炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

ネーミングは誰が決める?

2008-09-22 13:09:13 | Weblog
 以前、「応」さんは、ある用語(方程式)について、それが適切かどうか疑問を呈しておられた。近頃メディア上で使われている一般的な用語でも、違和感を覚えるものが少なくない。
 真っ先にあげてよいものに、最近の「事故米」がある。事故と言うのは、「思いもかけずに生じた困ったこと(あるいは、不都合なこと)」を言うのではないのか。今回の騒動の米は思いもかけずに生じたものではない。「事故米」ではなく、もっと単純明快に「汚染米」(一歩引き下がって「非食用米」としてもよい)ではないのか。誰が、このように呼ぶように決めたのだろうか。どこかが強引に決めたとしても、健全な常識に基づいてマスコミは使うのを拒んでもよいのではないか。少なくとも不適切な用語が蔓延するお先棒を担いでもらいたくないものだ。
 夏にはやった「ヒートアイランド」と言うのも感心しない。「アイランド」という言葉からはさわやかな印象を受けるが、そこに暑苦しい感じの「ヒート」である。語感の前後が拮抗している。また、アイランドには周囲から離れている感じがあるが、周りの空気からつながる中で暑い一団があるのはないか。私は、「都心の天気予報があまり当たらないのは、気象予報システムが都心に熱気団があるのを考慮に入れていないからではないか」とよく妻と話したものだ。この「熱気団」のほうがよほど夏の暑苦しさをあらわしていると思うのは独りよがりであろうか。
「クールビズ」と言うのも好感がもてない。第一、音が汚い。「ビズ」は「ビジネス」に結びつけたという説明をどこかで聞いたような気がするが、「クール」が「ビジネス」とどう結びつくのか。単純に「クールウエア」でよいではないか。
英語の先生から叱られるかもしれないが、accountabilityの訳を「説明責任」と言うのも妙な言葉だ。おそらく、account、accountableから来たのであろうが、「出たり入ったりの辻褄がきちんと合うか勘定できる(勘定して示せる)」と言うことではないのか。「勘定して示せる」から「説明できる」あるいはaccount for が「説明する」となるのは分かるとしても、「責任」と言う言葉は出てこないのではないか。ある者がaccountableでないならないでよいのである。こちらは以後その人を信用しないし、相手にもしないだけの話である。
 「責任」がくっつくと通り一遍の説明で「はい責任を果たしました」と済まされてしまうような気がしないでもない。それにつけても「責任」と言う言葉が、近頃、なんと薄っぺらになってしまったことか。
 conformanceを「法令順守」と言うのもスゴイ訳だ。われわれエンジニアリングの世界ではconformance testと言うのがあるが、これは二つの装置を接続するとき、互いに接続条件に適合しているかをテストする用語だ。法令と人間(あるいは人間集団としての企業)との接点で、適合しているかどうかと言うところにconformanceを置いたのであろうが、直接「法令」という言葉は出てこないし、「順守」と言う積極的な行為を示唆する意味も本来ないのではないか。それではもっとよい訳があるかと問われれば、答えに窮するところだ。(A.O.)

直下型地震による建物の被害

2008-09-18 16:56:48 | Weblog
これまでにも二度ほど地震の話題を取り上げた。
最初は、2006年9月の「直下型地震の対策は?」である。ついで2008年2月には「地震に遭った原子力発電所、その後は?」として書きとめておいた。

2008年9月の現在、刈羽・柏崎原子力発電所での原子力発電は再開したということは聞いていない。想定されていない被害に遭ったのではないだろうかとも想像される。

最初に話題提供してから、日本列島では、何度か直下型地震に見舞われている。地下から衝撃が伝わり、その衝撃力でピアノが跳び上がったなどということを体験談として聞く。

直下型地震のたびに公開されている地震波形について直後に調べているが、ピアノが跳び上がるような衝撃らしい地震波形は見あたらない。地震計が直下地震上になかったためなのか、地震計は震動を記録するためのもので、衝撃力が記録できないためなのか不明である。もし衝撃力がいまの地震計では記録できないとすれば、直下型地震による衝撃力が、建造物に対してどのような影響を与えるかよく解っていないことになる。もし衝撃力がこれまでの地震計で計測できなかったとすれば、新たな地震計を開発する必要がある。

いま、あるコンクリートの建物を立てることに少しばかり関与している。先般は地盤調査のボーリングを行い、岩盤の深さを確認することを見学した。いまの建築技術では、この岩盤にコンクリートの杭を打ち込み、その上に建造物を建てれば盤石であるという。そこで直下型地震の衝撃力のことが思い起こした。衝撃力は、岩盤からコンクリートの杭を伝わって地上の建造物に伝わるであろう。その衝撃力が建物にどのように影響するだろうか。

写真は2007年7月16日に発生した中越沖地震の被害調査にかかわった知人が撮影したクリーンセンター煙突破壊の様子である。煙突は、直上に引きちぎられ、ドスンと元の位置に落ちたものと想定される。この写真ではよく解らないが、近くから撮影された写真をみると煙突の鉄筋が伸びきって、片側の半面、外側に出ていることから直下型地震による引きちぎり現象と解釈ができるからである。

東京都内の高層ビル群、直下型地震でもこのような破壊現象は決して起こらないと信じたい。
(納)

