炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

麻薬と原発

2012-10-26 18:29:14 | Weblog
 体に悪いことが分かっていても目先の快楽を求めてつい手を出してしまうのが麻薬だ。それを続けているうちに麻薬なしではいられない中毒患者となり、最後は体がぼろぼろになる。健康な体を取り戻すには病院に入り、強制的な処方によって麻薬抜きの苦痛を克服しなければならない。
 人間は豊富なエネルギーを手に入れる方法━原発━を見つけ、快適な生活を送るようになった。その快適さを維持したい、引き続きその恩恵に浴したいという欲望から、将来は地球全体が破滅的な困難に立ち至ることガ分かっていても、そのエネルギー獲得の手段につい手を出してしまう。いつかは使用済み核燃料の捨て場所で行き詰まり(原発が開発されてから何十年もたつのに、使用済み核燃料の廃棄処理技術は確立されていない)、地球がぼろぼろになってしまうのが分かっていることではないか。
 二つの状況を並べてみると、原発と麻薬はよく似通っていると思えてしまう。麻薬抜きに戻るにはそれなりの苦痛を覚悟しなければならないように、将来的に行き詰る原発から脱却し、地球がぼろぼろになるのを救うためには、一定期間、それなりの苦痛を覚悟する必要があるのではないか。その覚悟を伴った将来への展望が必要なのではないか。
 脱原発の閣議決定があいまいにされたときの経済界の代表の「ああ、これでよかった」という、ただそれだけの発言(それに続くコメントがあったのかどうかは、テレビでは放映されなかったので分からない)に、私は大いに失望した。エネルギーが確保され、産業界の目先の安泰が保てた(まさか大企業だけではないであろうが)だけで「ああ、よかった」という思考回路は、先行きを考えて自制することなくなんとしても麻薬を手に入れようとする中毒患者の性向と似てはいないか。経済界の代表の見識としては、失礼ながら、お粗末としか言いようがない。
 現状を変え、新しいシステムを導入しようとするときに、抵抗勢力が必ず現れる。現状を変えないことでうまい汁を吸う連中がいるからである。目先のうまい汁を追うだけで、将来の禍根を増やし続けていてよいのであろうか。
 雑駁な脅威論を振り回すだけではなく、苦痛がどの程度のものか、その対処法にどのようなものがあるのか、新しい技術革新の可能性はあるのか、それらについてデータに基づく冷静かつ公正な分析が必要である(もし、すでにどこかで行われているとすれば、それを詳しく、正確に、国民に知らしめなければいけない)。その上で、皆がどのように苦痛を負担したらよいか、苦痛の分配をどうすべきか、これは政治の重大なテーマの筈だが、お粗末な政治の現状では期待すべくもないか。(ボブ・ニールセン)



エキスコン(15)   自律分散について

2012-10-25 18:20:25 | Weblog
 巨大なコンピュータ・システムを意味するエキスコンに関し、前回から自律分散システムの話題を取り上げている。
 スーパー・コンピュータの分類を単一命令(Single Instruction)のもとに多数のデータ(Multiple Data)を並列処理する方式をSIMDといい、これまでにSISDとかMISDのことも話題として取り上げた。
このような分類の視点からすると自律分散システムは、多数命令のもとに多数データを処理する巨大コンピュータ・システムとも解釈される。細かく見るとこの分類は必ずしも正確ではないが、エキスコンについて述べる観点から、自律分散システムをMIMDと位置づけしておこう。

 前回は細胞の機能を元にして、自律分散には機能分散と処理分散に大きく分類できると述べた。筆者は、最近の尖閣諸島に関する中国の動態に刺激され、中国の一党独裁政治における官僚制の歴史的推移に関してある成書を読んだところ、官僚機構の職責分類に専門化と分業化という用語が使われていることに注目した。官僚組織はいうに及ばず会社組織など、人が集団で組織化して、ある仕事を共同のもとにこなす場合には「専門化」と「分業化」が行われる。専門化した仕事は、さらに分業化も行われる。この様な分類は野球とかサッカーなどの団体スポーツ競技にもあてはまる。いうまでもないが個人競技に分業化はない。専門化だけである。

