炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

コインの衝突実験の結果について  -炉端老人の手紙-

2012-08-25 21:55:02 | Weblog
 先日のコインの衝突実験の結果を届けてくれて有り難う。
よくよく観察して、わかり易く書かれていたので感心したよ。

 10円玉を3つ使い、平らな表面に二つのコインをくっつけておいて、もう一つのコインをぶっつける実験では、「ぶっつけたコインの速度とほぼ同じ早さで同じ方向にコインが飛び出し、真ん中のコインは停止したまま」と書かれていたね。その通りで、このことは前にも言ったが高等学校で物理の授業を受けると運動量保存則を説明するための、わかり易い実験なのだよ。もっともこの実験には、コインではなく紐で吊した鉄球をいくつか並べた実験装置があり、片側の玉を一つ持ち上げてぶつけると反対側の玉が一つはね飛ばされ、2つ、3つの玉と持ち上げる数を変えるとその数だけ反対側に玉がはね飛ばされる装置を使うけどね。

 中間のコインは動かないことを観測したね。ぶつけたコインの衝撃力が、真ん中のコインには伝わるだけだ。この伝わる様子は中学生に説明するのは難しい。この老人も細かいことまではわからないが衝撃力の応力伝搬波が生じてそれが伝わると説明している。この伝搬速度は物質の音響伝搬速度とほぼ等しいことがわかっているから、物質の中では圧縮と膨張を繰り返す力が加わっていると考えてよさそうだ。このとき衝撃によって生じる力のことをパルスというよ。ヒトを含めて神経細胞の中に生じる電気信号とか、筋肉を動かす電気信号もパルスに近い。

 二つのコインの衝突実験についてだが、この炉端老人にも、わからなことがある。
静止したコインに別のコインをぶつけると衝突されたコインはほぼ同じ速度で動きだす。このとき衝突した方のコインは停止する。この現象は運動量保存則で説明できる。
しかしながら、停止したコインを指で押さえたまま別のコインをぶつけたらどうなるかは実験でわかった通りだね。「ぶっつけたコインは、跳ね返る」と予想したようが、跳ね返らずに停止した。その理由は、高等学校で習う運動の法則、いわばニュートン力学だけでは説明できない。この炉端老人もこの現象をどのように説明したらいいか、考えているところだよ。

 この疑問は、一円玉と五百円玉の実験は、ますますわからない。
・静止した五百円玉に一円玉をぶっつける
 「五百円玉は、ぶつけられた方向に少し動くが、一円玉は跳ね返る」と結果が書かれているが、その通りだ。ニュートン力学の運動量保存則から理論的に解釈すると、一円玉の持っている運動量によって五百円玉は、その運動量に見合った分だけ動いて一円玉は停止することになるはずだが、そうではない。どうしてだろうか。
 この老人の解釈としては、一円玉の持つ運動エネルギーが五百円玉の質量が大きいために持っている運動エネルギーを伝達できないために一円玉に運動エネルギーが残って跳ね返されると思わざるを得ない。いわば反射現象が起こっているね。少しばかり中学生にとっては難しいかも知れないが、この老人が若い頃に習った電気の学問ではインピーダンス整合と同じように思える。

・静止した五百円玉を手で押さえておいて、一円玉をぶっつける
 「一円玉ははねかえる」とだけ書かれているね。それでいいが、より正確に観察すると一円玉の跳ね返る距離は五百円玉が動いた上の実験より跳ね返りが大きいのではないだろうか。この実験はぶつける一円玉の速度を一定にしないと、よくわからないから手でぶつけるだけでは正確にはわからないだろう。 

・静止した一円玉に五百円玉をぶっつける
 「一円玉と五百円玉も同じ方向に動くが、一円玉は早い速度になる」と書かれている。このことは、五百円玉の運動エネルギーが一円玉につたわることで、運動量保存則のニュートン力学で説明できる。ただし五百円玉が同じ方向に少しばかり動くことは、どのように説明したらよいか、この老人は悩むところだ。

・静止した一円玉を手で押さえておいて、五百円玉をぶっつける
 「五百円玉は一円玉にくっつくようにして止まる」と書かれている。その通りだ。
この現象もニュートン力学だけでは解釈できない。多分高等学校の物理の先生もこの説明には頭を抱えるのではないだろうか。
 現象としてみれば、大きな質量の運動エネルギーは、停止した小さな質量の物体にすべて加わることを意味している。地震のとき、大きな質量の岩盤の運動エネルギーは、その上に建てられた質量の小さな建築物に、その運動エネルギーがほとんどすべて伝わることがこの五百円玉と一円玉の実験から言えるのではないだろうか。大きな岩盤の上に立てられた建築物は地震にも強いというのは、正しくないかも知れないね。

