炉端での話題

折々に反応し揺れる思いを語りたい

珍論奇説(その4)―私の輪廻論

2011-02-14 17:27:30 | Weblog

材料の研究をしている友人に、或る時、「物質とは何ですか」と尋ねた。いまから思えばこの質問は珍妙だが、答えもまた変わっていて、「エネルギーだ」と言う。聞いた当初は、ちんぷんかんぷんで、その意味が全く分からなかった。

その後、ある科学雑誌に、宇宙の星の起源をコンピュータでシミュレーションした画像と、記事が載っているのを見た。はじめ、宇宙にはエネルギーが一様に満ちていたが、或る時、そこに何かのきっかけで揺籃が起こり、エネルギーの局所的集中(偏在)が生じた。この集中がさらに進んだ結果、そこに星が生まれた、と言うのである。なるほど、物質はエネルギーだと言う友人のご託宣も荒唐無稽な話しではなく、科学の最先端の宇宙観に基づいていたのだ。そういえば、有名なアインシュタインの関係式(方程式という言葉はあまり好きではない)E = m×C2E:エネルギー、m:質量、C:光速)もエネルギーと質量(物の量)を結びつけるものだった。質量が消滅するとそこからすさまじいエネルギーが生じると言うのが核エネルギーだ。

ここまで来ると、私の体はものの集まりだから(すざましい)エネルギーの集積だ、と言う考えが浮かぶ。私の死後、肉体は消滅するが、エネルギー不滅の法則によれば、私のエネルギーは世界のどこかに残るのだろう。再び、エネルギーの集中に巻き込まれてどこかの物質の一部に組み込まれるかもしれない。ばらばらかもしれないが、私のエネルギーは世界のどこかに存在するのだ。私は消滅しない、という不思議な感覚に捉われる。このような馬鹿げた推論を真剣に信じているわけではないが、こう考えると若干心が休まるではないか。

年をとり、自分の体が全体として統括されているというより、あちこちおかしくなって、ばらばらになっていく感じに捉われることがある。エネルギーの集中が保てなくなって分解しかかっているのだろうか。だとすると、エネルギーの集中を保つ力(?)はどこから来るのであろうか。(エネルギーと言う観点からはなれて)物質は、極限的には、素粒子の集まりであり、それら素粒子を引き付けておくための力が、電磁気の力、重力など(もう一つあげられていたよう気がするが)の外にあるのではないかと考えている物理学者の疑問が、身近に感じられるような気がしないでもない。(青)


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