アメリカでは結構ヒットしているという話を聞いて、実写版の「美女と野獣」を観にいった。封切り直後だが、さすがに月曜日の午前中とあってガラガラなので、ゆっくり見る事が出来た。まずはオリジナルを観ないといけないので、吹替ではなく字幕版の方を見る。
わざわざ実写版と断るのは、1991年にアニメ版が作られていて、今回はその実写版という位置づけだからだ。1991年といえばもう四半世紀も前の作品だが、今回の映画は決して古びていることは感じさせない。
ディズニーはトーキー初期から音楽や歌を入れた作品を多く作っていたが、ウォルト・ディズニーが1966年に亡くなってからは、面白いアニメが無くなり低迷していた。それを打ち破ったのが、1989年の「リトル・マーメイド」で、60年代の音楽は主にシャーマン兄弟が手掛けていたのに対して、「マーメイド」からはアラン・メンケンが音楽を担当した。そうして1990年代のディズニー・ルネッサンスと呼ばれる復活期を迎える。
アニメ版の「美女と野獣」は、「マーメイド」に続く二作目で、ウォルト時代から長く続いていた手書きのセルが廃止されて、すべてコンピュータ作画へと移行した作品だった。そのため、公開当時に観たときには従来の手書きではありえないような流れるように目まぐるしく変わる華麗なカメラ・アングルの変化に気をとられて、音楽といえば『お客になって』くらいしか印象に残らなかった覚えがある。
その後、この「美女と野獣」は1994年に、ブロードウェイで舞台ミュージカル化された。だから、今度の「実写版」も、ある意味では、この舞台作品の映画版ともいえる。この舞台化は当時のブロードウェイとしてはちょっと驚きで、それまでの舞台専門の個性的な製作者や、シューバートのような老舗劇場チェーンの製作とも違う、新しいディズニー・ブランドが東海岸でも誕生したわけだ。
当時のブロードウェイは1940年代から60年代まで続いた、いわゆる古典的な台本ミュージカルの時代が終わってしまい、低迷の時代に入っていたが、ディズニーは従来のブロードウェイの観客とは異なった新しい観客層を呼び込むことに成功して、この「美女と野獣」をヒットさせた。
当時、僕もブロードウェイで観たが、従来のブロードウェイ作品が「大人」の芝居だったのに対して、ディズニー物はやはりどこかに「子供っぽい」ところが残り、お子様向けの作品だと感じた。
だから、今回の実写版映画化もあまり期待してはいなかったのだが、それでも見る気になったのは、アメリカでの評判が良いのと、予告編も面白そうだったからだ。というわけで、月曜日の午前から観にいった。
一言でいうと、実写版は、これまでのアニメ版、舞台版よりも出来が良い。最大の理由は台本が大幅に強化された点だ。アニメ版が約1時間半なのに対して、実写版は2時間を超えるから、曲も何曲か追加しているし、エピソードも追加している。大きな追加というのは、ベルと野獣のそれぞれの幼少期の思い出を挿入して、二人に母との死別というつらい試練が共通してあったことを示したこと、魔法使いをアガサという村の乞食役で登場させてひねりを利かせたこと。そして、バラの花に対する一貫した流れを作った点で、こうした台本の強化により、「大人」にも楽しめるきちんとした作品に仕上がった。
アラン・メンケンの曲は、改めて聞いてみるととても良くかけている。記憶が確かではないが、最後の方で歌われる野獣の独白の曲は、新たに追加されたものだと思うが、素晴らしい内容だった。出演者たちは特にミュージカル専門というわけではないが、それなりにきちんと歌っていた。美女役のベルを演じたのはエマ・ワトソンで、「ハリー・ポッター」シリーズの印象しかなかったが、立派な大人の美女になっていて驚いた。
そういえば、アラン・メンケンも1982年にオフ・ブロードウェイで「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(恐怖の花屋)のミュージカル版をヒットさせたわけだから、ミュージカルには慣れているのだろう。というわけで、僕にとっては最近評判の良い「ラ・ラ・ランド」よりもずっと楽しめるミュージカルだった。
監督はビル・コルドンで、テレビ出身。映画のミュージカルでは「ドリームガールズ」も撮っていて、これはあまり感心しなかったが、今回の「野獣」では『お客になって』の場面など、1930年代のバスビー・バークリーを彷彿とさせる俯瞰ショットなどを入れていて、古い作品も勉強した跡が伺えた。何しろ、最後のエンド・クレジットの前に、主役級の顔が映って役名と俳優名が出てくるのが、1930年代風で懐かしい。今回は魔法で変身しているために、ほとんどの役者が素顔を見せるのは最後のシーンだけなので、苦肉の策として考えたのかも知れないが、こういうのは大好きだ。
とは言っても、古い人間だから、「美女と野獣」というと古いジャン・コクトーのフランス映画を思い出してしまう。こちらはジャン・マレーが野獣で、独特のしっとりとした映像美だった。懐かしいな。もう一度見たいな。
帰りは、映画館のそばにあったビストロで食事。特に不味いわけではないが、飛行機の機内食のようなサービスで、トレイの上に、スープ、サラダ、メイン、デザート、コーヒー・カップを載せてトレイごとサービスされた。コーヒーはサービスの人が回り、その人の持っているちびトレイにのせて注いでもらう。うーん、なんか違うなと感じた次第。
