくは、こちらをご覧ください.
また,佐藤先生は日本館で書道の指導をなさっているようです.詳細は日本館のホームページの記事をご覧ください.
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イリノイ大学の日本館は、日本文化を正しく米国内に届ける大きな仕事をしている。
10年ほど前に、ここを訪れ、この地で培った先人の努力に感動を覚えたものである。
 できれば、佐藤昌三氏の演出した英語歌舞伎、どうやらシェクスピアに原典を求めているようにも思えるが、クラナート・センターを再び訪れてこれを鑑賞したいという衝動にかられている。
(応)
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著者注:イリノイ大学の卒業生有志が寄進した留学奨学制度。公募した中から選抜されてイリノイ大学の留学奨学金が支給される。

マイアミ周辺の点描記

2012-02-13 11:29:36 | Weblog
 2012年1月に米国フロリダ州マイアミを訪れた。
40数年ほど前に、ケープ・カナベラルのケネディ宇宙センターで月探査衛星ロケットを見学したときにマイアミも立ち寄ったことがあるので懐かしい地である。ここに数日滞在した。その印象を記しておきたい。
 まずはマイアミ空港であるが、ここはカリブ海に点在する多くの諸島、ケイマン諸島、ハイチ、ジャマイカ、ドミニカ、キューバ、プエルトリコ等々、さらにはブラジルなどの南米諸国との航空便のハブ空港になっている。従って、このマイアミでは英語以外の言語が広く使われているという。知人の子息は、この地の病院の医師をつとめているが、英語が通じない患者が多く、スベイン語とかポルトガル語などの会話も勉強しなければならないと聞き及んだものである。

 マイアミ周辺は、人口動態から大きく3つの地帯にわけられる。
一つは東海岸に長く伸びる州にベルトのように繋がる高級ホテル群である。アメリカ北部からの逗留客は、12月から3月にかけての避寒地としておとずれることから、古くから存在している。海岸に面したこのホテルの滞在料金は、調べてみると軒並みにほぼ300-500ドル/日はかかるので、北部からの米国の中級富裕層が逗留する。
 筆者は、逗留費用軽減のために、この地を避け、海岸から離れた内陸部のホテルに滞在した。東海岸のホテルの半額以下である。しかし周辺は余り治安がよくない。
 これがマイアミ第二の地帯である。車で通っているとき信号が赤になり、停車したら、堂々と “I am homeless” と印刷された上着を羽織った中年の女性が近づいてきて物乞いをする。車の窓は間違っても開けてはならない。よく見ると交差点付近には、この女性の持ち物らしいものを散置している。さらには別の交差点で停止したところ、見るからに第三国人と思われる花束を持った大柄の男が、これを売り込みにやってくる。
キャンディを売る子供もいる。
極端な表現かも知れないが、マイアミ周辺のダウンタウン交差点中央部は、これらの人々に占拠されているとの印象を受けた。多分タクシーで通った日本人旅行客はこの事情を知らないであろう。タクシーはこのようなダウンタウンを通過せず、周辺の高速道路を一挙に駆け抜けるからである。40数年前にはなかった高速道路であり、このようなダウンタウン風景もなかった。

 第三の地帯は、フロリダ半島のマイアミ海岸の反対側にある西海岸地帯である。米国の富裕層が別荘を構えている地帯である。マイアミから、ほぼ300マイルのところにあるサラサト地方にいる知人を尋ねた。ここはマイアミとは、全く別世界の現在のよきアメリカを象徴する。約千坪程度と思われる敷地に、約百坪と思われる平屋家屋が、悠然としたプールを備えて点在する。あらかじめグーグル・アースで眺めて調べたところでは、点在とは見えなかったが、現地に立つと家屋と家屋の間には、広大な芝生が拡がるから、点在と表現した方が現実的に映る。
 海岸には、ペリカンの群れが飛び交っている自然がある。野生のペリカンが群れ飛ぶ様子を見たければ、この地を訪れればいい。大型のペリカンはいきなり海中にダイビングして魚を補食する様子を目前に見ることができる。さらには、あくまで白く、まるで精製した砂糖のような砂浜もある。さしずめ日本であれば天然記念物となる海岸であろう。
 海岸の側には、地域の海を私有化した広壮な邸宅、それはかなり高名な実業家の別邸らしい。もとよりマンションのような建築物もある。米国では通称コンドミアムと呼んでいる。日本でもこれからは、マンションと呼びならわしている住宅は、コンドミアムといえば高級感がただようかも知れないなどと思ったものである。

