劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

新国立劇場の「オテロ」

2017-04-22 20:27:20 | オペラ
新国立劇場でヴェルディのオペラ「オテロ」を観る。一言で言って素晴らしい舞台。何よりも主演のオテロ役カルロ・ヴェントレの歌が素晴らしい。この役は「力強い」テノールの役柄で、なかなかうまく歌う歌手が少ないと聞くが、今回のカルロは素晴らしかった。相手役のデズデモーナにはセレーナ・ファルノッキアで、彼女も普通に良い。

オテロの猜疑心を掻き立て、この芝居全体の狂言回し役となるイアーゴには、ウタディーミル・ストヤノフで、歌がまずいわけではないが、この芝居に欠くことのできない悪役としてのねちっこい「いやらしさ」を持ち合わせていなかった。芝居なのだから、イアーゴはあくまでも悪役で、憎らしさを持ってほしいものだが、少し上品すぎる。

この作品の原作はシェイクスピアの有名な悲劇だが、この作品をオペラにするのは大変だったに違いない。何しろ、普通の戯曲をミュージカルにするならば、台本を半分ぐらいに圧縮する必要があるが、オペラにするには1/4以下に圧縮して本質を際立たせねばならない。おまけに、歌に合うように韻をふんだ台本が必要となる。

そうした観点で、オペラの「オテロ」を考えると、素晴らしい台本となっていて、シェイクスピアの原作以上に主人公たちの心理がうまく描かれているといえる。アッリーゴ・ボーイトの台本だ。

オペラでは原作と異なり、原作の冒頭でオテロとデズデモーナがヴェネチアで愛し合い、親の反対を押し切って結婚するくだりが省略されている。そこでオペラの始まりは、オテロ率いるヴェネチアの船団がトルコ軍を嵐の中で打倒し、キプロスの港へ戻るところから始まる。オケは序曲のなしに突然嵐を描くフォルテッシモから始まる激しい曲だ。

オテロはキプロス島に戻るわけだが、舞台のセットはなぜか水路があるヴェネチア風のセットになっている。嵐の中なので写実的なのかも知れないが、舞台は薄暗く、合唱も含めて沢山の人物が行きかうセットの中で、誰がオテロなのか、だれがイアーゴなのか、カッシオはどこに居るのかよくわからない。これは照明の問題だと思うが、スポットライトを主役級には当てるべきだろう。

ヴェネチアの統治するキプロスなので、舞台上にヴェネチア風の水路を作り「本水」を使ったのかも知れないが、照明で水面に反射する光を美しく見せる以外にほとんど「本水」を使う意味はなかったような気がする。

イアーゴはどんどんとオテロを追い詰めていくが、今回の公演ではそこの追い詰め方に迫力が感じられない。悪役は本当に憎らしく演じて欲しいものだ。

最後はオテロが妻のデズデモーナを殺し、自らの命も絶って悲劇的に終わる。どこか、「ロメオとジュリエット」を思い起こさせるのは、この二人の悲劇は、二人の間のコミュニケーションの欠如によって生じたためか。今回のオテロは、黒でもなく白でもなく褐色だったが、その褐色のムーア人としてのコンプレックスが奥底にあったのではないかという気がするが、時代のためかそれを赤裸々に描くような演出にはなっていない。

指揮はパオロ・カリニャーニで、オケは東京フィルハーモニー。立派な演奏だった。