炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

人間が汚す

2012-12-23 17:10:53 | Weblog
 最近の建物は、窓サッシの気密が良くなっているので、1ヶ月くらい家を留守にしても中に埃が殆どたまらない。出かけたとき同じくらいきれいだ。ところが、私たちが家に戻ると、2日もしないうちに、床に埃が目立つようになる。私たちが汚しているのだ。
 撒き散らしているのは埃だけではない。空気を汚している。約65億人の人間が地球規模で大気を汚しているのだ。少し計算してみよう。試算の基礎データはいろいろだが
平均体重50kgの呼気≒19立方メートル/日      、
CO2の平均濃度≒3% とすると
  → 一人当たりのCO2の排出量≒19×0.03=0.59立方メートル/日
CO2の質量≒1.8 kg/立方メートル       
これより一人当たりのCO2排出量≒0.59×1.8 kg/日≒1 kg/日
よって、地球上の総人口を65億人とすれば、人類全体が1年間に排出するCO2の総質量は
  1×365×65×10の8乗≒24,000×10の8乗 kg/年=24億トン/年    
となる。
このほかにも、工業生産、発電、物流などの産業活動に伴って化石燃料を燃やし、その総量は年間約260億トンものCO2を排出しているという。合計で、ざっと300億トンである。体積で言うと
  3×10の2乗×10の8乗×10の3乗 kg/1.8 kg=1.67×10の5乗×10の8乗 立方メートル、すなわち、16.7兆立方メートル。
この数字だけではピンと来ないので、水と気体の違いはあるが、黒部ダムの総貯水量(約1億トンで、これを1億立方メートルとして)と較べると、その16万7千倍である。
 ゴミも出し、地球を汚している。環境省の調査によると、2010年度、家庭、事業所からの我が国のゴミの総排出量は4,530万トン/年。
 まだある。宇宙はどこまでも澄み切り、空々漠々な空間であった筈なのに、近年、地球近くの宇宙へ物体を数多く放り上げて、細かなごみを沢山漂わせている。宇宙ステーションのような大型の物体のほか、爆発、破壊などで拡散した細かなものまで含めると、確認され登録されているものだけで9,000個、1mm程度の大きさのものまで含めると1億個にまで及ぶという。宇宙もゴミだらけだ。
 だが、地球を汚す極め付きは使用済み核燃料であろう。安全な処理方法が分からないまま原発を使い始め、たまり続けた使用済み核燃料は、既に2007年までに以下のようになっている(驚くべきことに日本は世界第3位だ)。
 アメリカ:61,000トン
 カナダ:38,400トン
 日本:19,000トン
 フランス:13,500トン
 ロシヤ:13,000トン
 韓国:10,700トン
 ドイツ:5,850トン
 英国:5,850トン
 スエーデン:5,400トン
フィンランド:1,600トン
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合計:174,500トン

これをどう始末したらよいのであろうか。
 このペースで人類は地球を汚し続けてよいのであろうか。地球を汚さないように人々の生き方を変えなくてはならないのではないか。(青)

エキスコン(17) 自律データ

2012-12-21 12:11:32 | Weblog
 自律データとは新用語である。
 前回のエキスコン(16)では、自律分散システムのデータ・フィールド(前回はネットワークとして説明した)へ、データのヘッダ(データの当初部分のこと)に発信アドレスと共にデータの内容を表す内容コードをつけ宛先を示さずに送出する、すなわちブロードキャストすることについて述べた。分散されている自律コアはブロードキャストされたデータの内容コードを判読し、自ら処理できる内容のデータであればこれを処理する。このように自律的に処理を行うことを森 欣司氏の著書では自律分散データ駆動方式と定義している。これは一般的にデータ・ドリブン手法(data driven method)ともいっている。
データ・ドリブン手法であることを表記するためにドリブンの英語の翻訳として駆動データという用語も考えてみたがどうもしっくりしない。駆動データと表記すれば、何かを動かすことを要求するためのデータと解釈される。そこで自律分散システムに適合するデータの形式であるから、自律データ(autonomic data)という新しい用語を用いてはどうか、という提案である。
 内容コードに示された処理の要求に応じて、分散自律コアが自ら判断してデータ処理を実行することから、上記で提案したように自律データといっても違和感はない。
 この自律データという呼び方から、改めて日常的に接するデータを眺めてみると、これにあてはまるデータが多いことに気がつく。折り込み広告などは自律データとみなせるであろう。雑誌とか図書も自律データである。著者名と表題がついた図書を例として取り上げると、著者名が発信アドレスであり、表題がデータの内容コードである。自律データのことを自律情報と言い換えれば分かり易い。
しかしながら自律データの概念をあまりに広くすると際限がないので、ここでは森 欣司氏が提案した自律分散システムの概念に従って、ヘッダにデータの発信アドレスと内容が示されたデータのことを自律データということにする。

