風格の備わった大学には、学問の殿堂としての図書館が誇らしくそびえ建っている。
大学の学問としての歴史的価値を保存する博物館でもある。
いまインターネットの普及と共に情報が氾濫し、さらに電子図書も広く流通しつつあるこの時代に、図書館の存在価値はあるのだろうかと言われている。
この意見に反論し、大学図書館の今後の在り方について、ここでは私見を書き留めておきたい。
大学の使命については、ボブ氏の「大学の復権」、筆者の「風格のある大学」で所見を述べている。
図書の存在価値については、青氏の「成書談義」、筆者の「成書と雑誌」に述べている。成書は不滅であると著者は信じている。
現在、将来共に存在価値がある成書を納める場所が図書館である。
現在、あるいは少し時間的に間口を広げて、現代に存在価値がある成書は、公立の都道府県立あるいは市立図書館に備えられ、一般の方々の便宜に供する。ここでは存在価値が薄れた成書は棄却される。
大学の図書館は、別の使命を持っている。
筆者は、将来にわたる大学図書館の使命には大きく三つあると考えている。
第一は、大学の使命である優れた人材の育成の一環を支える図書館である。つまり人材の育成のため、学習図書館としての使命がある。講義の合間に、若き学生は安らぎをおぼえながら成書に親しむ空間を提供するのである。親しみ深い部屋は、むき出しの白壁とアルミ建材の窓はふさわしくない。重厚な深みのある木質で囲まれた芸術性の豊かな空間としたい。ある知人は、山小屋と称して木質系の落ち着いた空間の書斎をしつらえ、その中で勉学にいそしみ、思索を練っておられることに羨望をおぼえる。
学習図書館に備える成書は、講義に用いられる僅かな数の教科書と先生方から推薦された講義内容を補う成書である。もしこれらの資料がインターネットから得られるのであれば、図書館とは全く雰囲気の異なるインターネット・アクセス・サイトを利用できるようにしておくことも必要であろう。しかしこのサイトは図書館の中になくともいい。むしろ教場に近い方がよい。学習図書館ではパソコンの携帯は禁止する。いま流行しつつあるWiFi接続とか、スマホさえも利用できないようにするため、この重厚な空間は外部からの電磁波を遮断する構造にしておくのである。
第二の大学図書館の使命は、人類の将来を見据えた学問的な開発と発展並びにその成果の応用拡大に関わる大学の職員、並びに若き学徒の支援態勢である。
いま大学図書館では正式な論文として掲載された学会誌の購読に多大な課題をかかえ始めている。その理由は学会誌の商業化である。平成24年1月の電子情報通信学会誌に高橋 努氏による「大学図書館から見た電子ジャーナルの現状と問題点」が掲載されており、大学図書館の苦悩が伝わる。
かっての学会誌といえば、最新の論文が掲載された雑誌が、これを購読する研究者のもとに届けられた。図書館では、配布された学会雑誌を年度ごとにまとめて製本化して保管し、先生方とか学生の教育・研究資料としていつでも提供できるようにしていた。大学図書館の大きな役割の一つであったのである。ところが論文のディジタル情報化とインターネットの普及は、これまでの大学図書館の役割に旋風をもたらしている。
多くの学会は、雑誌の発刊に多大な費用がかかることから、論文として採用した著者から論文掲載料を徴収したのである。本来ならば人類にとって有益な研究成果を無償で提供できること、それは研究に従事した者にとっては冥利であり、しかも名誉なことであった。この良き風習がなくなり、研究者に対して論文掲載料を要求するようになったのは1980年頃からであったろうか。
学問の世界では、研究成果が無償で提供され、その成果が無償で利用できることが理想である。そのためには無償で論文を公開する機構がなければならない。
この理想郷を遮っているのが、電子ジャーナルの商業化である。
学会にも大中小がある。大きな学会は、電子ジャーナルを自ら発刊・管理する能力があるが、中小学会には、その体力がない。従って商業化した電子ジャーナル論文刊行会社に、学会誌発刊を以来する。いま全世界的な規模になっている学会誌刊行会社は、シュプリンガー社、エルゼビァ社などがある。