 以上が人口動態にかかわる三つの地域であるが、フロリダには、いま一つ自然の水郷地帯の地域がある。マイアミからサラサトに向かう国道75号線の道路は、”Everglades” という地域を通り抜ける。自然豊かなほぼ一直線の道路であり、所々に休憩所もあるが、ここの水中にはワニが生息しているから、休憩所の水側は危険である。休憩訪問者を守るために金網が巡らせてある。

 マイアミからサラサトに向かう途上、ようやくにして西海岸に近づいてナプレスという町の付近で、アウトレット・モールの看板があり、ここで休憩することにした。ここでもいくつかのエピソードがあったが、これについては別テーマの点描記に譲ることにする。

捕食する瞬間のペリカン

(納)

「原発安全革命」を読む

2012-02-11 15:47:33 | Weblog
 知人に勧められて古川和男著「原発安全革命」(文春新書)を読んだ。いままで殆ど報道されなかった原理による原発の提案書である。その骨子は(私の理解が正しければ)
①従来の固体燃料と違い液体燃料(フッ化リチウム、フッ化ベリリウム、フッ化トリウム、フッ化ウランなどの溶液)を、炉心部と熱交換器の間で循環させて使う。液体だから取り扱いが容易である。
②液体燃料は黒鉛の炉心部で核反応して発熱し、そのまま炉心外の熱交換器に流れ、熱を放出する。熱効率が高い。
③炉心の外では中性子減速材がないので、炉心から出た液体燃料は持続的核反応をしない(臨界にならず、核反応は自然に減退する)。安全上、有利。
④液体は高温(500~700度)だが常圧。温度が下るとガラス上の固形になる。安全上、有利。
⑤液体原発は構造が簡単、安全だから、都市近郊に小規模原発を分散して作れ。
⑥トリウムはいたるところにある。
といったところであろうか。これまでの固体燃料の原発に比べ多くの有利な点があることを力説している。
 できるだけ沢山の人に読んでいただきたい本である。同時に、原子炉工学の専門家の(黙殺するのではなく)真正面から取り組んだ反論も見てみたいものだ。
 著者の液体原発実現の強い熱意から多くのことを語りたいのであろうが、もう少しすっきり論点を絞ってとまとめた方が理解しやすいのではないか。(Robert)

最近中国事情の短聞

2012-02-10 10:50:49 | Weblog
 マイアミ空港からシカゴ空港までの飛行便にあって、臨席に中国人の男性観光客が座った。なんとか英語によるコミュニケーションができるインテリだったこともあり、最近の中国事情を聞きながら、約3時間のフライトの退屈さを紛らわした。
 北京からのアメリカ国内の観光旅行に参加しており、ニューヨークとフロリダを巡る約10日間の16名のグループによる旅行であるという。その費用を聞いたところ4千5百米ドル程度というから、日本からの観光旅行とさほど変わらない。しかしながら、このようなアメリカ旅行に参加できるようになっている背景から、中国の急速な経済発展を伺わせる。
 中国、北京周辺でのゴルフ会員権は高価になったという。どの程度の価格かと聞いたところ、約5万米ドルはするという。この会員権を取得するとプレーにかかる費用は少なくてすむらしい。
 一人っ子政策について尋ねた。
筆者は、数年前に二人目の出産には、日本円にして5百万円の税金を支払わなければならないと聞いたことがある。この高額な税金について確かめようがないが、隣の席の中国人は、いまは第二子の出産にかかわる税金は緩和されており、多分2千米ドル程度ではないかということである。米国観光旅行に参加できるようになった中国の中産階級は第二子をもうけることも可能になっている。第二子に関する最近の中国事情である。ちなみに話し相手になった中国人は、一人っ子のみで22歳の学生であるという。
本人の職業は造船にかかわる技師で、欧州の造船会社から資材を購入しており、造船に関する限り先進国の水準には達していないということであった。
(応)

いま経済鎖国にある日本

2012-02-09 09:47:37 | Weblog
 円高にあって日本の工業生産企業は軒並みに業績悪化にあえいでいる。
その理由を考えてみる。ただし筆者は経済の専門家ではないことをあらかじめおことわりしておく。単なる「うわごと」であることを願うものである。

