炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

アルカリ乾電池の怪

2007-05-29 22:37:57 | Weblog
 古い1.5ボルトの単一アルカリ乾電池をチェックしていて面食らった。+-の電極をきちんと触っているのにテスターの針が逆に触れるのである。逆の電圧は0.3ボルトであった。チェックした4個のうちただ1個がこのような異常を示した。
 以前は正常に使えていたので、乾電池の電極が付け間違えたとは思えない。アルカリ乾電池は古くなると逆の電圧が出てくるものなのでしょうか。どなたか教えてください。(青)

中国での農業散聞

2007-05-25 07:44:57 | Weblog
 化学肥料のことで、中国に滞在したときに聞いた話を述べておきたい。
 1989年の3月末に上海郊外の嘉定にある上海科学技術大学に2週間ほど滞在した。嘉定は1988年3月、高知学芸高校の修学旅行生の生徒26名(のち1名増)と引率教諭1名が死亡、36名が負傷した上海列車事故として知られているところでもある。
 上海科学技術大学の宿泊施設には、日本から農業の指導に来て、すでに1年近く滞在しているという日本人の方にお会いした。お名前は記憶にないのが残念である。その先生がいわれるには「私は、土地がどのような肥沃状態にあるか、土をなめてみます。この地方の土を味わってみて驚きました。この近郊の土地は痩せこけています。農作物の育成にむかなくなっています」と。
 私は、当時農業のことは全く無知であった。理由をお伺いする。
「万元戸が普及しています。義務として作られた作物は、国に上納しますが、余剰の作物は自由に処分して自分の収入にしてもいいという経済開放政策です。余分の年収入が1万元近くになる農家のことを万元戸といいます」と話をきりだされた。
ちなみに当時、1元は日本円で35円、大学卒の初任給が月80元程度であった。
「能力のある農民は、少しばかりの余剰生産があれば、これを換金して、政治献金し、肥沃な土地を割り当ててもらいます。その土地に化学肥料を購入し、これをつぎ込みます。できる限りの収穫をあげる。肥沃であった土地は化学肥料のために肥沃ではなくなります。収穫が多ければ、余剰作物を売却して、これを政治献金し、別の肥沃な土地を割り当ててもらうというやり方です。土地からの略奪です。次々に農作物の育成に向かない土地に変化し、広がっていくのです」と説明してくれた。
「この状態を脱却するには、汗水流して有機肥料の農業に転向する方法しかありません」と涙を流さんばかりに話をした。
 その1989年6月4日には天安門事件が起こっている。
 最近のテレビのニュースで、中国の農業育成のため、例外的にある広さの土地を日本企業に貸し出すという話題があった。私はこの報道を見て、一朝一夕にして自然有機農業が普及するのか少しばかり疑問に思った。
 昨今の日本の農事事情は、1980年代の中国同様、土地からの略奪になりつつあるのではないかと懸念している。
 嘉定にある上海科学技術大学に1989年当時逗留されていた農事指導の日本人の方がこのブログを目にされたら、是非とも御連絡頂きたい。
 その後のお話しを炉端で伺いたいものである。 (農)

葉物野菜の安全性

2007-05-24 16:22:18 | Weblog
 葉物の野菜で虫が食ったあとがあったら、どうされるだろうか。ましてや本物の青虫でもいたら、さらにこの話題は華やかになる。
 スーパーで買ってきた野菜ならば、すぐに現品とレシートを持って店長にクレイムをつけにいくという方が大半ではなかろうか。
 私は、葉物の野菜を植栽している。害虫駆除剤はできるだけ使いたくない。当然ながら青虫が繁殖する。致し方ないから手で除去する。しかし、すべて駆除することはほとんど不可能である。虫食い穴があることを承知の上で持ち帰り、調理して食卓に上げる。お吸い物に浮かせた葉物野菜のウラをひっくり返して、子供が「キャッ、虫がついてる」と叫ぶ。私は、昂然という。「無農薬野菜の証拠である。虫が食うほど安全な野菜だ」と。
 無農薬野菜というふれこみで、虫の食ったあともない野菜は、どうやって育成するのか、私にはよくわからない。想像の範囲であるが、四方囲まれ外界と遮断した建物の中で、化学肥料による水耕栽培をするのであろうか。光は、自然の太陽ではなく、発光ダイオードである。無機肥料は虫の宝庫であるから避けるであろう。化学肥料漬け野菜であっても無農薬野菜である。化学的には肥料と農薬は異なるといえるからである。
 レシートと現物を持参してクレイムをつけた客を相手にしたスーパーの店長は、無農薬の自然露地栽培野菜を仕入れることは、避けることになる。
 虫たちと自然栽培野菜の恵みを分かち合うのは、虫が安全保障してくれていいのではないかと私は信じている。(農)

