炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

エントロピーとは(15) -熱エネルギー状態式の再考-

2017-04-30 19:18:39 | Weblog
アトキンズ著の翻訳本「エントロピーと秩序」の中に、「熱は、エネルギーの形態ではなく、エネルギーを移動させる方法の名称である」と書かれている。
なるほどそうかもしれないと思ったが違和感を持つ。
インターネットで入手できる名古屋大学の上羽牧夫氏による「統計物理学Ⅰ」には、物理学で扱う変数を次のように示量状態変数と示強状態変数に分類している。
示量状態変数 例:体積、エネルギー、量子数、質量、エントロピー
示強状態変数 例:温度、圧力、密度、誘電率
上記については別の視点から分類したい。
そこで、上記の変数を物理的に観測して測定可能な対象を明示変数とし、測定できる物理量から誘導できる対象を誘導変数としよう。明示変数を可観測変数とすれば、誘導変数は非可観測変数、又は推量変数と考えてもよい。
この分類による変数の例を次に示す。
明示変数 例:体積 V、圧力 P、温度 T、電圧 v、電流 i
誘導変数 例:エネルギー、エントロピー、密度、誘電率

誘導変数としたエネルギーは、運動エネルギー、熱エネルギー、電気エネルギー等があり、現代までの技術革新のおかげで相互に変換可能である。
ここで熱エネルギーの変数を記号Q、運動エネルギーの変数を記号Wと表示する。電気エネルギーの変数は記号Eとする。ここでは電気エネルギーに関して直接扱わないが説明のために引用する。
理想気体は体積の増減が仕事をすることから運動エネルギーWと見なすと、明示変数の圧力Pと体積Vの積として
W=P・V
と表示できる。電気エネルギーEも明示変数の電圧vと電流iの積として
E=v・i
と表示できる。理想気体の運動エネルギーと電気エネルギーとの視点をもとに熱エネルギーを見直してみよう。これまでのところ熱エネルギーは
Q=nR・T
と気体定数nRと温度の明示変数Tの積で表示されている。nRは変数ではないことに注意しておく。
エネルギーが伝搬する状態を分析してみよう。
理想気体の運動エネルギーWは、明示変数圧力Pの大きさの指示に従って体積Vが運動エネルギーの移動にかかわる。
電気エネルギーEについても、明示変数電圧vの大きさの指示にしたがって電流iが電気エネルギーの移動にかかわる。
熱エネルギーについてはどうか。
Q=nR・T
において明示変数の温度Tは、熱エネルギーの移動を指示する大きさである。しかしながらnRは変数ではない。したがって温度Tによって移動する熱エネルギー量は定まってしまう。
アトキンズが温度を「エネルギーを移動させる方法の名称である」という表現に違和感を持ったのは、「熱エネルギーを移動させるための大きさを指示する」と表現した方がいいと思ったからである。翻訳なので原典はそのように記述されているかもしれない。
エネルギーを移動する大きさを指示する表示変数の圧力P、電圧v、温度Tのいずれもエネルギーの移動先と表示値が同値になれば、エネルギーの移動は停止する。熱力学では、平衡状態として第0法則としている。
エネルギーには共通して保存則がある。前述のように Q=nR・T は、移動するエネルギー量が定まっていることを意味している。左辺の熱エネルギー量が変動したてとてもTが一定ならば右辺の値は変動しない。熱力学では環境温度として一定な温度Tの元に現象を扱うことがある。左辺の変動は環境温度として一定ならば右辺に影響がない。つまり理想気体での等温変化は左辺のエネルギー変化に応答しないことを意味する。
そこで定数nRの代わりに、誘導変数であるエントロピーSを導入して「誘導変数のエントロピーSは、表示変数である温度Tの大きさの指示に従って熱エネルギーの移動をおこなう」と解釈する。エントロピーは明示変数ではないので非可観測である。
理想気体のエネルギーの状態式は、表示変数P、V、Tと誘導変数Sをもちいて
W=P・V  ・・・ 式①-1
Q=S・T   ・・・ 式①-2
とする。理想気体の運動エネルギーと熱エネルギーは可逆変換できるとすれば
W=Q
であるから
W=Q=P・V=S・T   ・・・ 式②
と表示できる。可逆変換できない場合は、
Q:=W           ・・・ 式③
とする。記号:=は、右辺のエネルギーを左辺に等価的に移動することを意味する。その逆は
W:=Q-ΔQ
と記述する。運動エネルギーは、熱エネルギーに変えられるが、熱エネルギーは一部しか運動エネルギーに変えられないことを表現する。
微分演算子dにより式②を微分形式にすると
dQ=P・dV+V・dP=S・dT+T・dS   ・・・ 式④
が導かれる。記号Δは、微少な値を表示し、微分演算子dとは異なるとする。微分演算子は、これまでの数学的な積分が可能であることを示す。
式④をもとにすると環境温度が一定、すなわちdT=0とすれば
dQ=P・dV+V・dP=T・dS
である。これからdQ=T・dS によって
dS=dQ/T
となり、かの有名なクラジュウスのエントロピーの積分による定義式
S=∫dQ/T     ・・・ 式⑤
が導出される。
以上の解説から解るように、これまでに熱力学で扱われていたクラジュウスが提示したエントロピーはすべて環境温度一定とした条件下の定義であることがいえる。多くの難解な課題が生じた原因ではなかろうか。
ここで導いたエントロピーの定義はクラジュウスの積分表示による式⑤よりも解り易いと思われる。熱力学の今後の解析には、ここで提示した状態式①から④のような表示式を用いることを提案する。
すでにこの手法が存在すれば、コメントとして通知いただきたい。
(応)