 自律分散においては、専門化した仕事を分散して行うことを機能分散、仕事を分業化して実施することを処理分散ということにする。
これらの仕事を分散して実施するにあたり、一般的にはマイクロ・コンピュータ、いわばマイコンが利用される。マイコンと呼ばれる半導体集積素子は、機能の規模にもよるが、いまでは豆粒ほど大きさになったものもある。
マイコン自体は万能性がある。iPS細胞のような万能性があるとおもえばよい。万能性のあるマイコンにプログラムを組み込むことで、つまりソフトウェアによって特殊な機能をもたせることができる。iPS細胞から臓器を構成する手法は、どのように行われるか未だ開発途上とされているが、マイコンの場合は命令の組み合わせによるプログラムで実現できる。少しばかりの知識と技能があり、労力をいとわなければ、それほど難しい仕事ではない。最近の報道によると、中学生でもゲーム作製ができる程にソフトウェアの技能を持つようになっているという。ただし筆者のソフトウェアに関わった経験からすると根気が必要であり、思った以上に時間がかかることは確かではあるが。

 分業化にあたる分散処理は、機能分散を組み込んだサブ・システムを単純にコピー複製すればよい。このサブ・システムのことを森 欣司氏の著書では、核構造(アトム)と記しているが、核の意味からここでは以後コアということにする。これは現在の市場において、メモリとか周辺デバイスなどと共に一体化しつつマイコンもコアと呼ぶ動向にあることが背景にある。
自律分散システムとして開発されたJRの鉄道乗車券システムのようにマイコンを組み込んだSUICAカードも自律分散コアである。SUICAカードには内蔵したマイコンによる分散処理が行われおり、銀行カードのように単純なメモリ機能だけではない。
最近の携帯電話の広告には、オサイフ携帯を前面にかかげているものがある。このオサイフ携帯も自体にマイコンが内蔵されて、すでにSUICAに対応できるようになっているという。分散した仕事に寄与しているから、オサイフ携帯電話も自律分散コアとして扱うことができる。

人が関わる組織においては専門職をこなしながら、別の専門職の人が病気などの理由で欠勤した場合、代理でその者の仕事を処理することがある。自律分散システムでのコアについても、複数の機能処理が組み込まれていれば、他のコアが故障した場合に代行できる。フォールトが生じても耐性があり、フォールト・トレランスなシステムである。自律分散システムの特徴の一つである。森 欣司氏の著書によれば、ここでコアと呼ぶサブ・システムには複数のアプリケーションを持たせて、機能分散と処理分散を兼ね備えた自律分散システムのコアとして当初から組み込まれている。自律分散システムの持つ重要な特徴の一つである。
 ある方はいうかも知れない。単純に機能分散コアを予備として準備し、ある機能分散コアが故障した場合は、その予備に切り替えればよいではないか、と。筆者は「その予備コアが正常に動作することは保証されているのか」と問いかけたい。かけ離れた事例かもしれないが、福島第一原子力発電所が津波被害に遭ったとき、予備として設置してあった発電機は動作しなかったことを教訓としたい。
 欠勤した者の仕事の代理を同僚が代行するような人の組織がある。自律分散システムでも正常に動作している他のコアが、故障したコアを代行して仕事を継続できるシステムは優れた信頼性がある。この様な信頼性のことを最近の国際的な学会ではデペンダビリティ(Dependability)という用語で表してシステムの評価を行っている。何も心配することなく信用し、かつ頼りがいのあるコンセプトがデペンダビリティである。
 森 欣司氏の著書には、アシュアランス(Assurance)のことが述べてある。アシュアランスとは、異種の仕事をこなす要求に対しても応じることができる「異種性」、状況によって変動する仕事に対しても柔軟に対応できる「適応性」を兼ね備える性質と定義している。アシュアランスを備えた自律分散システムとしては、JR東日本のIC化乗車券システム、いわゆるSUICAがある。さらにいえば今年の10月に幕張メッセで開催されたCEATIC(Combined Exhibition of Advanced TECnologies)を参観したところ、将来はマイホームの中にも実現するかも知れないと想ったものである。