柿の木が枯れた

2007-05-24 15:14:14 | Weblog
 ささやかであるが、竹藪を開墾して畑にしている。
隣地との境界近くに竹藪を開いた時に柿の木の苗を植えた。桃栗三年柿八年という諺があるが、この柿の木10年以上かかって昨年ようやく二つの実をつけた。大きい実でまことにおいしかった。
 しかし、その柿の木が枯れてしまった。原因は隣地の畑で、境界付近の雑草除去のために除草剤を散布したのが原因のようである。この五月のみずみずしい新緑の頃に、隣地との境界は、茶色に枯れた草が帯状になっている。悲しいことに柿の木は枯れている。
 隣地では毎年、除草剤を散布している。隣地境界にあったササは二-三年前に枯れた。沢山収穫をもたらしていたジャガイモは、ほとんど採れなくなってしまい、昨年からジャガイモの植え付けは断念した。
 訪れた時に、飛び立っていた野生のキジ、今年はいなかった。
 かってベトナムでは枯葉剤が人の生育に悪影響があったことはよく知られている。ササとか立木を枯らしてしまうような除草剤は人体に影響がないという保証があるだろうか。
 新緑の頃に、茶褐色に転じた野草と枯れた柿の木を見て、何となく日本の将来を暗示するような気がした。(農)

不正の感染

2007-05-04 18:18:17 | Weblog
 ここのところ、授業料等を免除して、野球に秀でたものを高校に入学させ、野球部員にしているという、いわゆる、特待生問題が世上をにぎわせている。野球憲章が禁じていることを(しかも高校側にそれを通達し、注意を促していたというのに)、高校側は無視し、違反を実行していた。しかも、驚いたことに、1校や2校ではなく、400近い高校が違反していたという。
 野球憲章が有名無実化されてしまった。このような違反は看過できないとする一方、「憲章が世情に合わなくなっている」、とか「不公平だ」、「子供がかわいそうだ」と言う市井の声もある。
 私が理解できないのは、憲章自身に色々問題があるのなら、それを正すのが先で、それまでは、制度として定められていることをきちっと尊守すべきではないのか。制度が実態にそぐわないからといって勝手に破り、自分たちに都合よく行動してしまう姿勢が、特に、教育現場でまかり通っていて、よいのだろうか。
 もう一つの驚きは、あたかも感染が一挙に拡大したように、気がついたら多くの高校にこのような違反が蔓延していたという事実だ。最初、どこかの高校が違反を始めたとき、誰かが気づいた筈で、そのときそれはおかしいのではないかと言うブレーキがかからなかったのだろうか。あいつがしているなら俺もと言うように不正が一挙に広まるという風潮が恐ろしい。
 このような不正の蔓延は、高校の卒業単位不足の問題でもあった。電力会社の違反隠しでもあった。あちこちから不正がぼろぼろと出てくる。色々なところで、不正の感染拡大が一挙に進むように見えるが、このような現象がどうして生じるようになってしまったのか。おそらく、当事者の弁解は、あいつがしているのにこちらがやらなければ競争に負けてしまう、と言うのであろう。その底には、とにかく競争に勝てばよいとする論理が窺われる。理念もへちまも無い(青臭いことをいってないで)、とにかく 競争に勝ったものが生き残れるのだ、という(ここ数年のうちに特に顕著になった)規制緩和に悪乗りした社会気風が、不正感染の一挙拡大を許容しているのであろう。
 不正の蔓延を既成事実化しそれを追認してしまう、そういうことでよいのだろうか。それでは私たちの社会は滅茶苦茶になってしまうのではないか。
 私に言わせれば、「子供がかわいそうだ」だけの論点は浅薄だ。「不公平」をいうなら、スポーツに限らず、物理学に通じ、勉学意欲が強いものに対しても特待生待遇があってもよい、という議論が生じ得る。もともと「野球だけに厳しく特待生を規制するのは不公平だ」という論議は不毛だ。このような場合の「公平性」はどこまで言っても論証されないから。それぞれの分野で、それぞれの考え方で「憲章」のようなものを作ればよいのではないか。(青)