エネルギーの移動について

2017-04-29 09:56:14 | Weblog
熱学のエントロピーのことがよく解らないことから、話題のシリーズものとして提供している。様々な図書、文献を読みながら理解を試みていたところエネルギーの移動には共通した特徴があることに気がつき、エントロピーも熱の移動にかかわっていることが解かっている。チマタにあふれている図書には明確に記述されていないので、話題としてとりあげる。

エネルギーには、運動、気体、電気、熱、波浪、地震、原子力など多岐にわたるが、ここでの話題としては運動、気体、電気、熱のエネルギーを対象としよう。
これらのエネルギーは互いに変換でき、それ自身も移動できるが、その実態を直接観測することはできない。エネルギーの存在とか移動は、何らかの観測手段が必要である。
運動エネルギーとその量は、速度と質量、気体は圧力と体積、電気は電圧と電流が観測手段としてある。共通して言えることは、速度、圧力、電圧はエネルギー量の持つ高さを表示しており、その高さによりエネルギーを移動できる。高さの差がなければ平衡状態となってエネルギーの移動は停止する。運動エネルギーは、速度がなくなるとエネルギーは消滅する。電気エネルギーは電圧の差があればエネルギーを移動できる。気体は圧力が同じになれば気体エネルギーは移動しない。熱エネルギーも温度差があれば熱エネルギーを移動できる。
エネルギーを移動する担い手は何か。運動については質量、気体は質量のある体積、電気は電流である。熱エネルギーは何が担い手になるのか。
運動、気体、電気等のエネルギーの担い手は観測する手段がある。観測できる熱エネルギーの担い手は物体だろうか。様々な図書をひもとく限り、熱エネルギーを移動する担い手は観測できる物体となっている。
しかしながら熱エネルギー移動の担い手を実在の物体とすることに違和感があり、筆者は、これまでよく解らなかった熱学のエントロピーを熱エネルギーの担い手と仮想してみた。この仮想を元に熱学の理論をすこしばかり解析してみたところ説明がうまくいくことに気がついており、「エントロピーとは」のシリーズ掲載に向けて準備を進めている。
エントロピーは直接観測できない。観測できないから熱エネルギーの移動の担い手とはなっていない。しかしエントロピーを熱エネルギー移動の担い手の片棒であることを仮想すると熱学の理論的解析が現実の現象とよく合致することがわかる。
150年前にクラジュウスはエントロピーを提示して、クラジュウス自身がエントロピーは増大すると豪語した。エントロピーは熱エネルギーの担い手と解釈すると、増大することはない。
熱エネルギーの移動の担い手がエントロピーにあるとの仮想の元に、これまで存在する熱エネルギーに関わる理論を改めて見直すのも意義があるように思われる。
(応)

木炭バス  -炉端老人のおはなし-

2017-04-27 10:38:39 | Weblog
 おっ、久しぶりだなぁ。
なになに、子供さんが中学校に入学したというので挨拶にきたの。そういえば「炉端での話題」が始まった年は、子供さんが産まれた年だったね。
 もう中学生になるのか。
ほう、庭で栽培したというレタスのお土産かい。
ばあさん、レタスがとどいたよ。このところ野菜が高い値段になっているから助かるな。
今朝のテレビ放送劇でボンネットバスが出たから、子供さんとその話を聞きにきたというの。
そうだな、ボンネットバスの前に木炭バスの話しをしよう。
 木炭って?
へぇー、木炭のことから話さなければならないの。
木炭とは、バーベキューの時に使う炭のことだよ。
なんだって、バーベキューにはプロパン・ガスコンロしか使わないので、炭もしらないの。それではね、冷蔵庫の臭気止めに使う炭といえばわかるかい。
臭気防止剤はパッケージに入って中身が解らないというのか。
おーい、ばあさん、冷蔵庫に入れておいた木炭をもってきな。