 暑いときに、コインをぶっつける簡単な実験から多くのことを学んだが、こんな簡単な実験でもよくわからないことが残っているように思われるね。
 この炉端老人の勉強不足から知識が足りないこともあり、すべての実験結果について解説できなかった。この手紙を読んだ方から、コメントがあるかも知れないので期待して待つことにしよう。
(応)

コインの運動実験  -炉端老人のおはなし-

2012-08-22 09:50:30 | Weblog
 夏休みの宿題のことで、中学生のお子さんと御一緒かい。
しかし暑いなあ。
ルームクーラーは電力不足に協力するために使っていない。この老人は扇風機も好まないから自然の風が通ることで我慢してね。

 ナニナニ夏休みの自由研究の宿題でなにがいいかって。
夏休みもおしまいに近いから、簡単にできる実験がしたいというのか。

 それでは、少し古い「炉端での話題」を掘り起こしてみようか。
5年ほど前に「三つのコイン」「二つのコイン」「一つのコイン」のシリーズがある。
このコインの実験をしてみて感想を書くのはどうかな。

 まずは10円玉を3つ使う。平らな表面に二つのコインをくっつけておいて、もう一つのコインをぶっつける。
いいかい。
 並べた二つのコインのぶつかられた反対側のコインが飛び出して、真ん中のコインは動かない。ぶつけたコインの運動エネルギーが真ん中のコインを通り、これに接したコインにぶっつけたコインの運動エネルギーを伝える。このことは高校生になると運動量保存の法則といって習うよ。
このとき真ん中のコインには運動エネルギーが通過するが、どのように運動エネルギーが通過するかは、かなり難しいので中学生では、よくわからないかも知れないな。どうしてか自分で考えてから、思った通りのことを書いておくといい。

 さて次は二つのコインだ。
古い「二つのコイン」から引用しよう。
一つのコインにもう一つのコインをぶっつける。ぶつけられたコインは運動エネルギーをもらって動きだし、ぶっつけた方のコインは静止する。氷上の競技、カーリングでもおなじみの見慣れた現象だ。
 ここで止まっているコインを手で押さえて、同じように別のコインをぶっつける。
どうなるか、あらかじめ予想してごらん。

 二つのコインのこの様子を記録して、それぞれ自分の考えをかけばいい。止まっているコインを手で押さえておいて、もう一つのコインをぶつけたとき、予想したことと違っていればそれがどうしてかよくよく考えてごらん。答えは「一つのコイン」に書いてあるがね。

 ここでもう少し二つのコインの実験を続けてほしい。
一つは一円玉、もう一つは五百円玉と違った大きさと重さ、さらにはコインの材料も違うものにしよう。次のいくつかの実験をしてみてごらん。
・静止した五百円玉に一円玉をぶっつける
・静止した五百円玉を手で押さえておいて、一円玉をぶっつける
・静止した一円玉に五百円玉をぶっつける
・静止した一円玉を手で押さえておいて、五百円玉をぶっつける

 二つの同じ十円玉の様子とは違っているはずだ。それぞれの様子をよくよく観察して記録し、どうしてそうなるか自分で考えて、その理由も書いておくといい。

 これらの実験で、手で動かすとコインがまっすぐに一直線上で衝突しないことがある。その時コインの動きも違うがこのことも記録してその理由と動き方を記録するといい。

 ナニナニ帰ってからすぐに取りかかるって。まあ冷たい麦茶でも飲んでいきなさい。
おーい、ばあさん麦茶をたのむよ。麦茶といってもビールではないよ。
(応)