ここで専門化した機能分散の例を夢として述べておこう。
エキスコン(4)では高速フーリェ変換のみを扱うハードウェアの必要性を述べた。そのハードウェアがあれば医療診断機のMRIとかCT、超音波診断器、脳波解析などに大きな進歩をもたらすであろうと述べた。自律分散システムの中に高速フーリェ変換専用のハードウェアがあれば、入力データを高速フーリェ変換した結果が出力データとして与えられる。
いまは存在しないが手持ちの自律分散システム構成したパーソナル・コンピュータで、信号処理性能の向上を行いたいとしよう。そのためには高速フーリェ変換機能を持つコアを組み込めば、信号処理を目的とした高性能のパソコン環境が与えられる。新たな高機能のパソコンを買い換えるまでもなく、自律分散の機能コアを備える(必ずしも物理的に接続しなくとも)だけで高い性能が発揮できる、そのような将来が実現してほしい。脳波分析を行いながら、パソコン能力の低いことに障壁を感じた筆者の望みである。
ここで高速フーリェ変換を行う特殊な機能をもつコアを複数個準備して処理分散を行い、さらに高速化したいと考えてみよう。このことはSIMDを自律分散システムとして実現することを意味している。そのような自律分散システムは、いまのところないであろう。実現可能だろうかと筆者は考えた。特殊な機能を分散させて実施できる可能性はあると答えられそうである。ヒトの肺臓とか、腎臓などの臓器には現実に存在する。次世代の研究成果に期待したい。

 夢のような話題はさておくとして、自律分散システムを構成する処理コアを設計する場合の着眼点は、機能処理をどのように分散させるか、さらにその機能をどのように組み込むかということが重要である。このことは森 欣司氏の著書でも多くの事例などを含めて教示されている。

いまひとつ、重要なことをつけ加えておこう。
森 欣司氏の著書には、制御を行うことを目的とした自律分散システムのことが記述されている。制御方式も分散化することが必要となっていることから、機能分散と処理分散の他に制御分散も自律分散システム構成のコンセプトに加わる。
 ヒトには筋肉細胞があり、身体全体にわたって複雑な筋肉塊を形成し、歩くとか手を動かすなどの身体の複雑な動きを行うことができる。重量物を持ち上げたり、運搬したりもできる。筋肉細胞の一つ一つは僅かな力しか出せないが、筋肉細胞が集団の塊となった全体としては大きな力が発揮できる。制御分散を集中させる例である。
 最近のテレビ報道によると、停止した車を認識して安全のために自動的にブレーキをかける自動車が発売されている。また人が飛び出したときには、ハンドルを自動的に操作してこれを避ける方式の実用化試験も行われているという。操縦する人の制御とは別に安全のためにブレーキとかハンドルを制御する。これも制御分散と見なすことができる。
 自律分散システムが制御に関わる場合は、制御分散もシステム構成の役割にかかわる。

今回のまとめとして自律分散システムのコアには、機能分散、処理分散、さらに制御分散の3つの主要な構成要素があることを述べた。このシリーズの次には、自律分散システムのコアの結合手法について述べることにする。
(納)


エキスコン(14) 自律分散システムの基盤となったコンセプト

2012-10-16 18:50:07 | Weblog
 手元に2006年9月に出版された森 欣司著の「自律分散システム入門」の図書がある。
 自律分散システムは、1970年代後半から日立製作所で開発された巨大なシステムであり、その規模は、スーパー・コンピュータに勝るとも劣らない。森 欣司氏の著書によると1977年に研究の端緒が提唱され、日立製作所の多くの方々がこれに関わり、すでに多くの実績を持つシステムとして実現されている。ここで述べる内容は、森北出版から刊行された森 欣司氏による著書をベースとして記述する。

 この図書の最初に、分子生物学のことが書かれている。
これを書き始めたところ、おりしもiPS細胞の開発により山中伸弥京都大学教授がノーベル医学・生理学賞が授与されるというニュースが届いた。
自律分散システムのコンセプトは分子生物学に基づいている。このコンセプトについてはiPS細胞を元にして描くと分かり易い。iPS細胞は、ヒトの皮膚などの細胞にいくつかの遺伝子を作用して、ヒトのあらゆる違った種類の細胞すべての原細胞としたものである。iPS細胞から、様々な臓器を構成できる可能性も示されている。
 ヒトは様々な臓器から構成されておりそれぞれ役割分担がある。これを機能分散ということにしよう。さらにある種の臓器、例えば肺臓、腎臓、肝臓、脳などは複数あり、仕事を分散している。このことを処理分散ということにする。ここで注意しておきたいことはヒトの臓器の分散処理は、必ずしも冗長性はなく、応分に分散処理していることである。分散方式には、機能分散と処理分散と二つに大きく分類できることを明らかにしておくこととする。

