私が私の必要に応じて
表現したいことを
真摯に表現すると
必ずそれを
真摯に受け取ってくれる人が現れて
「勇気をもらった」
「ワクワクした」
と、伝えてもらうっていう経験を
もう何回しただろう
誰かのために、とか、
誰かを救おうとか、
狙ってるワケじゃない
狙う前から成立しているから
お互いでその感覚を味わうように設定している、
そういう契約なんだ
フォーカスすべきは、ただ
本当に伝えたいことを
文法とか
てにをはとか
まずは置いといて
「世迷い言ではないのか」とか
「こんなんで分かるのか」と言った
内なる裁判官の声を
BGMにしながら
それでも何とか
形にして
アウトプットしちまうことなんだ
「私」の必要は
「誰か」の必要だから
もともと一体のものが、
「ここ」と「あそこ」に分裂して浮上してきたのだから
そして、
その誰かと私だけでなく
表現した内容の中に
登場する命たちと
それをまったく違う場所違う時間で知った人と
知った人が想う人たちの
すべてとともに紡ぎ出したネットワークの中で
全員がそれぞれ
自分で自分に導いた奇跡に
やったね!
って言う瞬間が一番好き
だから、
チャンスを逃す、なんてことは、
絶対にないんだと、信じられる