Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

自分に起こっていることに誠実に生きるとクレイジーに見えるのかも知れないという一例

2011-05-14 | フォルテネージュ


ご飯を食べに行こうと建物を出て、
2人で、場所をあれこれ考えて楽しげに話してるとき、

浮浪者風の人に話しかけられたの

正確には、
彼は、私たちと話してはいなくて、

「量子論」並みに意味不明なことを、ずっと語り続けてた


私が、覚えてるのは、
「コンビニ」と「松下」って単語だけ

聞きながら、「困ったなあ・・」とも思ったけど、
一方で、「この人の中にも神がいる」とも思いながら、その穏やかな目を見てみたりした


彼の話はなかなか終わらなかったから
お腹が空いていた私たちは、彼に丁寧に挨拶して、その場を離れたの


あの経験は何だったんだろうと考えてたら、
翌日、答えがやってきたよ

 

 




ある人から、「マイク内蔵型のイヤホンをして電話で話す」ってことについて聞いたのね

ケータイを服のポケットに入れたまま、
まったくの手ぶらで、
自分は宙に向かって話しかけ、
相手の声はまるで脳裏から聞こえるって状態は

まさに、テレパシーで誰かと意志疎通してる感覚なんだそう・・

神様ってこんな感じ?ってくらい、
自由で、気持ちの良い、体験なんだって


そして、そのスタイルのまま、街中の雑踏を歩いてみる

目の前にいない誰かに話しかけてリアルに反応する自分は、

端から見ると
〈おかしな人〉と何ら変わりない…

 

 

 

 


そっか、
あの浮浪者は、路上の聖人で、
じつは、遠隔で誰かと話してたのかも知れないね

電話もイヤホンも不要な
正真正銘のテレパシーで

 

 

「狂気」も「超能力」も、
「正常」の超越だとしたら、
それを分ける基準はなんなんだろう

自分の感覚に誠実に生きていると、クレイジーに見られるのだとしたら、
ノーマルを死守する意味は、どこにあるのだろう?

 

 

                                ハートサポートサロン「フォルテネージュ」