 最近、米国を訪れた。さぞかし円高のために、その恩恵にあずかるかも知れないと思った。しかし、食品とか外食に関していえば、円高のメリットは感じない。ドル円を換算しながら体験する外食は日本国内とは大差ない。スーパー・マーケットの食品売り場を覗いてみても為替レートは正確に実態を反映している。

 しかるに円高は、日本企業に深刻な打撃を与えつつある。
何故か。
 経済鎖国状態にいま日本が置かれているという仮説をたててみよう。
アメリカは、訪れるたびにインフレ状態が持続していることを実感する。また日本の周辺諸国の韓国とか中国もインフレが進んでいる。インフレが進む中での為替レートであるから、バブル崩壊後約20年近くデフレ状態にある日本の為替レートが諸外国の通貨に対して孤立的に円高に推移しているのである。
 周辺諸国がインフレ状態にあり、日本だけがデフレ状態であれば、国際取引における経済状態のアンバランスは避けられない。まさに経済的には隔絶された鎖国状態といっていいのではないか。

 なぜそうなったか。
 もっとも大きな原因は、政治的な経済政策の貧困にある。歴史観、世界観、経済的な推移を洞察する能力に欠けた政治家による舵取りを誤ったことにあり、このような政治家を選出した日本国国民にも責任がある。

 少しばかり戦後の日本の経済的な背景を25年単位で概観してみよう。
終戦は1945年であるから、その後の25年は1970年になる。この間の25年は、戦後の貧困から立ち直る努力が続き、朝鮮動乱と東京オリンピックをバネとする景気に支えられて繁栄の基礎を築きあげた。

 その後の25年間は、この基礎の上に経済的な繁栄をもたらし、財政的にも多くの蓄えをすることとなった。日本国は、先進国の中でもぬきんでた存在として成長した。その繁栄の中にあって、栄華を満喫しつつあるおりしもバブルの崩壊に直面する。このバブル崩壊は1990年頃であるから、経済的基盤を醸成した戦後25年に引き続く次の25年後に起こった。

 バブル崩壊と共に政治の経済的無策の中にデフレ状態となった。アメリカのインフレの動向を察知しながら、韓国、中国などのインフレ動向にも呼応して、このとき政治的には日本経済を静かにインフレ方向に誘導しなければならなかったのである。その方針を誤ったために経済的な鎖国状態を引き起こしたといえないだろうか。

 そして、今の日本は繁栄の時期に蓄えた貯金、これをなし崩しに使っているといえそうである。つまり日本国の財政は国債という借金によって運営されている。この国債は日本国民が国内に蓄積した財産によってまかなわれているが、やがて破綻する可能性は否定できない。
 これまでに取り上げた25年間の間隔による経済状況の概観を敷衍すると、2015年頃に日本国の財政破綻、すなわち国債償還の見送りが行われることになるかも知れない。いまギリシャ国が直面している危機である。このような危機に直面すれば、消費税の増税ていどでは国家財政の立て直しは難しいのではなかろうか。

 五木寛之氏の「下山の思想」は、人々の心をとらえているという。経済的な国際的孤立状態、ここでは経済的鎖国ととらえた今の日本は、明らかに経済的に「山を下っている」のである。

 衆議院議員の選挙が近いといわれている。自らの政党の拡大のために、飴のような政策を掲げる政党は、この事実から国民の目をそらすことになる。襲来するかも知れない日本国の財政破綻をどのようにして回避するか、その政治的な経済政策に注目しなければならない。

 2015年は、目の前に近づいている。
(農)

船旅からの便り -ノロウイルス感染のこと-

2012-02-08 09:55:16 | Weblog
 今回の船旅では、明らかにノロウイルスに船内感染した。このことを書き下しておかなければ、憂さが晴れない。

 いま、国内でもノロウイルスが蔓延しつつあることが毎日のように報道され、あるシニアの施設では、ノロウイルスのために数名の高齢者が死亡したと伝えられている。
帰国後、インターネット上に次のような記事が2月6日に掲載されていたので引用する。
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(CNN) 米客船運航会社プリンセス・クルージズによると、同社の大型客船2隻の船上でノロウイルスによる感染性胃腸炎の集団発生があり、発症した患者は計499人に上った。同社は、米疾病対策センター(CDC)の協力で感染経路を調べている。

