「地雷なんてどこにも埋まっていないよ。」
これは、先月、夫の実家のお寺で、
お薬師さんとお話ししたときに、もらったメッセージなの
・・・人生という原野には、時々地雷が埋まっていて、
それを踏んでしまうと、人生の落伍者になったり、ひんしゅくを買ったり、取り返しのつかない事態を招いたり、
とにかく、大変なことになるから、
それを確実に避けて、
安全な場所でのみ、人生というダンスを踊り続けなければならない
うっかり、地雷を踏まないように、常に充分に気をつけていなければならない・・・
ともすれば、
私たちは、そんなふうに考えることがあるのかも知れないね
でも、お薬師さんは、言うの
「地雷なんか、どこにも埋まっていない。」
今日、その続きが、シータヒーリングのときに、やってきたんだ
私たちが、地雷だと思っているものは、
じつは、大根なんだって
掘り出して、お味噌、つけて、食べてごらんって
私たちは、自分の人生が展開される場所において、
自分が行こうと思うところであれば、どこへ行っても安心して過ごせるし、
踏みしめちゃいけないピンポイントがあるというのは、
自分が設定したプログラムに過ぎない
だから、解除したいときに、いつでも、解除できるんだ
「えー、そうは言っても、私は以前、地雷を踏んだ経験をして、あんなに辛かった!」って、思うような過去が、
思い当たるかも知れないんだけど、
そこが、おおいなるトラップってやつでね
マインドは、そうやって、いつも、過去に照らして判断してくるんだけど、
この宇宙で変わらないものなんてないんだよ
今、そのときと比べて、自分も状況も変化していることは十分理解できるのに、
過去にそうであったことについてだけは、変わらずに同じであると思う根拠は何かな?
その勇気のステップが大きな一歩となる
宇宙への信頼があれば、
私たちは、どこででも、大地を力一杯踏みしめて踊ることができる
地雷が地雷になるときは、自分がそれを地雷だと認識したときだけなんだ
セッション後に行ったカフェで、偶然にも見つけた、地雷のスープの美味しかったこと