少年時代の街へ

2012-08-11 13:10:30 | Weblog
 50年以上前に1年半ほど過ごした小学校を訪ねた。同じ場所にあったが、面影はすっかり変わり、記憶に残る正門もなくなっている。中庭を囲んでいた校舎の配置も元の形を留めない。新しく建ち並ぶ家々で、我が家から通った砂地の道も見出せない。当時にはなかった立派な市役所が近くに立ってしまった。こんなものじゃないという思いが浮かぶ。それでも歩き回っていると、一緒に学び遊んだ友のことを思い出す。級長風の秀才できびきびした奴、遊びの中で皆を取り仕切るボス風情の奴、そうだ、最初に我が家に遊びに来てくれた心やさしい奴もいたなあ。今はどのようなシニアになっているだろうか。元気なら町の長老に収まっているかもしれない。
 近くの城址は健在であった。尤も、昔は周りを石垣で囲った平地(そこに防空壕を掘ったものだ)だけだったが、今は、立派な天守閣が復元されている。その真新しい建物を見ているうちに、かつてそこには軍隊の監視所があり、高空をN市方面に向かう米機の編隊を見つけては、兵士が大声で報告していたのを思い出す。平和な現在は、その後植えられた桜の木影が城壁の周りの堀に揺れている。城址に向かって緩やかに弧を描きながら堀を渡る木造の橋は前と同じだ。少年時代の私は、冬には凍るこの堀の上を、下駄スケートで友達と走り回ったものだ。
 城址の周囲は田んぼであった筈だが、今では、立派な住宅街だ。山々に囲まれた盆地に茫々と広がった田んぼや草原が、一戸建ての住宅やマンション風の建物ですっかり覆われている。田んぼに沿って一直線に凍った用水路が日を反射してきらきら輝いていた風景を、今や、目にすることはできない。
 半世紀以上経て街並はすっかり変わったが、それを慨嘆するのは老人だけかもしれない。当時は戦争末期で、ものも収入も定かではなく、親たちは将来の展望もないまま、いや、むしろ絶望的に日々を過ごしていたに違いない。しかし、少年の私はそのような不安を覚えることもなく、無心に、元気よく遊びまわっていたように思う。昔日に思いを巡らせながら発展した今の街並を見ていると、子供たちのあふれ出る生命力が今日の街を造り上げたのだという思いに行き着く。
 そうだ、若い生命力は創造の源泉だ。理屈抜きに、未来への希望に満ちている。壊滅的な災害を受けた東北地方も、力強くあふれ出る子供たちのエネルギーで、新しく立派に再生するに違いないという確信が湧く。(青)

原子力ムラに教祖がいるのでは?

2012-08-08 11:56:42 | Weblog
 原始力ムラの中枢から派遣されたのではないかと疑われる人々の言うことが殆ど同じなのに不可解な薄気味悪さを感じてしまう。曰く、
①原子力発電はクリーンなエネルギーである。
②福島原発事故の直接的被害によって死んだ人はいない(だから安全なのだ)。
③原発がなくなったら火力発電のコスト増によって、産業は危機的状況に陥る。
 ところで、クリーンエネルギーの意味するところは何であろうか。発電するときにCO2が発生しないというだけなのであろうか。ちょっと待って欲しい。使用済み核燃料はどうするのであろうか。信濃毎日新聞によると(下表参照)、使用済み核燃料は各原発で貯まり続け、福島原発などは保管場所(プール)が殆ど満杯であるという。使用済み核燃料の処理技術は確立されていないので、今後も使用済み核燃料が日本に(地球上に)どんどん貯まっていく。しかも使用済み核燃料は使用前より放射能が大幅に高まるという。このような危険な廃棄物を吐き出す原発はクリーンエネルギーといえるのだろうか。
 次に、死者云々だが、これからも深刻な放射能被害者が出ないという確証はないのに、上のような断言してよいものであろうか。また、被災住民をはじめ多くの関係者の努力と、被災地域の経済的な犠牲のもとで、なんとか深刻な被害を免れているのであって、何もしないままこれまでに深刻な被害が出なかったのではない。被災地域の人々ガ被った壊滅的な打撃と苦痛に思い至らず、臆面もなく独断的な言辞を言ってのける態度に唖然としてしまう。
 最後に、エネルギーが枯渇して産業が壊滅するように言うが、どのくらいエネルギーが不足し、どのくらい代替えエネルギーのコストが増すのかという具体的なデータを示さず、短絡的にネガティブな結論のみを示すのは、人々の不安を煽り立てる扇動と同じではないか。しかも、原発を心配する人々の叫びを情緒的反応(ストレスの発散)などと切り捨てながら、好都合な結論を人々に情緒的に思い込ませようとする手法を自らもとっているのはフェアではない。具体的データにもとづく公正冷徹な言論展開を望みたいものだ。
 今も原子力ムラの奥深くに巣くう理論的指導者(教祖か?)に操られた人々が、都合よいほうに世論を誘導すべく、独善的な言説を流布しようと躍起になっているように思えてしまう。(R. Nielsen)