ノロウイルス感染が広がったのは、フロリダ州フォートローダーデールのルビー・プリンセス号とクラウン・プリンセス号。

クラウン・プリンセスは4日にカリブ海クルーズから帰港。乗っていた3100人のうち、乗員30人、乗客364人が症状を訴えた。5日午前に帰港したルビー・プリンセスでは、3000人のうち乗員13人、乗客92人が発症していた。
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私共の乗船した巨大客船は、この記事には記載されていないが、フロリダ州フォートローダーデールから1月21日出航して、同地に1月28日に帰港している。

 私共の船内感染の様子を述べよう。
 まずは家人が、23日に発症した。体が動かされないほど倦怠感があり、吐き気がするという。僅かながら発熱もある。食欲は全くない。このことを客室係に告げると、早速嘔吐物を入れるためのビニール袋を差し入れてくれた。まことに心得たものであり、これには感心した。
家人は、嘔吐もなく、すぐに回復したが、今度は筆者が24日に発症した。いささか尾籠で申し訳ないが、激しい下痢に見舞われて、親しくトイレとおつき合いする状態に陥った。

 その日に船長から「ノロウイルスに御注意」というパンフレットが配られた。
なんとも遅い。
 このような書類は、乗船時に配布すべきである。どうやら、この巨大船内では、風土病のようにノロウイルスが住み着いているらしい。客室係が手早く対応する理由も、よくわかった。よほど船長宛に、ノロウイルス対策のために運行を中止して、船内の徹底した消毒を実施するようにとの手紙を書こうかと思った。が、英文手紙は苦手なので書かなかった。

 また、乗船時の日本人乗客に対する説明会もいけない。医者は乗船しているが、僅かな診察でも高い診療費を立て替え払いしなければならないという。船内の医者にも気軽に診察してもらえないではないか。
 携帯パソコンでWiFi接続し、ノロウイルスのことを調べると、生命にかかわるような深刻なことはなく「胃の風邪のようなもの」との情報を得て、少しは安心する。これが陸上の団体旅行ならば、親しいトイレとのおつき合いが続くから「置いていってくれ」といわざるを得ない状況であるが、幸いにして船旅は、そのようなことは考えなくともすむ。しかしながらメキシコのコズメルの陸上観光旅行は、致し方なくキャンセルして船内に留まった。

 帰国後、留守をまもっていた子女が、ノロウイルスに感染した。明らかに私共が海外から持ち帰った望ましからぬ土産である。2日ほど勤務を休み、今朝2月8日は出勤した。

 これからフロリダ州フォートローダーデールからの船旅を計画しておられる方があれば、ノロウイルス対策をたててからお出かけになることを進言しておきたい。ちなみにノロウイルスは、アルコール類では除菌できない程強力で、感染力も強いといわれているから、充分に対策がたてられる医薬品、除菌剤を準備されることが望ましいであろう。
(納)

船旅からの便り -乗客の顔ぶれ-

2012-02-05 12:07:09 | Weblog
 巨大客船に乗り込み、短い旅を体験した。
 その便りである。
かっては豪華客船といわれ、とても庶民の手には届かなかった船旅が、7泊程度の短い期間ではあるが、手軽な価格で旅行できるようになっている。

 あるとき家人は転倒し、手首の複雑骨折を招いたために、手術を受けて入院する羽目に陥った。その入院していた隣のベッドに、船旅に魅せられた患者と同室になり、船旅のことを毎晩のように聞かされたという。家人には、おとぎ話のようにも思われたらしく、手首の骨折が回復したら船旅に行きたいとせがまれた。

 カリブ海に行きたいという。
それではということで、インターネットで捜し始めたのが、2011年の夏の頃であった。カリブ海はハリケーンがしばしば発生し、大きな被害をもたらすから、船旅の時期を選ばなければならない。日本がもっとも寒い頃ならば、カリブ海にも嵐はないと思い、6ヶ月先の2012年1月中旬の船旅を選んだ。
客船は、米国系船会社の22万トン級で、乗客数は5千人を超え、船員数も2千人以上の巨大船である。出港地は、フロリダのマイアミ近くの港である。幸いにして航空便もエコノミークラスの正規割引運賃が予約できたので、米国内の団体観光旅行と期間が同じ程度の費用で収まるのが嬉しい。家人の希望を満たすことは、長年のおつきあいに報い、手首の回復の念願が成就するためでもある。

