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炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

巨大化する地方都市

2013-11-03 18:15:36 | Weblog
 何十年かぶりに時間をかけて故郷の地方の城下都市を訪れた。
巨大化する田舎都市になりつつあることに大きな失望感とあわせて将来への不安感をいだく訪問となった。
 故郷とはいえ、親類縁者はほとんどいない。
学窓の友は多い。しかしながら老域に達している友といえども多忙であろうから、お世話になるわけにはいかない。巨大化しつつある都市がいかに不便な環境をかもしだしているか、ヒシと実体験した。

 道路は広くなり、縦横に巨大化都市空間に拡がる。
自動車社会の現出である。さらにいえば、自動車優先の都市になりつつある。
ということは、歩行者には不便になっていることを意味している。
かっては足で歩ける範囲に繁華街があり、デパートがあって賑わっていた。その側には夜になると飲み食いに集い、いっぱい傾けながら、鬱憤をはらし、励まし合う語らいの場所を赤提灯が照らしだしていた。

 何十年か前の意識のままに城趾と博物館の見物に出かけた。
城趾と博物館の周辺は砂である。戦時中、ハダシで通学した砂が敷きつめられていた道路は、自動車優先都市として舗装されている。ハダシで歩くことはできない。

 博物館の中を見学した後、バス停に向かう。ところが1時間に2本程度しか運行していない。待ち時間は15分以上ある。50年、すなわち半世紀以上前のことだが、何とか土地勘はあると信じて15分もあればさらに頻繁にバスがありそうな古い神社の側まで歩くことにした。その歩く途中、親しかった友人のオヤジが経営していた薬局が昔のままの看板を掲げているのを見て立ち寄り、旧友の消息を尋ねた。旧友の弟が店を継いでおり、貴重な情報を得ることができた。半世紀以上前の記憶をもとに歩きめぐり、その恩恵を受けた。
 別のバス停に辿り着く。
 停留所には、オバアサンが丸まったように座り込んで、バスを待っている。時刻表を見ると7-8分で目的地行きのバスがありそうなので、歩き疲れたこともあって待つことにした。
 バスがきた。
 しかしよく見ると行こうとしている目的地の表示はない。オバアサンはいそいそと乗り込んで車内に消えたが、乗ったところで目的地からは遠くなるから乗らないことにした。時刻表を改めてみると欄が違っていた。目的地行きのバスはさらに待たなければならない。
 再び、もっと頻繁にバスが通りそうな街路に移動することにした。そこで、ようやくにして目的地行きのバスに巡り会い、何とか着くことができた。若ければ歩いた方が早かったであろうと思った程の距離である。

 友人に会って、バスの運航本数がすくないことの不満を述べると、巨大化した田舎都市となり、自家用車がなければ不便であるという。周辺には大きなショッピング・センターがあり、車社会の人種には好都合とか。長い時間かけて待ち続けていたバス停のオバアサンの丸くなった座り姿を想い出しながら、さぞ老人にも厳しい環境となっていると寂寞とした想いがよぎる。戦後の時代にあっては、みるみるのうちに活気を取り戻したシティ中央にある商店街はさびれはて宵闇と共に真っ暗になると旧友は語る。
 巨大化した都市の将来は、どうなるであろうか。シンガポールとかドバイのような巨大都市の気候環境を人間の住みやすい状態に保つ化石エネルギーはやがて枯渇するであろう。日本の城下都市での住環境にそれほど化石エネルギーを使わないとしても、自動車社会を支える化石エネルギーもやがて枯渇するとすれば、ヒトの足による往来を拒絶することから、不便きわまりない状態になるであろう。
 これが当初に述べた不安感である。
 エネルギー源として電力があればいいのではないか、という方もあろう。原子力発電を停止するとした社会になれば、やはり化石エネルギーに頼らざるを得ない。自然の太陽などが恵みをもたらすエネルギーがこれに変わる時代がくる可能性は低い、と筆者は考えている。
 そのような不安感にかられながら、シティの北部にたたずむ山並みを眺めると茶色っぽくかすんで見える。中国大陸からのPM2.5の影響ではないかと思わせる。その夜のNHK放送ではPM2.5のレベル状況を報道していた。非安全基準には、いますこしで届きそうではあるが、とりあえず安全という。しかしながら、山並みの景観は、PM2.5の影響を科学的な測定値より正確にヒトの感覚に伝わるのではないかと思った。

 巨大化した田舎都市での失望にも救いはある。周辺の道路が平面上に整備されているから高架道路は存在せず、また高速道路は市内を横貫していないから、都市景観は損なわれていない。唯一の高架は鉄道路線だけである。
 巨大化未来都市は人間性を無視する、と実感した故郷を訪れる旅であった。

 その都市はどこか、という質問を受けそうであるが、日本全国どこにでも見かける城下都市であり、ここに述べた状況には大差がないと考えている。
(納)