 自然界の細胞と同様にシステムを構成できないだろうかという動機から、自律分散システムの発想をもたらす動機であったと森 欣司氏は述べている。
 その背景として1970年代の始めにコンピュータとして、集積化したマイクロ・プロセッサが市販されるようになった。当時は通称マイコンとも呼んでいたが、このマイコンは情報システムにおけるiPS細胞に相当すると考えていい。マイコンを用いて様々な機能を持つシステムに構成できる。
いま皆さん方の手元にあるパーソナル・コンピュータ、いわばパソコンもその一つに過ぎない。携帯電話にもマイコンが組み込まれている。洗濯機・冷蔵庫・電子レンジ・テレビ・ガス湯沸器などの家電製品はいうまでもなく、自動車などにも数多くのマイコンが組み込まれている。ここで家電製品のほとんどのマイコンは機能分散方式とみなせることを指摘しておきたい。

 細胞は、すべて寿命と共に自然死にいたる。新たな細胞が古い細胞に代わって生体の維持にあたる。細胞の死滅は故障ではない。想定内の事象である。自律分散システムでは、これまでは故障と考えられていた事象も想定内として、システム全体の機能低下することなく維持させることができる様に構成する。
 日立製作所内で自律分散システムの開発にあたり、森 欣司氏の上司であった井原廣一氏の回顧録をひもとくと、当時の日立製作所では製品が故障するということはあってはならないという先人の教えがあったという。「故障は発生しないということが技術者魂の基本である」という。実際のところ、この故障を発生させないという技術者魂が日本の戦後の工業界の指導方針であり、それが日本製品の高品質であることを支えてきたことは確かである。戦後の工業界は、経年劣化は予防整備、つまりメインテナンスで補うという、これも技術者魂である。この技術分野での技術者魂とその功績に関しては、筆者も大いに敬意を表するものである。日本の繁栄をもたらしたことに先人の功績に対して感謝する。
しかしながら、すべての製品は経年劣化を生じる。細胞も死を迎えると同様に、である。
コンピュータの素子数は、それまでの機械製品の部品点数とは比べものにならないぐらい大きい。この膨大な個数の素子の故障をゼロにすることは、不可能といっていいであろう。人体を構成する膨大な数の細胞が、すべて正常であるとはいえないことと同じである。

 コンピュータの発展と応用範囲の拡大と共に、フォールト・トレランスという思想が起こった。フォールト、つまり故障があってもそれに耐えることができるシステムとしようという考え方である。1970年代における日本の工業界では、なかなか受け入れられない考え方であった。
自律分散システムの根底には、このフォールト・トレランスの思想の元に機能分散すると共に処理も分散させようというコンセプトがある。皆さん方の家庭にある家電製品のマイコンは機能分散であることはすでに述べたが、処理分散を担うマイコンはほとんどない。従ってマイコンが故障し、取り替え部品がなければ、またまだ使えそうな製品でもゴミとして処分せざるを得ない。自律分散システムのコンセプトは、家電製品に関していえば未成熟である、と筆者は考えている。

 自律分散システムは巨大なシステムとして構成されることから、エキスコンの立場で記述することにする。次回からさらに深く立ち入って述べていきたい。
(納)


インターネット上でのコミュニケーション

2012-10-10 09:29:31 | Weblog
 先般の「ミラー・ニューロンの最近事情」では、就職活動での一方向コミュニケーションには弊害があることを述べた。これに対して、ある方からツイッターとかフェイスブックでのコミュニケーションをインターネットで行っているから、特に問題はないのではないかとの御指摘があった。
ミラー・ニューロンという用語をあえて用いるとしよう。インターネット上での文字表現によるコミュニケーションは、これに関わるミラー・ニューロンの活性化と育成しか行われない。しかしながらヒトとヒトとのコミュニケーションはそれだけではない。ヒトのコミュニケーションには、声、顔の表情、身振り手振り、さらには目の動きも加わって行われる。時には食事を共にし、アルコール類で緊張をほぐしながら会話をする。ヒトとヒトの絆は、そのような直接的なコミュニケーションで整えられる。このようなコミュニケーション環境がインターネット上で、すべて実現できるであろうか。

自閉的になった若者が、社会復帰を目指して共同生活を送るテレビ報道が今朝もあった。ヒトとヒトとの直接的なコミュニケーションによって、この若者が社会復帰しつつある様相を映し出していた。
インターネットの普及は、自閉的なヒトを量産することになるといえば過言であろうか。
(脳)

