前回のエキスコン(18)では、トンネル磁気抵抗素子について述べた。その中で引用した資料に論理機能を持つ様々な磁気制御薄膜素子が紹介されていることにふれている。ここでは、引用した資料に提示された内容をもとに、磁気制御薄膜論理素子に注目しながら、著者の浅はかな知識をも顧みず、その機能の概要を推量しながら展望を試みる。
コンピュータの構成要素であるこれまでの論理回路素子、CMOS等の論理機能素子は、例外なく電界を制御して論理機能を実現している。トンネル磁気抵抗素子の出現は、新たな動向である。つまり電界のみならず磁界を制御機能の中に取り入れる論理素子であることに着目できる。
かえりみれば磁気制御による論理素子は日本国内で発案されたパラメトロン素子がある。外部から周期的な磁界を加えておき、それに伴うパラメータ励振の位相を注入磁界によって制御する技法である。多くのパラメトロン・コンピュータが日本国産品として生産され、一世を風靡した。トランジスタとこれを集積した論理回路素子の出現により、パラメトロン・コンピュータは全て市場並びに現場から撤廃された。パラメトロン・コンピュータの設計に従事した経験のある筆者にとっては、忘れ去ることのできない1960年頃の時代であり、すでに半世紀を経過している。
磁界制御を伴う論理素子の出現は、その再来を約束するかのように前回も紹介した資料の中に、多数決論理素子を見いだすことができる。パラメトロン・コンピュータの論理設計図を朽ちかけた引き出しから取り出して、いざ再出発しようかと心ははやるが、すでに老境にあることから、若い世代の台頭にバトンタッチしたい。ここでパラメトロン論理素子は磁界制御のみにかかわり、電界による制御は認められないことをつけ加えておく。
さて前置きが長くなったが、磁気制御薄膜論理素子をできる限りわかり易く解説を試みる。しかしながら最初にお断りするが、理論的な背景からすると誤謬もあるであろう。その場合は改めて訂正を加えたい。
下記の図1は、スピン移動トルク(Spin Transfer Torque)が発生する状態を説明する図である。
図1 スピン移動トルク発生モデル
ここでいくつかの条件を設定しておかなければならない。ベースとなる強磁性薄膜と絶縁薄膜の上に置かれる強磁性薄膜には、図の中に示した磁界方向、或いはその逆方向に磁化容易性があるような薄膜とする。もし、ベース並びに上位に置かれた強磁性薄膜にそのような性質が無い場合、磁界を透過する絶縁薄膜に磁界成分に方向性を付与するような磁界フィルタ機能があると考えてもよい。資料の図には、下記のように絶縁薄膜をサンドウィッチ状にはさんだ図が示されているのでこのように解釈した。このような磁界の方向性を持たせるために、それぞれの薄膜は非アモロファス化(non-amorphous)、すなわち結晶構造化されているとも推量される。スピン移動トルクを発生させるだけであるならば、さらに簡単な構造でもよさそうである。
以上の前提条件のもとに、スピン移動トルクの発生を考えよう。図1のベース電流端子から、上側の強磁性薄膜の端子に向かって電流を流すとき、前回のスピン駆動の説明同様に強磁性薄膜の中に磁界が発生する。発生した磁界と電流を担う自由電子の働く力が古典的な電気磁気学によるフレミングの左手の法則によりトルクが発生し、図の中に示した方向に電子スピンが移動すると解釈できる。このスピンが移動することで強磁性薄膜の中に導電性の良い領域が拡がる。強磁性薄膜を貫通する電流の方向を逆にすれば、逆方向に導電性が良い領域が拡がるから、電流の方向を変化させることで良導電性領域の方向を制御できる。
図2は、資料に示されていた多数決論理素子の図を基にして筆者が簡略化して描いたものである。 入力端子A,B,Cの三端子には入力の論理値によって異なる電流を与える。出力端子は、前回のエキスコン(18)で説明したトンネル磁気抵抗素子である。この出力端子に、次段の論理素子の入力を駆動する電流を流すことができれば、増幅器なしに直接次段の接続可能であることが資料の中で示唆されているのは興味深い。
