劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

東京芸術劇場の「トスカ」は悲惨だった

2017-10-28 11:00:07 | オペラ
東京芸術劇場で10月27日の夜に「トスカ」を観る。金曜の夜だが結構空席が目立ち、6~7割の入りか。東京芸術劇場だけでなく、新潟、金沢、富山、石川、沖縄などの地方も含めた全国共同製作らしい。この共同制作方式は、平成21年から始まったとプログラムには書いてある。東京ではオペラ公演も多いが、地方都市では本格的な公演は少ないだろうから、そうした点では良い企画だが、こうした「共同」というのは、どこかに核が必要だろうが、パンフレットからはどこが核となっているのか判らない。普通に考えれば、東京劇術劇場か。

こうした全国共同製作のオペラを観るのは初めてだが、映画監督の河瀬直美が演出するというので、どんな感じになるのか好奇心で観た。悲惨だった。演出もダメならば、歌手もダメ。装置もダメで、良いのはプッチーニの音楽だけだった。こんなものを名作オペラですと言われたならば、地方で初めて観る観客は、もう二度とオペラには行くまいと決心するだろう。そのくらいインパクトの強いダメさ加減だ。

河瀬の演出は、いわゆる「読み替え」と呼ばれるもので、この芝居の背景を古代なのか、中世なのか判らないような日本に置き換えている。歌手のトスカは、村娘のトス香で、相手役のマリオは万理生、敵役のスカルピアは須賀ルピオといった具合。一幕でトスカが聖母マリアに祈りをささげる場面は、背景に映し出された富士山に向かって柏手をうって祈りをささげる。

そうした調子で展開するのだが、スカルピアは軍隊的な制服を着て現れて、部下はライフル銃のような銃を振り回している。二幕になるとスカルピアはスペイン産の上等なワインを飲みながら、ステーキの食事をとっている。これは台詞に出てくるので、日本酒とはいかないのだろう。おまけに、二幕はなぜか、泡がぶくぶくするような映像が流されたりして、鬱陶しく、歌に集中できない。スカルピアの部下たちが室内でもやたらと銃を構えるのはどう見たっておかしい。

三幕は致命的で、銃殺で殺される振りをするマリオに、トスカが倒れ方の見本を見せたりする。おまけにマリオは机の上に立たされて銃殺されるだけでなく、銃殺後の検死の確認も小隊長でなく、兵隊がやろうとする。トスカは飛び降りる前に、何やら台本にはないアカペラの歌を歌い、飛び降りてそのまま天使のように羽が生えて飛んで行ってしまう。

台本の解釈にも問題が多いが、一体全体、昔の日本、それも時代が不明な日本に置き換える意味があるのだろうか。単に奇をてらったとしか思えない。面白くないどころか白けてしまう。そもそも、映画と舞台というのはジャンルが異なるから、映画で少し活躍したからといって舞台の演出ができるとは限らない。それなりのきちんとした準備をしないと、こうした演出はうまくはいかないだろう。

演出がダメなオペラ上演というのは結構多いが、この公演はマリオ役のアレクサンドル・バディアの声が全く出ていない。声の質は悪くはないが、声が小さすぎるし、のばすこともできない。一幕の「妙なる調和」の時はまだ出だしなので声が出ていないのかなとも思ったが、三幕の有名なアリア「星は光りぬ」ではたった一本のクラリネットの音にも負けてしまうぐらいの声で、これでよく主役をやるものだと思った。心の中ではブーイングしたが、周りではブラボーと叫ぶ声もあり、日本の観客はこれでよいのだろうか、と考えさせられた。この程度の歌手ならば、わざわざ外国から呼ぶ必要はなく、日本人を起用すればよいのではないだろうか。

トスカ役のルイザ・アルブレヒトヴァは、一応の水準で声も出ており、唯一の救いとなっていた。日本人ではスカルピア役の三戸大久が健闘。指揮は大勝秀也で、オケは東京フィルハーモニー。オケは良い音を出していた。

東京劇術劇場の大ホールはコンサート・ホールとして設計されているので、オペラを上演するのは無理だと思う。座席5列分を外してオケを置き、舞台面をかさ上げして何とか公演していたが、舞台のセットも出たままの物で、照明も自由に転換できない。おまけに残響が長いので、風呂場で歌を聴くようだ。コンサート・ホールなのだから、無理してオペラなどやる必要はないのではないか。

もし、どうしても東京劇術劇場でやりたいならば、演劇用の劇場を使い、小規模なオペラに的を絞って上演したらどうだろう。こうした上演を見ると、製作者に問題があると感じる。

帰りはいつものスペインバルで食事。牛筋肉の赤ワイン煮込みや、チーズの豚肉巻などを食べる。家に帰っても、オペラの口直しが欲しくなったので、CDで、「トスカ」を聴いてから寝た。