ミラー・ニューロンの最近事情

2012-10-09 13:04:30 | Weblog
 2012年10月9日の今朝は、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞(induced Pluripotent Stem cell)の作製手法開発の功績により生理学・医学ノーベル賞を授章することが決まったことで、テレビ、新聞共に大きな報道を行っている。
 そのニュースの陰に若い新卒の女子大学生の就職難がテレビで報道されていた。想像を絶するほどに多くの回数にわたって、就職試験と面接を受けたが、ことごとく就職を断られたという。それほど若年層の就職に困難を来していることが日本の経済情勢が背景としてあることは否定できない。
 しかしながらテレビ報道では、別の局面からの問題を提起している。その女子学生はポケットからiPhoneを取り出し、インターネットに依存して企業情報を取得しながら就職活動をしているという。いわば受け身の態勢でのコミュニケーションしか行っていない。このような事態が、今や若年層の大半に行き渡っていることを識者、並びに同時代の若者も認めており統計もその事実を示している。就職面接試験を受けたとき、例えば「この会社に就職したいと思った動機はなんですか」と聞かれたときに、インターネットを通して得た知識を元にありきたりのことを述べたとすれば、面接にあたった経験豊かな企業人は、たちどころにその人物を見抜くであろう。このことは筆者も複数の部署が異なって互いには交流がない方々と採用面接を行ったことがある。日頃は全く交流のない面接にあたった方々による受験者の人物評定は、ほとんど一致したものである。
 インターネットを通じての一方向だけのコミュニケーション社会が現出していること、それが就職活動にあたって害をもたらす副作用として表面化している。
 この女子大学生に対するカウンセリングは、企業をじかに訪問し、できれば先輩を通じて企業の実態を肌で感じ取ることをすすめているという。就職しようとする企業に愛着を覚え、そこに自らの全力を投じ、その企業を通じて社会に貢献することの意義を見いだすことのできる若い働き手を企業は求めている。企業としては、支払う給料以上の貢献を期待するのは当然であろう。面接試験を受けるときには、その情熱を面接者に対してぶつける気概と覚悟がなければ採用されることはないし、仮に就職できたとしても長続きはしないであろう。長続きしないことが明らかな新人を企業が採用することはない。
 「この企業の理念、そしてその業績に私は貢献したい。たとえトイレの作業員でもいいから会社の一隅に採用してほしい」と誠心誠意の心情を述べれば、これを排除する企業はないであろう。自ら偽りのない心情の吐露を行って、就職を断られるとしたならは、その企業は自らを受け入れてくれる将来性はなかったと悟ればいい。

さて表題に掲げたミラー・ニューロンの話題に移ろう。「ミラー・ニューロンのお話し」として4年以上前ブログを書き留めている。
その最初の部分には次のように記述している。
「ミラー・ニューロンのことが、イタリア、パルマ大学のリゾラッティらによって1992年に発表されている。サルの脳の一部、餌を摘む行動で活動する分野がある。この餌を摘むのと同じ行動をヒトが行うのをサルが見たとき、この部分が活動することを発見した。自らの行動と同じ行為を見て、鏡に写したように反応することからミラー・ニューロンと名付けたという。」
日本語のウイキペディアでは、1992年ではなくて1996年と記述されているが、これは正確ではない。また英文によるWikipediaとはいささか内容のトーンも違う。英文を参照するとリゾラッティらは1992年に英文のNature誌に最初の論文を投稿したが、内容的に一般性がないとの理由から、掲載を断られており、別のExperimental Brain Research誌に1992年、「Understanding motor events: a neurophysiological study」のタイトルで発表されているという。
日本のウイキペディアでは、特定の脳の場所がミラー・ニューロンであるという支持のもとに記述されている。しかしながら英文のWikipediaではミラー・ニューロンの存在には懐疑的な記述を行っている。
筆者の「ミラー・ニューロンのお話し」の後半では、言葉を交わすことなく同じような思考を行っていた情景の説明の後、次の様な記述をしている。
「側には誰もいない。もしいたら二人の交わす禅問答に唖然としていただろう。
今にして思えば、ニューロンがミラーのように活動していたと解釈できる。この解釈が正しければ、ヒトの頭脳にはいたるところ、しかもヒトごとに異なった場所にミラー・ニューロンが存在するはずである。つまりミラー・ニューロンという特殊なニューロン分野があるわけではない。ニューロンの結合によって形成された記憶経路がミラーのように反応するとの仮説がたてられるのではないか。パルマ大学のリゾラッティらは、サルの餌を摘む行動にかかわるニューロンが、ヒトの同じ行動を見てミラーのごとく活性化する分野を特定したといえないだろうか。
わずか17文字の俳句、作者のもつ情感、これを鏡に映すかのごとく、あるいはそれ以上の内容で、受け手のニューロン記憶経路の活性化をうながすと考えてもいい。ニューロンのミラー活動は、コミュニケーションの基盤と見なすことができる。」
ミラー・ニューロンが特定の脳の特定の場所にあるとして研究を進められていたが、最近のfMRIによる観測によると、脳全体に反応があることが解ってきていると英文のWikipediaには記述されている。
 脳科学者という茂木健一郎氏は、「ミラー・ニューロンの発見は、脳に関するここ10年来の大発見である」という記録もあるが、これは過大視しすぎではなかろうか。

