自分の望みについて、
「どうなりたいか」じゃなくて、「どう在りたいか」が大切だから、
「どう在りたいか」を決めなくっちゃ!
と、ばかりに、
一生懸命、そこに当てはまる形容詞をひねり出そうとするなんて、
しなくていいからね
言葉を決めることが大切なんじゃなくて、
すべては可能との立ち位置から、
心躍らせているかどうか、だと思うの
もし、そうじゃないのなら、
決めるために決めた言葉は、きっと、すぐに、忘れてしまう
学校や職場で、
これが、今月の目標です!って言われたって、
問題解決ロボットじゃない私たちは、
本気で熱くなれやしないでしょ
心からこう在りたい!ってのは、
ふとした瞬間に出てくるものなんだから、
出てきたときに、捕まえればいいの
もし、いま、
自分がどう在りたいか、が分からなくたって、
なんの、問題も、ありゃしない
むしろ、心が満たされているってことなのかもよ
「決して満たされてないけど、分からない」なら、
全知全能、完全無欠、なんでも知っている存在が、
「自分の望みが分からないってどういう状態なんだろう?」という疑問を持って、
その役を没我の境地で演じている最中なんだと思うの
そして、「望みが分からない」ことから巻き起こる、
ありとあらゆる感情体験を、
「ふうん、なるほど」と、
しっかり、データベースに書き込みしてるってわけ
何も心配要らないよ
その役を演じきったら、次の役がやってくるから!
「だって、分からないのが自然なんだもん」と、
無駄な努力をしないことで、
ほら、もう、すでに、
「自然体のありのままの自分」で在ることに成功しているじゃない?
自分がどうしたいのか、本気で見失っているところです
なので今は、自然に任せるように、なるようになるさと言い聞かせている日々です…
「本気で見失う」は、「しっかり見つける」と、セットだと思いました。
流れに任せていれば、連れて行ってくれそうですよ