炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

「ケイケンチ」とは何?

2013-02-11 19:15:37 | Weblog
 「ケイケンチ」という耳慣れない言葉がいろいろな所で言われだした。曰く、“これまでのケイケンチを踏まえてこれからの事を考えなければならない”、等々。まあ言葉はその時々の感覚に基づいて変わって行くものとすれば、そう目くじらを立てることもないが、NHKのニュースキャスターまでもが真面目の顔で口にするようになった。そこで、にわかに気にすると、ケイケンチとは何のことか分からなくなった。前後の脈絡から「ケイケン」が経験をさしていることは容易に見当がつく。問題は「チ」だ。わざわざ付け加えるこの「チ」は何なのであろうか。
 「チ」は「値」ですか?すなわち、「ケイケンチ」=「経験値」。しかし、経験の値とは何だろう。そもそも「経験」には数値化するようなメトリックがあるのだろうか。
 次に考えられるのは「知」。すなわち、「ケイケンチ」=「経験知」。過去の経験から得られる「知識」もしくは「知恵」と言うことか。しかし、「経験」という言葉の中に、過去の遭遇から蓄積された知識や感覚といった意味合いが既に含まれているので、わざわざ「知」を付け加えることもない。
 全ての場合、簡単に「経験」で済むのではないか。むしろ、「チ」を付け加えることで「ケイケンチ」が何のことか分からなくなる。

 単純に言えば済むのに、しち面倒臭い言葉が使われだしている。「検証」もその一つだ。検証には、対象とする何か(たとえば、正当性とか適合性)を証明(verification )するために調べるという意味合いがあった筈で、問題点の有無や今後の課題を単に調べるという事とは違うのではないか。もともと「検証」は専門的な用語だったと思うのだが、メディヤを含めて、政治家などが普通の場面で多く使うようになった。しかし、何を証明しようとするのか。だいいち、問題としていることが証明可能なのであろうか。単に調査と言ったほうが簡潔明瞭である。いや、ことはそう簡単ではないと言いたいのだろうか。

 メディヤが書き立てているアベノミックスもそうだが、あいまいのままで、響きがかっこよく思える言葉を口にして、なんとなく分かったような気分にさせる現代の風潮は、ふあっとしたムード文化の時代と言ってよいかもしれない。(どこかの副総理が「経済なんてムードですよ」といったことがまさに象徴している。)

 言葉の新しい風潮についていけない老人のたわごとと言われそうなので、もう止めよう。
(青)

英会話の上達をうながすゲームは

2013-02-07 18:59:04 | Weblog
 Wii U を新に購入したため、我が家ではゲーム・センターのように賑やかになっているが、いささか困ったものだと内心は穏やかではない。ゲームを楽しむだけで進歩がないからである。
 何か少しでも教育効果があるゲームにはならないだろうか。
 そこで思いついたのが英会話の教育である。

 先日、ある半導体素子の事業所に勤務している技術者から聞いたこととして、最近の携帯端末に搭載されている音声認識の処理は、端末で実施することなく接続されているサイトで行っているという。
「これもクラウドによる処理の一環です」という。
 そこで調べてみた。iPadから音声検索を試みたところ、サイト接続がない状態での音声処理検索は、インターネット接続がないと拒否される。上記の技術者のいうことは正しい。SIRIがかかわり、効果を上げているらしい。
 ゲームにもこれを用いるのはどうか。

 新しいマリオのゲームを楽しんでいるジャリ共は、盛んに手で操作している。テレビ画面からは、映像と共に単調なリズムが流れているだけである。
 これに英語で声がけをしたらどうか。「アップ」「ジャンプ」「ライト」「レフト」「ラン」「スロー・ウォーク」「ヘルプ」等々。
 ゲームは音声認識により効果が上がる。ただし正確な英語の発音であることが要求される。
サイトに繋いで、そこで音声認識処理をするのか、あるいはローカルにゲーム機械の中で音声認識処理をするのか。もしローカルにこれを行うとすればDSP、つまりディジタル・シグナル・プロセッサを搭載することになるから高価かもしれないが。

 時には、マリオが「ハロー、ハウ、アー、ユー」などと語りかけてもいい。
これに英語で返事をすると得点が上がる。つまりジャリ共は英会話でゲームの進行を補助するのである。
発音のいい英語での声がけをすると高得点が得られるが、ヘタな英語では得点にならない。サイトに繋がっていてリアルタイム処理をしているとすれば、サイトは得点を集計できるから、ニンテンドーなどの発売元から素晴らしい賞品、あるいは英会話上達の記録証が届いてもいい。

 ゲームの普及とあいまって英会話能力の高い国際的に活躍する若者が増えるのではなかろうか。
(悩)