 日本には古くから「あ・うん(阿吽)の呼吸」とか「あ・うんの仲」とかいい、寺院のこまいぬの像にも表象されている。「以心伝心」という言葉によらない意志の伝達もある。ミラー・ニューロンの研究者は、まさにミラー・ニューロンによるコミュニケーションであるというかも知れない。

心理学の研究分野では、「心の理論」として1978年に、イギリスの心理学者のデビッド・プレマックとガイ・ウッドラフによる論文から、他人の考えていることを類推する機能とか、自分とは異なった信念をもつことを認めることなどに関する研究が進められている。ミラー・ニューロンの反応の様相については、すでに心の理論で示されているといっていい。他人の立場にたって類推する能力に障害があることを自閉症と関連のあるアスペルガー症候群といって、最近では発達障害として研究が進められている。
英文によるWikipediaには、ミラー・ニューロンの存在を否定する多くの論文がよせられていることが記載されており、いまなおミラー・ニューロンの存在を支持する学者との激論が闘わされていることが記述されている。
筆者は、脳波のことを調べた経験からすれば、4年前に記述したようにミラー・ニューロンが脳の特定の場所に存在することには否定的な立場である。

最初の話題として、インターネットの活用によって生じる問題を就職活動の面から取り上げた。心の理論からヒトの精神発達にヒトとヒトの双方向のコミュニケーションが重要な役割をはたすことが示されている。
テレビ番組による就職活動の社会問題として、インターネットによる一方的な知識とか情報の習得は、ヒトのコミュニケーションの発達に障害をもたらす弊害があることを示唆している。
(脳)

高速フーリェ変換のこと

2012-10-05 12:02:25 | Weblog
 数学者のフーリェは、熱伝搬に関する微分方程式を1811年に提示したが、この微分方程式は周期関数の積分を行うことで、周波数分析、すなわちスペクトル解析が可能となった。フーリェが意図した方向とは異なったが、この功績は実に大きい。いまフーリェ変換といえば周期関数の分析しか頭に浮かばない程である。熱力学の教科書には申し訳程度にしか記されていない。
 コンピュータの発展と共に、1965年にCooleyとTukeyが発案した高速フーリェ変換方式は、近代の様々な技術に貢献している。例えば医療機器のCTとかMRIの画像処理には欠かせない技法となっている。
通信の分野でも広範囲にわたって利用されている。
 筆者も高速フーリェ変換については1970年代から関心を寄せており、エキスコン(4) に述べたように、脳波の時間周波数解析にも利用し、アルファ波とベータ波が同時に発生する現象も明らかにしている。この処理にあたって実時間処理するためには、高速フーリェ変換専用のハードウェアができないかと望んだものである。
2012年3月に発行されたIEEE学会の読み物記事によると、MITの研究所に関わるP. IndykとD. Katabiによって、さらに高速の高速フーリェ変換ができるようになったという。そのアイディアは、これまでの高速フーリェ変換は全領域に渡って実施していたが、解析する対象によっては偏りがあることから、データが素(sparse)になっている特徴を捉えて処理する方法である。
なるほど、これはいい。
しかしどのようにして素のデータから高速フーリェ変換を行えばいいのか。そこにはある秘策があるかもしれない。
明日2012年10月6日まで幕張メッセで行われているCEATEC Japan 2012を筆者は昨日見学したが、高度の機能を持たせた半導体素子はいまだに実現していないようである。高速フーリェ変換を行う機能素子、さらに欲を言えば、Indykらが提示したような、より高速な信号処理のデバイスが出現すれば、さらに科学技術の新たな展開をもたらのではないだろうか。
将来の日本の技術的発展に資するのではないかと期待する。
(納)



図は、筆者が解析したことのある脳波の時間周波数解析結果の一部である。数秒にわたる28Hzのベータ波の後端に10Hzのアルファ波が観測される。これがどのような事象かということは解っていない。さらなる今後の研究成果に期待したい。