炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

山麓閑話(1)

2008-03-17 17:04:32 | Weblog
昨年夏の話で恐縮だが閑話を一つ。
近くの村に1軒しかない散髪店に出かけた。先客のお婆さんがいて、世間話をしながら髪の手入れをしてもらっている。大分待たされたが、終わって椅子から降りてきたお婆さんは「どうもお待たせしました」と、丁寧に腰を折って挨拶する。思わず、こちらもゆったりした時間の流れに身を任せる気持ちになる。
私の番になったが、ちょきちょきとスローなはさみ使いが心地よい。外は明るい陽光。終わって、店のおかみさん(実はこの人が独りで散髪業を営んでいる)が急に「お宅に胡瓜あるかね」と言う。はじめは何のことか面食らって「あることはありますが」と要領の得ない言い方をしていると「うちでたくさん取れるので持っていかないかね」と重ねて言う。つい垣根を置いてしまう都会人の性癖が出て、「有難うございます。家にはあると思いますので、次の機会にいただきますよ」と言ってしまった。おかみさんは「そうかね」と不服そうな顔をしている。
帰宅して妻にこの話をしたら、どうして素直にいただいてこなかったの、と叱られた。未だに後悔している。(エイモット オリヒソイ)

ミラー・ニューロンのお話し

2008-03-15 12:39:04 | Weblog
ミラー・ニューロンのことが、イタリア、パルマ大学のリゾラッティらによって1992年に発表されている。サルの脳の一部、餌を摘む行動で活動する分野がある。この餌を摘むのと同じ行動をヒトが行うのをサルが見たとき、この部分が活動することを発見した。自らの行動と同じ行為を見て、鏡に写したように反応することからミラー・ニューロンと名付けたという。

私は、かって不思議な体験をしたことがある。
ある友人、かりにタノモシ君ということにする。ほとんど毎日、このタノモシ君と起居を共にし、かつ机を並べて勉強を行い、さらに課題について語りあった。四六時中のお付き合いである。
ある時、難しい問題を討議することがあった。タノモシ君と向かい合って、激論する。
その内に壁にぶつかった。議論は尽きた。
二人とも、考え込む。
無言のまま時間が経つ。
一言「そうかぁ」というと、タノモシ君「そうかもしれない」という。
再び沈黙。
「ダメだ」とため息をつくと、「ダメだね」とタノモシ君。
決しておうむ返しの発言ではない。
長い沈黙が続く。お互いに顔をみ合わせたままである。
「わかった」、タノモシ君はすかさず「そう、そうだよ。うまくいった」という。
そして問題は解決した。タノモシ君と私は、同じ指向のもとに、同じ思考の試行を繰り返していたのである。言葉の交換は、単に思考プロセスのタイミングを合わせるためだけであった。
側には誰もいない。もしいたら二人の交わす禅問答に唖然としていただろう。
今にして思えば、ニューロンがミラーのように活動していたと解釈できる。この解釈が正しければ、ヒトの頭脳にはいたるところ、しかもヒトごとに異なった場所にミラー・ニューロンが存在するはずである。つまりミラー・ニューロンという特殊なニューロン分野があるわけではない。ニューロンの結合によって形成された記憶経路がミラーのように反応するとの仮説がたてられるのではないか。パルマ大学のリゾラッティらは、サルの餌を摘む行動にかかわるニューロンが、ヒトの同じ行動を見てミラーのごとく活性化する分野を特定したといえないだろうか。
わずか17文字の俳句、作者のもつ情感、これを鏡に映すかのごとく、あるいはそれ以上の内容で、受け手のニューロン記憶経路の活性化をうながすと考えてもいい。
ニューロンのミラー活動は、コミュニケーションの基盤と見なすことができる。
(脳)


太陽電池などのこと

2008-03-01 14:17:22 | Weblog
地球温暖化、化石原油の高騰、いまエネルギの問題が広く取り上げられている。
平成20年2月末、東京ビッグサイトで開催された太陽電池と水素・燃料電池展の見学にでかけた。
我が家でも、ささやかながら太陽電池の応用を数年前から試みている。安価な小型太陽電池を手にいれ、これにパソコン用の換気扇を直接つないだ装置をトイレと風呂場にそれぞれ独立に取り付けている。天候のいい日しか動かないが、故障もなくきわめて快調である。トイレの悪臭、風呂場特有の湿気などはこもらない。家全体のエネルギを供給する太陽電池システムまでは、高価で電力会社との契約も必要となり、とても手がでない。この程度であれば電力会社のご厄介にならなくともよい。
これが見学にでかける動機の背景である。
太陽電池の素材は、シリコンが主流である。シリコン結晶を使ったものと、シリコンを蒸着(シリコンを蒸気にして、ガラスなどの基材に付着)がある。配布されていたカタログをもとに試算すると、太陽エネルギによる発電量は、結晶を基にしたほうが約130W/平方mであり、蒸着では約75W/平方mである。価格は平均すると約500円/Wである。電力会社の価格はおよそ0.025円/Wである。もし家全体の電気エネルギを太陽電池だけで供給するとなれば、計算上は数十年かけないともとがとれないことになる。太陽電池のコストが高いのか、電力会社の供給する電力が安いからだろうか。太陽電池を作成するため、価格そのものに製造にかけられた電力などのエネルギ代が含まれているであろうから、製造コストがこれからどのくらい低減できるかが課題であろう。
少しばかり目についたのが色素増感太陽電池である。太陽の光エネルギ、色素を使ってとらえようとするもので、大学の研究室が参加して開発を進めている。シリコンを使わないから、低コストで実現できるかも知れない。将来に期待したい。
太陽電池のエネルギ供給は、太陽で照らされなければ働かない。夜間は発電しないし、雨とか曇っても発電量は低下する。ちなみに我が家の換気システムは、日照がなければ働かない。トイレにいて雲の動く様子がわかるのである。換気扇であるからいいが、太陽電池の電力だけで料理などはとてもできない。電気の安定供給のために電力会社と契約し、太陽電池の発電で余った電気を買いとってもらい、足らなくなったら売ってもらうことになる。
電力会社の援助を受けないならば、電気エネルギを蓄える必要がある。
電気を蓄える方式には、昔から使われている鉛蓄電池がある。この他にも最近ではニッケル水素電池、リチュウムイオン電池がある。いずれも高コストになり、保守も欠かせないし、寿命も短いから、電力会社の援助の方がすぐれている。
最近話題になっているのはNAS電池があるので、これについてつけ加えておこう。NAS電池は、ナトリュウムと硫黄を用いたもので、大電力の貯蔵ができ、効率も90%にのぼり、寿命も長いという。ただし動作時の温度が300℃なので大型化し、一般家庭で利用することは現在の段階ではできない。
太陽電池だけ用いて家庭のエネルギを供給できる様になるためには、いましばらく時間がかかりそうである。
(応)