化学肥料のことで、中国に滞在したときに聞いた話を述べておきたい。
1989年の3月末に上海郊外の嘉定にある上海科学技術大学に2週間ほど滞在した。嘉定は1988年3月、高知学芸高校の修学旅行生の生徒26名(のち1名増)と引率教諭1名が死亡、36名が負傷した上海列車事故として知られているところでもある。
上海科学技術大学の宿泊施設には、日本から農業の指導に来て、すでに1年近く滞在しているという日本人の方にお会いした。お名前は記憶にないのが残念である。その先生がいわれるには「私は、土地がどのような肥沃状態にあるか、土をなめてみます。この地方の土を味わってみて驚きました。この近郊の土地は痩せこけています。農作物の育成にむかなくなっています」と。
私は、当時農業のことは全く無知であった。理由をお伺いする。
「万元戸が普及しています。義務として作られた作物は、国に上納しますが、余剰の作物は自由に処分して自分の収入にしてもいいという経済開放政策です。余分の年収入が1万元近くになる農家のことを万元戸といいます」と話をきりだされた。
ちなみに当時、1元は日本円で35円、大学卒の初任給が月80元程度であった。
「能力のある農民は、少しばかりの余剰生産があれば、これを換金して、政治献金し、肥沃な土地を割り当ててもらいます。その土地に化学肥料を購入し、これをつぎ込みます。できる限りの収穫をあげる。肥沃であった土地は化学肥料のために肥沃ではなくなります。収穫が多ければ、余剰作物を売却して、これを政治献金し、別の肥沃な土地を割り当ててもらうというやり方です。土地からの略奪です。次々に農作物の育成に向かない土地に変化し、広がっていくのです」と説明してくれた。
「この状態を脱却するには、汗水流して有機肥料の農業に転向する方法しかありません」と涙を流さんばかりに話をした。
その1989年6月4日には天安門事件が起こっている。
最近のテレビのニュースで、中国の農業育成のため、例外的にある広さの土地を日本企業に貸し出すという話題があった。私はこの報道を見て、一朝一夕にして自然有機農業が普及するのか少しばかり疑問に思った。
昨今の日本の農事事情は、1980年代の中国同様、土地からの略奪になりつつあるのではないかと懸念している。
嘉定にある上海科学技術大学に1989年当時逗留されていた農事指導の日本人の方がこのブログを目にされたら、是非とも御連絡頂きたい。
その後のお話しを炉端で伺いたいものである。 (農)