これだよ、木材を蒸し焼きにして炭素成分だけを残してあるから、燃えるのさ。
なんと前置きが大変だ。
木炭を作る人がほとんどいなくなったから仕方がないか。
この木炭を詰めた四角い炭俵を70年ぐらい前には店先で売っていたものだ。

さて木炭バスの話しにもどろう。
第二次世界大戦の末期には日本ではガソリンがなくなり公共交通としてのバスも動かすことができなくなりかけた。そこで木炭を使ってバスを動かす工夫をしたのさ。
 どうしたって。
そう、バスの後ろに木炭から一酸化炭素ガスの発生装置を取り付けて、その一酸化炭素を燃料として内燃機関を動かした。
やがて中学生の理科で一酸化炭素のことも習うだろうから、そのおりに先生の授業をよくよく聞いておきなさい。
そこまで深入りすると木炭バスの話しになかなか乗れないからね。
ガス発生装置の大きさは直径70-80センチ、高さ2メートルほどの円筒形で、底の部分には木炭を不完全燃焼させる装置があって、一酸化炭素ガスを発生させる仕組みになっている。このガス発生装置から、運転席の前にあるボンネットの中のエンジンにパイプでガスを送る。
どう、イメージはつかめたかい。どこかの博物館で木炭バスが保存されていたら、実物を見た方が早いけどなぁ。

さて、その運行が大変だ。この老人はね、バス停車場で運行を始めるところを見たことがある。
運転手と車掌は炭俵を運んできてから、ガス発生装置の底の部分に、まず木の薪に火をつけ、その火を炭に移す。
炭に火が移った頃合いを見はからって、ガス発生装置の上にある蓋を開けて炭俵から大量の炭をガラガラとそそぎこむ。豪快にね。
さらに大変さ。大量に注ぎ込んだ炭に火が行き渡るように、底に取り付けてある手回しのブローア、つまり手回し扇風機を回すのさ。
炭全体に火が回り始めてから、ようやくエンジンを動かすことができる。
エンジンを始動するのも手回しだ。運転手と車掌が交代で大きなハンドルを使ってボンネットの前に立ったままハンドルをグルグル回して始動させる。
この老人は、中学生のおまえさんより小さいから手伝いなんかできない。ただ見ているだけだったよ。
ようやく、木炭バスが動かせるようになった。
乗り込んでから、ゆっくりと走り始める。自転車程度の速度だったかな。
しばらく走ると速度が低下する。ガス発生が低下するからだ。
そこで運転手はわざと道路のへこんだ場所にバスを乗り入れで、大きくバスをゆらす。ガス発生期の木炭が揺すられてガス発生が良くなり、元の速度にもどる。
その頃の道路はデコボコの孔だらけだからだったから、木炭バスの運行には、つごうがよかったというわけだ。

おや、そろそろ帰りたいのかい。
まだ終わっていないよ。
第二次世界大戦の戦後にも木炭バスがあった。何しろ、食糧難でまともな米の御飯も食えなかった時代だ。
占領国軍に占領された日本には、多くの米軍兵がきていた。その米国兵達は、木炭バスが実際に動いているのを見て驚嘆したそうだ。
いま中学生のおまえさんに木炭で動くバスを見せたら、やはり驚嘆するだろうね。
今朝のテレビ放送劇中のバスは木炭バスではなかったが。

 さて、帰るのかい。
おーい、ばあさん、安納芋が残っていただろう、持ってきなさい。
この安納芋って、ふかし芋としては美味しくない。
炭火焼きすると絶妙な味がする。
炭火焼きすると100度以上の熱が芋の中に浸透するからだろうと、この老人は確信を持っていえるさ。
炭火を使うことを中学生に教えておくことも重要だ。なにしろ今の日本国では90パーセント以上の燃料を外国から輸入しているという時代だ。輸入が途絶したら薪とか炭を利用するしかないからね。
 バイバイ、またね。
(農)