山麓閑話(5)-小鴨の災難

2008-09-16 11:32:56 | Weblog
 八月末のある日、家の前で人声がするので出てみたら、子鴨5羽が我が家の側溝の排水枡に落ちて出られないでいる。親鴨が鳴きながら排水枡の周りを動き回っているが、どうにもならない。時々近くで見かけた野性の鴨だ。
 こちらがあまり声を立てると、子鴨たちは、排水枡から出水する排水管の奥へしり込みしてしまう。そちらに行ったら助からないぞと気がきでない。ようやく一羽が出てきたところで、家から持ち出した虫取り網で、排水管の入り口をふさぐようにしてすくい上げ、親鴨の方に放してやった。残りの4羽はどんどん排水管の奥へと進んでしまい、ついには小さな鳴声も聞こえなくなってしまった。排水管の先は地下の大きな下水溝だ。うまく出口にたどり着けるだろうか。
 救い上げられた子鴨は一目散に親鴨の方に駆け寄ってゆく。親鴨は仕方がないと思っているのか、1羽だけを従えて遠ざかって行ってしまった。
 4羽の子鴨は犠牲になってしまったのだろうか。慌てたので、われわれの対応がまずかったかもしれない。騒ぎ立てる前に、まず、排水管の入り口をふさいでおけばよかった。その後、排水枡に戻ってきていないか、時々、見に行ったが、遂に姿を現さなかった。いつまでも後悔が残った。(青)

脳神経細胞の新生とは

2008-09-14 12:09:21 | Weblog
ニューロンが発見されたのは19世紀末、1906年にノーベル賞を受賞したスペインのラモニ・カハールによるもので、脳神経細胞の数は幼児の頃最大になり、その後は消滅する一方、決して再生しないと考えられていた。1998年11月にヒトの脳の中にある海馬という部分で脳細胞が新生されていることがスェーデンのエリクソンとアメリカのゲージらによって報告された。追証も行われ、100年にわたる定説が覆されている。

海馬での脳細胞の新生は、脳全体に影響を及ぼし記憶機能の重要な役割をはたしているという。加齢と共に脳神経細胞は消滅の一途を辿るものと信じていた私にとっては朗報である。調べてみると適当な運動、思考などの脳活動、栄養素の補給などが脳神経細胞の新生にいいといわれている。インターネットで検索すると緑茶のテアニンが栄養素として効果があるという。これが正しければ、こよなく緑茶を愛でたい。日本人が長寿であるということは、緑茶に効果があるかもしれないという思いが頭の中をよぎる。

ところが海馬の脳神経の新生、ヒトの生活のいかなる時に最も活発に行われるかということは、調べてもよくわからない。調べ方がよくないこともあるが。
そこで想定してみることにした。想定のことを仮説といいたいところであるが、脳科学者ではないので、一歩下がってそこまでは踏み込まないことにする。
脳神経細胞の新生は、眼球さえ動くことのないノンレム睡眠の熟睡中に最も多く行われるという想定である。ノンレム睡眠は数時間継続し、脳波も周期の遅い緩慢な波形が観測される。脳の活動を停止して脳の神経細胞が更新されると考える。海馬は記憶に重要なかかわりがあることから、熟睡中の脳神経細胞が新生する際に欠陥を持ち込むことは好ましくない。従って一切の思考を排除して神経細胞の新生をすると推定する。

熟睡の後には眼球が動くレム睡眠が続く。夢を見ている状態である。何故夢をみるのかということは、有名な精神分析学者フロイドなどにより古くから研究の対象となっている。
さらに仮説とまでいえない想定をつけ加えよう。夢は、新生した脳神経細胞の活性化を促すという想定である。つまり古くから存在する脳神経細胞の記憶経路構成と新生した神経細胞の整合を行う作業が夢とみなしてはどうだろうか。とんでもないことが夢の中では起こる。古い神経細胞と新生神経細胞との整合性が整わないためと解釈できる。
長距離トラックのドライバーが熟睡する仮眠をとったあと夢もみるいとまもなく運転にもどると事故を起こし易いといわれている。夢を見ることで整合性のある脳神経細胞の経路構成が整っていないと考えられる。熟睡直後にタタキ起こして心理的なテストをすることで、この想定が検証できるかもしれない。

ここまで書き進めたところで、心理学を研究している知人にこれを読んでもらったところ、コメントがあった。脳波の実験の合間、夢について調べてみたそうである。脳波を観測しつつ、ノンレム睡眠から明らかにレム睡眠に移行したところで、タタキ起こして夢の内容を聞き取ったという。一人の被験者にこれを何回か実施したところ疲労困憊したそうである。熟睡したにもかかわらず疲労するとは、夢を充分見なかったからというのでないか、という所感を得たそうである。

また、あるとき瞑想を研究しておられる心理学者に「瞑想とはいかなる状態ですか」と伺ったことがある。「瞑想とは何も考えないことです。無想です」といわれた。あるいはこの瞑想の中でも脳神経細胞の新生が行われているかも知れない。

緑茶を楽しみながら、瞑想にふけること、それは脳神経細胞の新生にこよなくすぐれ、長寿に結びつくかもしれない。これは茶道として、古くから日本伝統文化として継承され続けている。ただし、この「道」には適当な運動は必ずしも伴わない。茶席が行われる前後に広大な庭があれば、そこを散策するのもいい。
(脳)