上記の高橋氏の寄稿文によると平成21年(2009年)、日本の大学全体の電子ジャーナルに支払う支出は約208億円となり、五年前に比べると約3.4倍になっているという。大学図書館の大きな負担になっていることは充分理解できる。この学術誌の電子ジャーナルの商業化にあって大学図書館は連合組織を組み、大学間での共有態勢を進めて対策を立てようとしている。電子ジャーナル発刊会社は、連合組織に対して、その規模に見合った値上げを行って対抗しつつあるという。
いま、なお渦中にある大学図書館が抱える課題である。
筆者がささやかながら提案できることは、大学の教職員がかかわる専門分野に特化して電子ジャーナルを購入することである。その電子ジャーナルの利用は大学に在職する教職員の管理のもとに他大学の先生方とか学生が利用できる態勢を整えることであろう。それにより大学間の研究での交流も進められる。
大学図書館の大きな使命は、研究分野での支援であり、得られた成果をきっちりと永久に保存する態勢である。従って大学が属する職員・学生・卒業生が発刊した成書とか正式な論文、その中で電子ジャーナルとなったものは保存のきく紙に印刷製本して保存するのである。
大学図書館は、その大学に属した方々が残した業績を納める殿堂としての役割がある。
第三の図書館の使命は、大学で生じる事象を記録したアーカイブスである。大学で発刊した公文書、様々な議事録、さらには在職した学生に関する記録文書の保存である。これらの記録は大学として存在する限り100年後、あるいは千年後には貴重な資料となる可能性をもっている。もとよりこの記録情報は、電子化媒体に保存しても差し支えないが、そのためには千年後であっても利用できることを確かめておかなければならない。その保証がないならば、和紙のような性質を持つ紙に、墨のような性質を持つ媒体で記録しておくのである。
今後の大学図書館は、以上の三つの使命を備えることにある、と私見を述べた。
もしかして参考になれば幸いである。
(応)
大学の学問としての歴史的価値を保存する博物館でもある。
いまインターネットの普及と共に情報が氾濫し、さらに電子図書も広く流通しつつあるこの時代に、図書館の存在価値はあるのだろうかと言われている。
この意見に反論し、大学図書館の今後の在り方について、ここでは私見を書き留めておきたい。
大学の使命については、ボブ氏の「大学の復権」、筆者の「風格のある大学」で所見を述べている。
図書の存在価値については、青氏の「成書談義」、筆者の「成書と雑誌」に述べている。成書は不滅であると著者は信じている。
現在、将来共に存在価値がある成書を納める場所が図書館である。
現在、あるいは少し時間的に間口を広げて、現代に存在価値がある成書は、公立の都道府県立あるいは市立図書館に備えられ、一般の方々の便宜に供する。ここでは存在価値が薄れた成書は棄却される。
大学の図書館は、別の使命を持っている。
筆者は、将来にわたる大学図書館の使命には大きく三つあると考えている。
第一は、大学の使命である優れた人材の育成の一環を支える図書館である。つまり人材の育成のため、学習図書館としての使命がある。講義の合間に、若き学生は安らぎをおぼえながら成書に親しむ空間を提供するのである。親しみ深い部屋は、むき出しの白壁とアルミ建材の窓はふさわしくない。重厚な深みのある木質で囲まれた芸術性の豊かな空間としたい。ある知人は、山小屋と称して木質系の落ち着いた空間の書斎をしつらえ、その中で勉学にいそしみ、思索を練っておられることに羨望をおぼえる。
学習図書館に備える成書は、講義に用いられる僅かな数の教科書と先生方から推薦された講義内容を補う成書である。もしこれらの資料がインターネットから得られるのであれば、図書館とは全く雰囲気の異なるインターネット・アクセス・サイトを利用できるようにしておくことも必要であろう。しかしこのサイトは図書館の中になくともいい。むしろ教場に近い方がよい。学習図書館ではパソコンの携帯は禁止する。いま流行しつつあるWiFi接続とか、スマホさえも利用できないようにするため、この重厚な空間は外部からの電磁波を遮断する構造にしておくのである。