表 使用済み核燃料の保管状況(2011年9月末現在 信濃毎日新聞)
原発    貯蔵量 貯蔵量/保管容量
泊     380トン   38%
女川    420     53
東通    100     23
福島第1  1960    93
福島第2  1120    82
柏崎刈羽  2300    78
東海第2  370     84
浜岡    1140    66
志賀    150     22
敦賀    580     87
美浜    390     57
高浜    1180    68
大飯    1400    69
島根    390     65
伊方    590     63
玄海    830     78
川内    870     67

合計    14200   69

再処理工場 2911   97
(六ヶ所)

ハエトリソウのこと    -炉端老人の手紙-

2012-08-06 05:58:54 | Weblog
 つい先日、この炉端老人を尋ねてくれたとき、「植物と動物の違い」について話しをした。
これについて、応さんから植物の細胞でも電気が流れて動作するハエトリソウがあるというコメントがあった。
 そこで、ハエトリソウについて少しばかり調べてみたので手紙を書いておくことにしよう。

 ハエトリソウは、北米大陸の米国に原産地がある。やせた土地に繁殖していることから、ムシを捕食してハエトリソウに必要な栄養素を取り込んでいるのだそうだ。ムシを捕まえるために葉の上に尖った数本のハリのようなセンサーがある。このセンサーにムシがさわっても一度だけでは葉が閉じることはない。二十秒程度の間に、さらにセンサーにふれるとセンサーが感知した葉がパタンと素早く閉じるという。
 ハエトリソウが、動物のような動作で葉を閉じるためには大きなエネルギーがいる。一度だけセンサーにふれただけでは動作しないようになっているのだそうだ。

 NHKのラジオ放送に「夏休み子ども科学電話相談」があるが、これを聞いたことがあるかな。今年の8月2日の放送でもハエトリソウの電話相談があった。この老人も思わず聞き入ったものだ。どこの園芸店でもハエトリソウは手にはいるそうなので、さっそく近くの園芸店をのぞいてみたら数百円程度で売っている。
 電話相談でも、葉が閉じるのには大きなエネルギーがいるから、面白がってセンサーをつついて葉を閉じさせることを何度もやっていると葉が枯れるそうだ。場合によってハエトリソウ全体が枯れてしまうこともあると放送では解説していた。それほど高価な植物でもないから、お小遣いで買ってきて観測するのも、いい勉強になるだろう。

 さてハエトリソウには動物の神経細胞と同じような細胞があるだろうか。この老人が調べた範囲だが、細胞に電気が流れることは確からしいが、どうも仕組みは違っているようだ。動物の神経細胞の中に電気パルスが伝わるのと同じではないように思われる。最近になって学術的な研究が行われた論文もある。その論文を読んで見たいところだが、残念ながら手に入りにくい。ハエトリソウにどのような電気が流れて動作するのか、調べてみるのも面白そうだよ。

 種の起源で進化論に大きな波紋をもたらしたチャールズ・ダーウィンも、このハエトリソウには大変に興味を持ったことがインターネットを調べるとうかがえる。この老人の想像だが、ダーウィンもハエトリソウの進化が動物の進化とどのようにかかわりがあるのか、大いに悩んだのではないだろうか。
 どのように考えても動物と植物の進化の過程の中で、ハエトリソウが動物と分化したわけではない。動物が先に存在して、その後にハエトリソウが発生しなければ、動物を補食する説明はできない。そうであるとすれば、ハエトリソウと動物の進化は別の経過をたどっているはずである。
どのような進化の過程があったのかは未解決かもしれない。しかし現在進められているDNAの研究などによって進化過程も明らかにされると、この老人は考えている。

 前回訪問してくれたときに、「動物には神経細胞があり、その中を電気パルスが伝わるようになったことが植物とは決定的に違う界をもたらした」といったが、ハエトリソウのことをよくよく研究することで、この老人の発言の真偽が明らかになるかもしれない。
 次世代をになう君たちのような中学生、ハエトリソウのようなことに科学的な疑問をふくらませて、人類に貢献するような仕事をしてほしい。

 暑い夏休みのことだから、熱中症にならないように気をつけ、体も鍛えて元気に過ごしなさいね。
(脳)