Fake News

2017-04-22 12:43:54 | Weblog
 本来、fake newsなるものは、その言葉そのものすらも、社会に存在してはいけないものだ。最近では、いわゆる評論家と称する連中が物分りよさそうな顔をして、「ああこれはfake news ですから」などというように、その存在が何の不思議でもないように語られている。一般の人々の」倫理感覚が既 に歪んでしまっているのだろうか。
 fake newsが充満している社会はどうなるのだろう。あらゆる論理の信義は 失われ、個人こじんは何を判断して行動すればよいのか。社会秩序の概念は崩壊し、結局、自分だけを頼ることになる。自分だけを頼る対人関係(つまり社会は)は力(暴力)関係に頼ると言うおぞましい社会になってしまう。「fake news」という”常識”を、私たちは社会から一掃しなければならない。
 自分に都合の悪いニュースを、その真偽をきっちり確認せず、「それはfake newsだ」という一言で切り捨ててしまうのは、自ら、「それはfake newsだ」という“fake news”を社会に発散していることになるのではないか。ましてや、一国を代表するような人物が、そこいらのいい加減な輩と同列な流儀でfake newsを撒き散らしているとすれば、そのような社会の健全性はどうなっているのだろうか。(Bob)


エントロピーとは (14) -再考察-

2017-04-18 18:42:43 | Weblog
しばらくの間、エントロピーについての話題を中断していた。その間、暇を見て熟考をかさねており、さらに数々のエントロピーの書物にも接していた。その結果として熱力学におけるエントロピーの概念は捨て去り、その代わりにエネルギの視点に置き換えることが良い、との結論に達している。
あるいは独りよがりとの非難を受けるかもしれないが、ここで私見を述べよう。クラジュウスがエントロピーなる概念を提唱した理由を山本義隆氏による素晴らしい著書の「熱学思想の歴史的展開」を辿りながら、独断的となっている理由を明らかににしたい。

クラジュウスは1854年にエントロピーSとして
S=Q/T
を提唱した。ここにQはエネルギ量であり、Tは絶対温度、すなわち温度の単位表示をKで表すケルビン(0°Kに対応する通常の摂氏温度表示は-273.16°C )である。クラジュウスは、同一のエネルギ量に対して温度が異なると物理的な仕事を行うことも異なるということを示したかったのである。
いまある温度をTとし、これより高い温度をTとする。
エントロピーは、それぞれ
=Q/T
=Q/T
である。この式の意味は、異なった温度についても同じエネルギ量を持つためには温度が低い方が大きくなければならないと考えればよい。
クラジュウスの思想の原典であり、この思想を基にして、後の偉大な科学者も共鳴している。まったく別の見方をすればエントロピーは温度の容量とみなすこともできる。格式の高い理科年表にはエントロピーの単位は熱容量と定義している。
>T 
であるから
<S
となる。つまり、同じエネルギ量に対して温度が低い方がエントロピーの値が大きい。

エントロピーの概念はさしおくとして、高い温度から低い温度になることでエネルギが消費されて物理的な仕事をすると考えよう。その場合、温度の差があっても同じ量の仕事は同じエネルギ量の消費であって温度差には関係がない、とすべきである。
クラジュウスのエントロピー原典思想に反する。しかしながら、化学者からは環境温度により化学的な反応速度は変化する、と指摘されよう。また生物学者からは、動植物も適正な環境温度でなければ育成しないし、動物は動作もできない、と言われるであろう。
熱の温度によるエネルギ量の効果に差が存在することは認めておくことにする。ただし、この差をエントロピーで扱うことは避けたい。
ここで物理学での仕事とは、質量のある物体に力を加えて、ある距離を動かすことをいう。力を加えても物体が動かない場合は物理的な意味での仕事をしたことにはならない。熱を加えても液体とか固体は相転移(相転移とは、例えば液体から気体に変化することなどをいう)がない範囲では、気体の膨張とか収縮に比べると変形が少ない。したがって熱による仕事はほとんどの場合、気体が行う。

ここで物理的な仕事をエントロピーの変化量によるとすれば
->T
となる仕事に対して
->S
となる。
<S
であることから、物理的な仕事をするとエントロピーは増大することになる。クラジュウスは、宇宙に生じるすべての事象について、エントロピーは増大する、と高言している。本質的な疑問は、エネルギ量は減少しているにもかかわらず、エネルギ量の消費はないものとして、エントロピーの増大にすり替えているのはナゼかということにある。
地上で行われるエネルギを消費するすべての仕事は熱に変換され、その熱は宇宙に放散される。エントロピーの定義によれば、エネルギ量を一定として、逆の関係にあるから、宇宙温度として知られている3°K(-270°C)への熱エネルギの放散はエントロピーの増大となる。
絶対温度の0°Kにとなるにしたがって、エントロピーは巨大な値になる。もしも0°Kが実在すれば、エントロピーの値は無限大となることを意味しており、いかにも理解しがたい概念の単位である。インターネット上でも若い学徒から、疑問が寄せられている。
若い方々に、疑問を持つことはいいことである、といいたい。日本のノーベル賞を授賞したある科学者は、疑問を持つことで科学的な発見があると述べている。欧米諸国においても大きな発見をした科学者の伝記にも疑問を持ったことが発端であった、と多く記されている。エントロピーを定義することなく、エネルギ量の変化を基にして物理的な現象を解析する方がより優れているのではないか、と若き学徒に共感して思う。