 乗客の顔ぶれを眺める。
1月も中旬過ぎであるから年始年末の休暇時期は過ぎているので、乗客数は少ないのではないかと考えていた。ところが5千人の収容能力のほぼ満杯と思われる乗客数であった。
 日本人乗船客は団体の30名程度の他に、私共の個人的な乗客が十数名であった。
明らかに中国大陸からの中国団体旅行客が少なくとも五百名は参加している。中国の経済的繁栄ぶりが、米国フロリダの港に押し寄せている。中には十代前後の子供を数人つれている乗客もいる。乗船中に、私も何度となく「ニーハオ」と声がけされたものである。日本人はマイナーな存在であることを思い知らされた。
 もとより乗客の大半は、米国人である。しかもシニアがほとんどであり、学期期間中でもあるから、中国人のような子供ずれの家族旅行は、まず見あたらない。深いシニアにまではいたらないにもかかわらず車椅子で移動する米国人がいる。観察すると自力では歩行が困難なほどに体躯が拡大し、自分の足だけではその体重を支えられないため、電動車椅子を使用していることがわかる。船旅であるからこそ、可能な旅行である。このような乗客は意外に多く見かけた。
 イスラム教徒として特徴的な乗客は、ほとんど見かけない。いま、米国はイスラム圏と紛争状態にあることを思わせる。家人は、インド系の乗客も少ないという。そういえばターバンを巻いた乗客に接することは皆無であった。

 船員の源国籍は様々であろうと思われる。マイアミ空港は、南米との接点にあるハブ空港であり、ラテン系の言語が飛び交う。船員構成も、その流れの中にある。中国系の若い船員もいる。中国客が多いことからも当然であろう。ディナー・テーブルに案内してくれた若い中国の女性は、日本の隣からきたという。よくよく聞くと数年前に、大連からきて働いているとのことであった。

 メキシコのコズメルに着岸したとき、他にも巨大客船が三隻入港した。このような巨大客船が、数千人にものぼる乗客を抱えながら、何隻もカリブ海を航海していることは、経済的に困難な時期にあるといわれているアメリカ、いまだに余力があることを思い知らされた。あるいは上昇機運にある中国の観光客がこれを下支えしているのかも知れない。

 このような巨大客船の文化圏、いまの日本にはない。飛鳥Ⅱなどの豪華客船はあるにはあるが、格安で数千人の乗客を収容し、短期間の航海で、収益を上げることは至難となっている。その困難な背景には、船員の人件費が大きくかかわるものと想像する。
これは雇用形態の差違がある。
 米国等の客船の接客乗務員は低い基本給で雇用されており、乗客にサービスを提供し、チップをもらうことで稼ぎなさいという雇用形態である。そのことで優れたサービスが乗客に提供できるから、船会社としてもチップは渡してほしいと書面にもさりげなく明記してある。このような雇用形態のことを日本人乗客は熟知しないから、乗員も日本人とわかれば、形式的と思われるサービスしかしない。
これを避けるためには、思い切って最初に多めのチップを渡すことが、船旅文化圏に馴染むコツであること学んだものである。団体で参加する場合、添乗員がよく承知している事項であるから、チップとして余分の費用がかかることは理解しておく必要がある。

 乗客の顔ぶれから、少しはずれた話題になったが、個人的に外国系の船旅をされる方の参考になれば幸いである。
(納)