図2 簡略化して示した磁気薄膜多数決論理素子
出力側に向かってスピン移動トルクが移動するように入力電流を流す場合を仮に論理値1とし、到達しない場合を論理値0としよう。各入力端子による一つだけの電流駆動ではスピン移動トルクが出力端子に届かないように設定して出力端子に電流が流れない状態を0とすると下記の表のように多数決論理素子として動作する。
入力端子 |
出力端子 |
||
A |
B |
C |
|
0 0 0 0 1 1 1 1 |
0 0 1 1 0 0 1 1 |
0 1 0 1 0 1 0 1 |
0 0 0 1 0 1 1 1 |
ここまで、昨年末に刊行された米国のIEEE学会誌に掲載された紹介記事資料を基にして、前回のエキスコン(18)と今回のエキスコン(19)では論理機能素子出現の黎明として書き留めたが、様々な疑問が生じているのでメモとして次に記しておく。
・図2の磁気薄膜多数決素子について、資料内容を基にひもといていくと、資料に引用された論文は実際に論理素子を試作して得た結果による報告なのかという疑問が生じる。その理由を述べよう。図1のスピン駆動トルク発生の原理を基にすれば、導電性領域は一方向に拡がる。仮に入力端子Aの導電性領域が拡大したとしても、方向性があれば出力端子側に回り込むことができるかという疑問である。一方向に拡がる導電性領域を曲げるためには各端子の交差点に指向性を変換させる機能が必要である。直進する自動車が、直角に曲がるためにはハンドルを操作しなければならない。薄膜磁気素子の中でのスピン移動トルクにその能力があるのだろうか。
・最近は強力な磁力のある永久磁石が市販されている。このような永久磁石では、分子の周囲を回転する電子のスピン運動で磁力が発生していると古典的な電磁気学では教えられている。磁石内部で電子スピンを持つ分子は移動していないはずである。磁気薄膜の中で電子スピンが固体物質の中で移動するメカニズムはよく理解できない。分子は移動できないからスピン運動を担う電子だけが移動するのだろうか。スピン移動トルクの現象解明が行われれば、マイクロ波工学でよく知られている電波の進行方向を定めるジャイレータと同じような機能を持つ素子が半導体薄膜の上で構成できるのではないかと類推できる。
・インターネットで磁気薄膜中の磁性抵抗変化について調べると、両側の強磁性薄膜にサンドウィッチ状にはさまれた絶縁薄膜内部に磁界が存在しない場合は、ある方向とその逆方向の移動荷電子がそれぞれ五分五分に存在すると説明されている。これに電流を流したり、磁界をかけるとそのバランスが崩れて、電気を流しやすい方向に変化するようなナノ・メートル空間の特徴と説明されている。古典的な電気磁気学の知識からすると理解しがたい。従って著者は、前回のエキスコン(18)で、スピン方向が揃うこととして説明を試みた。この説明でよいのか、著者自身に対しても疑問が残る。
・最近はMRI(Magnetic Resonance Imaging)が医療診断機器として多くの医療機関に設置され、診断に大きな貢献を行っている。MRIは強力な磁場に人体を置き、身体の臓器内部の分子のスピン運動を一定方向にそろえておいて、これに電磁波を放射すると、身体の構成分子はその電磁波エネルギーを吸収し、臓器構成物質の差異による異なる波長の電磁波を放射することで人体内部の臓器内部の様相をコンピュータを用いるスペクトラム解析で造影させると聞かされている。磁気薄膜構成素子をMRIと同様な方式で解析するといかなる様相が観測できるのか、疑問を持つ。それと同時にその結果は興味深い。引用した資料に電気的な振動現象を利用する内容も示されているが、あるいはMRI と同じような磁気共鳴現象があるのかどうかという疑問である。
いずれにしても現在開発研究が進められているナノ・メートルの微少空間における様々な材質の中での物理現象は未解決の課題が山積しているように思われる。これから研究開発を行うことを志す若い世代にとっては宝の山であると述べておきたい。(納)