さらに議論を深めよう。
一歩譲ってエントロピーの定義式
S=Q/T
から
Q=S・T
とする。Qはエネルギ量であり、様々な物理的な事象を表す。気体の圧力pと体積vの積であるp・v 、質量mと速度vの運動エネルギはm・v/2 、電圧vと電流iの積であるv・iの電気的なエネルギ等である。
ここで右辺のS・Tに関して、Sは温度Tをエネルギ量に変換するための係数Jと置き換えよう。すなわちJはエントロピーの定義から離れて単なる係数とみなすのである。
数学的な見地からすると、左辺の変数Qの値域(domain)と右辺の変数Tの値域は異なっている。物理現象としても異なるから、=の記号は使ってはならない。
より物理現象を正確に表現するためには、
Q:=J・T
J・T:=Q
とすべきである。ここで:=は右辺の変化は左辺に等価的に移行することを意味する。
山本義隆氏著「熱学思想の歴史的展開」には、物理的な運動で熱が発生するジュールの実験結果はJ・T:=Qであることが確かめられている。ジュールは、液体をかき混ぜる仕事Qを行うと液体が発熱することを明らかにした。ところが液体を加熱しても力を発生させることは困難であった。その理由はすでに述べたように、熱による液体の変形が小さいからである。トムソンはこの逆の過程が存在することを探求していたと記録されている。
Q:=J・Tの物理的事象は、気体の温度変化により実現される。
その詳しい内容は別途として述べる。
クラジュウスは、値域の異なる事象を分子と分母にまとめて右辺におきS=Q/Tとエントロビーを定義した。左辺のSはこの定義からは熱容量としか解釈できない。Tを一定として、エネルギ量Qが変化することは、熱容量Qが変化すると考えなければならない。これまでの150年間にわたり様々な誤解を生じる結果をもたらしているといえる。山本氏の著書によるとエントロピーの定義を提示する前の1850年の論文には、相転移に伴う潜熱、気体の熱にかかわる等圧比熱とか等積比熱をどのように扱えばよいか念頭におきながら、熱に関わるエネルギ量のことを記述しているという。
ここにカルノーによる有名なカルノー・サイクルが登場する。カルノー・サイクルは気体の状態変化を表すモデルである。気体内部の熱に関わる状態の最初の出発点を仮定し、状態変位を行う過程を気体の圧力と体積、温度の変化に応じて軌跡で表し、最初の出発点にもどるサイクルとして表示した。
サイクルとして一周することで気体内部に生じるエネルギ量の局部的な変化があるとしても、大局的にはその影響を相殺できると考えている。クラジュウスはカルノー・サイクルを基にして、さらなる理論を展開したとされている。

ここでは、理論的な観点からすると値域の異なる変数を同等に扱う変数としたエントロピーの定義は、物理現象を曲解する原因であることを述べた。

―――――――
脚注: インターネットでの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、絶対零度は次のように提示されている。
0.1K以下の極低温領域では、超伝導、超流動などの、常温ではけっして観測することのできない特異な現象をみることができる。1981年には核断熱消磁の成功によって絶対温度で20マイクロK(1マイクロKは100万分の1K)付近まで、さらに1995年以降はルビジウム87(87Rb)に始まり、ナトリウムNa、リチウムLiなどの原子核のレーザー冷却によって20ナノK(1ナノKは10億分の1K)まで到達できるようになったが、絶対零度は到達不可能である。
(応)


地震被害と楽器

2017-04-16 14:05:41 | Weblog
 熊本地方の大地震から1年目となり、多くの話題が報道されている。その中で益城町の地震による家屋倒壊の被害が、ある特定の地域一帯に集中していることに注目させられた。テレビの報道ではボーリングによる調査をしたところ、柔らかい地層がある地域で家屋の倒壊に見舞われ、少しばかり離れた場所は家屋の倒壊がなかったという。
 筆者はバイオリンのような楽器の共振状態が地震によって地中構造に引き起こされたと推量した。
バイオリンの場合、絃に生じている振動は絃を支える駒からバイオリンの表板に伝えられ、裏板と側板からなる空洞の音響共振器で共鳴させる。名器と言われている楽器は、音域全体にわたって、そつなく共鳴するような空洞共振構造になっているという。共振とは振動エネルギーを蓄えることから、少ない振動エネルギーを増大させる。いわば、振動の増幅作用と考えればよい。