第二の大学図書館の使命は、人類の将来を見据えた学問的な開発と発展並びにその成果の応用拡大に関わる大学の職員、並びに若き学徒の支援態勢である。
いま大学図書館では正式な論文として掲載された学会誌の購読に多大な課題をかかえ始めている。その理由は学会誌の商業化である。平成24年1月の電子情報通信学会誌に高橋 努氏による「大学図書館から見た電子ジャーナルの現状と問題点」が掲載されており、大学図書館の苦悩が伝わる。
かっての学会誌といえば、最新の論文が掲載された雑誌が、これを購読する研究者のもとに届けられた。図書館では、配布された学会雑誌を年度ごとにまとめて製本化して保管し、先生方とか学生の教育・研究資料としていつでも提供できるようにしていた。大学図書館の大きな役割の一つであったのである。ところが論文のディジタル情報化とインターネットの普及は、これまでの大学図書館の役割に旋風をもたらしている。
多くの学会は、雑誌の発刊に多大な費用がかかることから、論文として採用した著者から論文掲載料を徴収したのである。本来ならば人類にとって有益な研究成果を無償で提供できること、それは研究に従事した者にとっては冥利であり、しかも名誉なことであった。この良き風習がなくなり、研究者に対して論文掲載料を要求するようになったのは1980年頃からであったろうか。
学問の世界では、研究成果が無償で提供され、その成果が無償で利用できることが理想である。そのためには無償で論文を公開する機構がなければならない。
この理想郷を遮っているのが、電子ジャーナルの商業化である。
学会にも大中小がある。大きな学会は、電子ジャーナルを自ら発刊・管理する能力があるが、中小学会には、その体力がない。従って商業化した電子ジャーナル論文刊行会社に、学会誌発刊を以来する。いま全世界的な規模になっている学会誌刊行会社は、シュプリンガー社、エルゼビァ社などがある。
上記の高橋氏の寄稿文によると平成21年(2009年)、日本の大学全体の電子ジャーナルに支払う支出は約208億円となり、五年前に比べると約3.4倍になっているという。大学図書館の大きな負担になっていることは充分理解できる。この学術誌の電子ジャーナルの商業化にあって大学図書館は連合組織を組み、大学間での共有態勢を進めて対策を立てようとしている。電子ジャーナル発刊会社は、連合組織に対して、その規模に見合った値上げを行って対抗しつつあるという。
いま、なお渦中にある大学図書館が抱える課題である。
筆者がささやかながら提案できることは、大学の教職員がかかわる専門分野に特化して電子ジャーナルを購入することである。その電子ジャーナルの利用は大学に在職する教職員の管理のもとに他大学の先生方とか学生が利用できる態勢を整えることであろう。それにより大学間の研究での交流も進められる。
大学図書館の大きな使命は、研究分野での支援であり、得られた成果をきっちりと永久に保存する態勢である。従って大学が属する職員・学生・卒業生が発刊した成書とか正式な論文、その中で電子ジャーナルとなったものは保存のきく紙に印刷製本して保存するのである。
大学図書館は、その大学に属した方々が残した業績を納める殿堂としての役割がある。
第三の図書館の使命は、大学で生じる事象を記録したアーカイブスである。大学で発刊した公文書、様々な議事録、さらには在職した学生に関する記録文書の保存である。これらの記録は大学として存在する限り100年後、あるいは千年後には貴重な資料となる可能性をもっている。もとよりこの記録情報は、電子化媒体に保存しても差し支えないが、そのためには千年後であっても利用できることを確かめておかなければならない。その保証がないならば、和紙のような性質を持つ紙に、墨のような性質を持つ媒体で記録しておくのである。
今後の大学図書館は、以上の三つの使命を備えることにある、と私見を述べた。
もしかして参考になれば幸いである。
(応)