 ヘッダ部にそのデータの発信アドレスと内容コードをつけた自律データをネットワークに放出する方式に関して、当麻善弘東京工大名誉教授が2003年12月に電子情報学会の英文学会誌に掲載された招待論文に自律分散システムのフォールト・トレランス性について懸念を寄せている。
自律データの処理を依頼する場合、その処理の引き受け手に障害があれば、その自律データは見捨てられ、障害すなわちフォールトに対する耐性(トレランス)が失われるという指摘である。
 そこで自律コアに障害が生じても処理システムとしては支障がないように、つまり自律分散システムのフォールト・トレランスを維持するためにグループ化した複数の処理引き受け手を準備することが考えられる。しかしながらその場合でも、グループ全体を統括する制御機構がない究極的な自律分散環境の下では、自律コアに利益(benefit)、あるいは自身の効用(merit)をもたらす機能を組み込んでおかなければ、処理を依頼してもその引き受け手がいないことが生じて自律分散処理が行なわれない、あるいは引き受ける自律コアが少なく、自律分散の効率が低下することが生起するという指摘である。人間社会の通念を下敷きとした自律分散システムへの提言である。
 ここで人間社会の様相をモデルにすれば、グループ内に処理依託された自律データが見捨てられたとき、これに対して処罰(penalty)を課すことで、自律データ処理のフォールト・トレランスを確保する方法も考えられる。しかしながら、非才な筆者はどのように利益を与え、あるいは処罰するような機能を自律分散システムに組み込めばよいかという回答は持っていない。当麻善弘東京工大名誉教授の提言とともに、自律分散システムの課題として書き留めておくことにする。

 これは一つの壁である。筆者にはさらなる壁にぶつかっている。
その壁は、いまのインターネット環境において自律データは存在しうるかという疑問である。インターネットに流されるデータには、受信アドレスが記載されていることが条件となっている。行き先の記載されていないデータは、インターネットでは受け付けられない。
 インターネットで使われているアドレスのことを調べるとIPv4 によるアドレス割り当てがすでに枯渇したためにIPv6の実用試験が2012年6月6日に開始されている。IPv6のアドレス割り当てによれば、コンピュータをコアとする機器にすべてアドレスを付けることができるという。処理コアのグループに対する一括データ伝送、すなわちグループ化したコアに対するマルチキャストも可能となっている。
いま進められているインターネット環境においては、純粋な自律データは存在できない。自律分散システムを支える自律データは、仮想的(バーチャル)な形式による記述によってインターネット上に流すため、上位レベルで構成しなければならないであろう。

 バーチャルな自律データを用いなくとも、閉じたネットワーク環境範囲内での自律分散システムであれば、森 欣司氏が提示したシステム構成は可能である。そのような閉じた環境での自律分散システムは、航空機、船舶、自動車など独立した制御系統に適用可能である。また直接には外部にインターネット接続しない家庭内、或いは企業内において自律分散システムを構成することもできる。その場合は、外部からの攻撃とか傍受を受けることを回避する対策も講じることができるので、セキュリティの面から優れている。直接インターネット接続をしないような閉じた領域の自律分散システム構成は、以上のことから市場性がある。
 すでにエキスコン規模の自律分散システムとして鉄道乗車券システムSUICAが実現されている。全世界に向けて普及したい、またそれだけの価値がある日本国産の自律分散システムである。

 ここでは自律データを新たな用語として提言し、いくつかの課題について記述した。
ところが自律データの機能と能力などに関する学術的な側面からの疑問の壁は、いまだにたちはだかったままである。さらに熟考を巡らせてみたい。
(納)