 益城町の地中構造も地震振動に共振するような構造になっていると考えられる。
ところで地震には、2種類の振動があることがわかっている。一つはP波(Primary)で、圧縮と膨張が交互に発生する粗密波振動である。地震の時に突き上げるような体感を伴うので縦波ということがある。伝達速度は速いが減衰しやすいので到達距離は短い。
いま一つはS波(Secondary)で、地震の時に体感する横揺れの弾性振動波である。伝搬速度は遅いが、振動到達距離が長い。
 地震速報装置は、震源地近くでP波を検知すると、即座に、しかも自動的に警報を出す仕組みになっているから、遅く到達するS波の地震波到来に備えられる。日本の新幹線の警報システムはこの地震速報装置と連動しているとされており、地震による新幹線の事故がこれまでに発生していないことから、その効果は高く評価できる。

 楽器ではどうか。
 バイオリンでの弦の振動は弾性振動で横揺れに相当するからS波であり、空洞共振器内の振動は空気の粗密波振動であるから、地震のP波に相当する。バイオリン奏者から聴衆に届く音響は地震でのP波である。
昨年(2016年)の4月に発生した益城町で倒壊した家屋の住民によるテレビ報道番組の証言で「家全体が上下に動揺する体験」といっているから、直下付近で発生したP波が地盤構造により共振したと考えられる。 まさに楽器の共振構造体と類似した現象である。
 この状況を実態実験として解析する様子をテレビで放映していた。細長い箱の中に土砂を詰め、底に近い部分と表面部分に小型の地震計を置いて振動の様子を調べている。底の振動は小さく、表面の振動が大きくなっていると実験結果を示していた。ところがこの箱全体は横揺れ振動、つまり地震のS波の振動による実験である。この実験に限らずテレビで放映する地震による建物の被害実験、さらに地震体験装置等はすべてS波のシミュレーション装置であり、P波の実験とか体験装置は見たことがない。その理由はP波の実験装置を作成することは困難であるから、と想像する。
 筆者は、益城町の直下型地震による家屋倒壊の実験には地盤調査と共にP波による共振状態をシミュレーションする必要があると提起しておきたい。
 実験装置の実現は難しいとしても、コンピュータによるシミュレーションは可能であろう。
 楽器の共鳴振動に関するコンピュータ・シミュレーションを行うことは、地震による被害のシミュレーションにも役立つかもしれない。
(応)

風呂に親しむ方には

2017-04-05 09:32:46 | Weblog
温泉場には十和田石を張りつめた床、日本全国にわたって普及しているように思われることを前回の「十和田石」に関わる話題を提供したところ、アクセスが急増している。問い合わせがあるわけではないが、関心があればコメントを書き込んでいただくと有難い。

必ずしも本職ではない筆者が、家庭で施工したいと風呂に親しむ方にお薦めする理想的な風呂場について記載しておく。

風呂場の床板は、十和田石がいい。滑りにくいし、冬場に冷たければ最初に熱つめのお湯を流せばタイル張りのように足下が冷たくなくてすむ。ただし、湿り気が残ると青藻がつきやすいので、水はけをよくして、できるだけ乾燥させるようにする方がいい。側壁には使わないようにする。青藻がすきならば別であるが。
掃除としてはカメノコ・タワシなどで時折しごいておく。既存のタイル貼りの床の上にも施工できる可能性があるので、適当な業者に相談されればいい。

浴室の壁板と天井は、ヒノキの板が好ましい。ここで注意を要するのは、ヒノキ板の背面には空気層を持たせてヒノキ板にも湿気が籠もらないようにすることである。さらに風呂から立ち上る湯気が天井で水滴となり、頭上にしたたり落ちることがないような天井の構造施工は、なが風呂をこよなく好む方にとっては重要事項である。

風呂桶は、ヒノキとか青森ヒバが最上級である。新しいヒノキ風呂桶では、かぐわしいヒノキ・チォールに囲まれて心身共に癒される。ただし、木製の風呂桶は長持ちし難い。これまたできる限り乾燥できるような配慮が必要である。それでも木製は腐食するから、取り替えできるようにしておくことが肝要である。埋め込みは避けたほうがいい。

以上の様な仕様のもとに広めな風呂場の施工をすれば、高価につくかもしれないが、風呂に親しむ方にとっては、我が家が温泉場になるであろう。高齢化にともない、温泉場に足繁く通えなくなった方にはお薦めしたい。
(農)