わざわざ実写版と断るのは、1991年にアニメ版が作られていて、今回はその実写版という位置づけだからだ。1991年といえばもう四半世紀も前の作品だが、今回の映画は決して古びていることは感じさせない。
ディズニーはトーキー初期から音楽や歌を入れた作品を多く作っていたが、ウォルト・ディズニーが1966年に亡くなってからは、面白いアニメが無くなり低迷していた。それを打ち破ったのが、1989年の「リトル・マーメイド」で、60年代の音楽は主にシャーマン兄弟が手掛けていたのに対して、「マーメイド」からはアラン・メンケンが音楽を担当した。そうして1990年代のディズニー・ルネッサンスと呼ばれる復活期を迎える。
アニメ版の「美女と野獣」は、「マーメイド」に続く二作目で、ウォルト時代から長く続いていた手書きのセルが廃止されて、すべてコンピュータ作画へと移行した作品だった。そのため、公開当時に観たときには従来の手書きではありえないような流れるように目まぐるしく変わる華麗なカメラ・アングルの変化に気をとられて、音楽といえば『お客になって』くらいしか印象に残らなかった覚えがある。
その後、この「美女と野獣」は1994年に、ブロードウェイで舞台ミュージカル化された。だから、今度の「実写版」も、ある意味では、この舞台作品の映画版ともいえる。この舞台化は当時のブロードウェイとしてはちょっと驚きで、それまでの舞台専門の個性的な製作者や、シューバートのような老舗劇場チェーンの製作とも違う、新しいディズニー・ブランドが東海岸でも誕生したわけだ。
当時のブロードウェイは1940年代から60年代まで続いた、いわゆる古典的な台本ミュージカルの時代が終わってしまい、低迷の時代に入っていたが、ディズニーは従来のブロードウェイの観客とは異なった新しい観客層を呼び込むことに成功して、この「美女と野獣」をヒットさせた。
当時、僕もブロードウェイで観たが、従来のブロードウェイ作品が「大人」の芝居だったのに対して、ディズニー物はやはりどこかに「子供っぽい」ところが残り、お子様向けの作品だと感じた。
だから、今回の実写版映画化もあまり期待してはいなかったのだが、それでも見る気になったのは、アメリカでの評判が良いのと、予告編も面白そうだったからだ。というわけで、月曜日の午前から観にいった。
一言でいうと、実写版は、これまでのアニメ版、舞台版よりも出来が良い。最大の理由は台本が大幅に強化された点だ。アニメ版が約1時間半なのに対して、実写版は2時間を超えるから、曲も何曲か追加しているし、エピソードも追加している。大きな追加というのは、ベルと野獣のそれぞれの幼少期の思い出を挿入して、二人に母との死別というつらい試練が共通してあったことを示したこと、魔法使いをアガサという村の乞食役で登場させてひねりを利かせたこと。そして、バラの花に対する一貫した流れを作った点で、こうした台本の強化により、「大人」にも楽しめるきちんとした作品に仕上がった。
アラン・メンケンの曲は、改めて聞いてみるととても良くかけている。記憶が確かではないが、最後の方で歌われる野獣の独白の曲は、新たに追加されたものだと思うが、素晴らしい内容だった。出演者たちは特にミュージカル専門というわけではないが、それなりにきちんと歌っていた。美女役のベルを演じたのはエマ・ワトソンで、「ハリー・ポッター」シリーズの印象しかなかったが、立派な大人の美女になっていて驚いた。
そういえば、アラン・メンケンも1982年にオフ・ブロードウェイで「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(恐怖の花屋)のミュージカル版をヒットさせたわけだから、ミュージカルには慣れているのだろう。というわけで、僕にとっては最近評判の良い「ラ・ラ・ランド」よりもずっと楽しめるミュージカルだった。
監督はビル・コルドンで、テレビ出身。映画のミュージカルでは「ドリームガールズ」も撮っていて、これはあまり感心しなかったが、今回の「野獣」では『お客になって』の場面など、1930年代のバスビー・バークリーを彷彿とさせる俯瞰ショットなどを入れていて、古い作品も勉強した跡が伺えた。何しろ、最後のエンド・クレジットの前に、主役級の顔が映って役名と俳優名が出てくるのが、1930年代風で懐かしい。今回は魔法で変身しているために、ほとんどの役者が素顔を見せるのは最後のシーンだけなので、苦肉の策として考えたのかも知れないが、こういうのは大好きだ。
とは言っても、古い人間だから、「美女と野獣」というと古いジャン・コクトーのフランス映画を思い出してしまう。こちらはジャン・マレーが野獣で、独特のしっとりとした映像美だった。懐かしいな。もう一度見たいな。
帰りは、映画館のそばにあったビストロで食事。特に不味いわけではないが、飛行機の機内食のようなサービスで、トレイの上に、スープ、サラダ、メイン、デザート、コーヒー・カップを載せてトレイごとサービスされた。コーヒーはサービスの人が回り、その人の持っているちびトレイにのせて注いでもらう。うーん、なんか違うなと感じた次第。