(続)面白データ

2012-02-05 10:50:51 | Weblog
 日本のエネルギー消費量の電力換算を報告した(面白データ)ところ、(応)さんから、各種の発電能力はどうかとコメントをいただいた。日本は山岳地帯が多く雨も多いので豊富な水量に恵まれている。わが山里の長野県でも勢いのよい清流が数多くある。時に水害をもたらすが、これを自然の恵みと逆手に捉えて積極的に活用したらと言う思いがする。簡単な計算をしてみよう。
 我が家の近くの流れに関して、毎秒1m**3(mの3乗) = 10**6 ccの水(比重を1として10**3 kg、実際はもっとある) が 10 mの落差を流れ落ちるとしてみる。失われる位置エネルギーmgh( m: 質量 [kg], g: 重力加速度 9.8 [m/sec**2], h: 高さ [m])は,
       103 ×9.8×10 = 9.8×104 [J/sec] = 98 [kw]
1軒当たりの電力消費は多くて5kw程度であるから、これでもおよそ20軒分の電力をまかなえる。実際には、流れに対する抵抗もあるから、この3割程度としても6 軒分だ。
 水力発電を考える場合、大型のダムを建設して大電力を一気に得ようとするだけでなく、地域の清流を利用した小型の水力発電でその地域の電力を賄うということをもっと考えてよいのではないか。信州大学では小型水力発電機の開発に取り組むという(拍手)。
 電力供給については、良質な産業用電力と、それ程の質を必要としない一般家庭用の電力を分けて、前者は大型の発電施設の電力会社に任せ、後者は地域ごとの簡便な発電を利用するという方策があり得るのではないか。地域ごとの送配電網を新たに作るにしても、既設の家庭向け送配電網を切り分けて利用すれば、それ程コストはかからないのではないか。
 このようなことを考えていたら、以下のような環境省の報告書(平成22年4月 http://www.env.go.jp/earth/report/h23-03/html)を見つけた。

方法   実現能力(ポテンシャルと言っている)  既設

風力   19億kw                 219万kw
太陽光  1.5億kw                 363万kw
中小水力 1700万kw                955万kw
地熱   3300万kw                53万kw

合計   21億kw                 1590万kw

 やや、目を疑うほどの能力だ(我が国の総エネルギー消費(2008年度)の電力換算約7億kw)。コセコセしたスマート送配電もよいが、この際、本格的な投資をして我が国の電力供給システムを抜本的に改革すべきではないか。これこそ日本再生の計だ。(青)

COGNITIVE RADIO(8) 最近の米国WiFi事情

2012-02-03 12:06:57 | Weblog
 今回の米国旅行には、最新のiPadを持参してこれを活用した。
3G接続すると何十万円という高価な通信料を請求されることがあると驚かされたので、WiFiに限ってインターネット接続を利用することにした。
 乗り継ぎをしたシカゴ国際空港では、WiFiの表示は現れるが接続はできなかった。
 マイアミ国際空港では、空港案内に限って無料の接続ができた。従って空港内の案内とか、航空会社の出発便、到着便などを確認には、おおいに役にたったが、メイル接続はできない。空港案内の中に有償のWiFi接続が見つかったのでこれを利用することにした。30分接続では約5ドル程度、24時間接続は8ドル程度であった。後から到着する同行者を待つために、かなり長時間にわたって空港内に逗留するから、24時間利用をクレジット・カードによる支払いで接続した。
 ドサッと貯まったメイルが届けられる。
 当初は、快適な通信速度であったが、その内に明らかに通信速度が低下する。混み合ってきているのか、あるいは長く使うと意図的に通信速度が落とされるのか、その理由は不明である。

 WiFi利用が無料であるということから選定したホテルに宿泊する。チェックインの時に利用証と暗証の記号が渡される。ホテルの部屋に落ち着いてからWiFi接続しようとするとこれらの記号入力がうながされて、容易に接続できる。
無料使用できることもあり、おおいに満足できる。

 旅行目的は、22万トンの世界最大の巨大客船によるカリブ海クルーズを体験することにあった。この船内の客室ではWiFi接続できるが、無償ではない。遙かな洋上から衛星中継をするためもあり、かなり高額である。しかしながら接続時間のみに課金されるから必要に応じて接続すればいい。
 そのように試みた。
 ところがiPadは、常時接続した状態で使うように設計されているらしく、WiFi接続を切ったまま操作すると、やたらに警告メッセージが表示される。設定を変更できるかも知れないが、警告メッセージがでることで、課金されていないことがわかる。そのままにして操作した。

 さてWiFiは、いま普及しつつある段階である。あるところでは無償であり、あるところでは有償にした商売が行われつつある。
これが米国での最近のWiFi事情である。
 日本でも3Gに対抗して、日本全国どこでも主要な領域ではWiFi接続できるホットスポット環境を提供する業者が出現することは間違いない。

 新たなCOGNITIVE RADIOの世界が展開しつつある。
(納)