十和田石の余話(続)

2017-04-04 08:26:42 | Weblog
十和田石については、前にもこのブログで
2006年6月の十和田石
2011年8月の十和田石の余話
と2回にわたり紹介している。

明日から4月という日に鹿児島県の指宿のあるホテルに投宿した。
そのホテルの5階にある展望風呂におもむいたところ、その浴場の床は十和田石ではりつめられていた。かなりの年月が経過しているらしく、表面が激しくデコボコになっている。ただし足が取られるほどではないから安全性に支障はない。

フロントでどのくらい前に施工したか訊ねたところ、十年以上も前に工事を行っており、滑らない特徴があることから、これまでに多数の問い合わせも受けている、とつけ加えて答えてくれた。どうしてデコボコに浸食されたか疑問になっていたので、さらに温泉の質を訊いたところ塩性があるとのことであった。温泉の出口の湯をなめてみたら、わずかに塩っぽいことがあとでわかった。
十和田石は塩性の湯で十年も経過すると浸食されることを改めて認識した。施工方法を観測すると5ミリ程度の空隙があり目地はない。始めから目地は空隙であったのか、あるいは目地が浸食されて、なくったのかは確かめていない。
多くの温泉地で十和田石が貼られた浴室に出会っている。しかしながら、このように浸食された例はなかった。今回の浴室の床に貼り付けられている十和田石から、塩性の温泉による経年変化によりデコボコになることが印象に残っているので、参考のためにも書き留めておくことにする。
(農)

屋久島はいま

2017-04-03 08:15:06 | Weblog
米国ではトランプ新大統領が入国制限など盛んに大統領令を発し、これに対して連邦地方裁判所が大統領令の憲法違反差し止めを行うなどの混乱と経済政策の不透明な成り行きから、米国内の株価が急激に変動している3月末に屋久島を訪れた。

屋久島は日本に四つ認定されている世界自然遺産の一つである。
春たけなわながら、この地方の天候も定まらない。さらに屋久島は花崗岩が隆起してできた険しい高い山々からなる島であるから地域によって天候がことなるといわれている。
朝方は雨足があったらしいが、幸いにして抜けるような青空に恵まれたことから、宮之浦から白谷雲水峡を辿った。峡谷の歩道は多くの観光客にあふれていた。日本国内のほとんどの学校は春休み期間中でもあり、子供ずれの家族とか若い人達が多い。
意外にも外人が多いことには少しばかり驚かされた。山道の階段で活発そうな青い目の青年に「どこからおいでですか」と英語で問いかけた。「US」と答えるので、「米国のどこなの」と聞き返すと「New York」という。米国からどうしてこんな屋久島までくるのだろうか、と想う。「ところでアメリカの新大統領はどうか」とその青年に聞くと、だめだと言わんばかりにジェスチャでこたえる。「大いに日本観光を楽しんでね。グッドラック」とオバマ前大統領の最後の言葉を引用してわかれた短い会話であった。
白谷雲水峡の激流は落差が大きいから速い。花崗岩の滝流れの落ちるくぼみにはよどむ場所に美しい水がたたえられている。

屋久島の電力は、90%ほどが水力発電と書かれたカンバンがあり、水量の多さと落差がもたらす自然のめぐみである。日本国内の電力は90%以上が海外からのエネルギ源に頼っていることとは大違いである。発電所は自然景観を損なわないように設置されていることはいうまだもない。
別のカンバンには自らの排泄物は、携帯トイレを持参することと書かれていた。さらにこの携帯トイレの回収設備もあり、そこには「一般ゴミは捨てないで下さい」との注意書きがある。
同行の家人は、「屋久島のゴミ箱は鉄製で頑丈そうだけど、どうしてだろうか」ときかれたが、これは後にその理由らしいことがわかった。

明くる日、レンタカーを利用して屋久島一周もできるかなと思いつつ雨模様の朝、宮之浦所在のホテルからでかけた。
屋久島を時計回りに廻る。島の道路は整備されており、国の離島政策が行き届いている。離島振興策を提言された山階芳正氏の偉業のたまものであると感じた。
安房の町並みを通過してひたすら島の南海岸道路を走る。
栗生の集落を抜けると急に険しい道路となる。さらにすすむとサルの一群に出会う。小ぶりのサルである。また親子ずれのシカにも会う。これも小ぶりである。

やがてついに一車線となる。手元の資料を調べてみると林道であり、しかも夜間は通行止めとある。一車線であること、地図では26.5Km、50分と表示されていることから、レンタカーを傷つけることをおそれて一周することをあきらめ、逆行することにした。
そのとき、子鹿が道路側にいた。先ほどの親子ずれのシカは車を見るなり逃げたが、この子鹿は道路脇の若草をはみつづけて、近づいても逃げない。母親と別れて逃げることを知らない子鹿なのだろうか。

夜間通行禁止は動物保護目的があり、また屋久島の道路脇のゴミ箱も頑丈な理由は、シカとかサルにヒトが残した食物を与えない理由であろうと思った。
引き返す途中に大川の滝、千尋の滝に立ち寄る。
ここでも、幾人かの外国人に出会う。今度は若い女性に声がけして「どちらから」ときいた。フランスはパリからと答えた。こんなへんぴな屋久島のしかも日本人の観光客も少ない滝にまでおとずれるのだろうか、といぶかった。


帰り路に環境庁が設置している屋久島世界遺産センターを見学した。野生のサルとかシカは日本の本土と同じ系統であるが、温暖な気候にしたがった小型になっていることが説明されていた。写してきた写真を所員に見せながら、このように全長50センチほどの子鹿と、サルの一群にであったことを述べたところ、大川の滝付近には野生動物として多く群生しているといわれた。

屋久島の一日を回想する。
屋久島は世界自然遺産として登録された。そのことで世界的な観光名所となり、多くの外国観光客が訪れるようになった。道路が整備され、山間部の歩道も観光客のために安全に歩きやすくなっている。
世界自然遺産となったため、かえって自然破壊が進み、野生のシカとサルも人里離れた屋久島の西方に追いやられている。
ひとりぼっちでヒトが近づくことに警戒しない小さな子鹿のことを瞼にうかべながら、屋久島の未来像として、このままでいいのだろうかという想いが残る。
(納)

安納の里を訪れて

2017-04-02 11:26:29 | Weblog
種子島の西之表港に船からおりたち、南北に長い島の反対側、つまり港からは東側にあたる安納の里を訪れた。
安納を訪れた理由は、安納芋に魅せられていたからである。
毎年サツマイモの栽培をささやかに行っている。昨年は、時期を失して売れ残りとなっていた安納芋の干からびかかった苗を十本ほど植えた。なんとか細々と育ったのは六本ほどであった。夏を乗り切って、後から植えつけた紅ハルカと競うように繁茂してくれた。
サツマイモは収穫して、しばらく置いてからが美味になるという。それほど多くない収穫だから、白い液汁がしたたる取れたてをふかし芋にして家人に試食させた。
「これは甘い。サツマイモとは思われない。いろもカボチャだ」と驚きの声を上げる。つられて試食すると、確かに紅ハルカよりもはるかにうまい。紅ハルカは、安納芋に勝る品種として改良されているといわれているが、食感と共に味も異なる。

安納芋は、その名のごとく安納の里にあるに違いないと訪れることにして、ある住民に案内を請う。さぞかし安納に所在する農業試験所が適当ではないかと案内人に訪ねたところ、安納の農業試験所はサトウキビの栽培試験しかやっていない、という。
しかし案内人は、安納芋の育ての親は知っているという。名前は向井三次といい、残念ながら数年前に他界したと語ってくれた。向井三次ドンが住んでいたという家を教えてくれたので、その家の写真を撮る。
帰宅してからインターネットを調べたが、安納芋の育ての親の名は見あたらないから、これはスクープかも知れないと密かに想う。

案内人は、ここの土地が肥えていて安納芋の育成に適しているらしいという。そういえば肥沃な土壌のように映る。まてよ、狭いわれらの畑の土壌も似ているから、家人が驚く程の安納芋が、ほどよく育ったのかもと内心ながら嬉しくなる。
道ばたの無人の売り場に安納芋があり、荷物になることをいとわずに購入する。
安価であった。
売り場によっては微妙に芋の形が違う。案内人は畑の場所が違うからでしょう、という。幾つかは種芋にしよう。しかしわれらが畑も土壌が違うから、形も変わるかも知れない。それはそれでいい。期待したい。

安納芋で重くなった荷物を抱えて西之表港にもどる。
そこには三月の末であることから、転任する小学校・中学校の先生方を見送る多くの生徒達であふれかえり、旅客船からは色とりどりの紙テープが転任する先生方と生徒達につなぎ渡されて、名残を惜しんでいた。旅客船には大きく先生の名前が書かれたカンバンもある。やがて旅客船は波止場をはなれ、切れて春風になびくテープに涙ぐむ女生徒達、なごり惜しそうに防波堤を走って追いかける男の子達を眺めながら種子島での先生と子供達の絆の深さにうたれる光景があった。
(納)