『ゲゲゲの女房』(第26週) ~大切なものは目に見えない

2010-09-28 21:00:00 | 連続テレビ小説

 連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』が終わりました。振り返れば、半年なんてあっという間ですね。
 最終回は第1話とリンクする形で終わってくれたらいいなあと思っていましたが、視聴者の期待に見事に応えてくれました。ところで、もう私は覚えていないのですが、第1話では、べとべとさん以外の妖怪は登場しなかったのでしょうか? 
 もちろん、鬼太郎や目玉親父、悪魔君や河童の三平は「水木しげる」の筆から生まれたキャラクターだから、この時点では登場しないのが当たり前ですが、初回と最終回を「つないだ手のぬくもり」と「べとべとさん」で結ぶだけでなく、現在と過去(第一話に遡れば現在と未来)があの森の中で繋がることにして、第一話でも鬼太郎たちが登場してくれていたら・・・と思ってしまいました。
 もちろん、ドラマの中の少年茂と少女布美枝は、彼らがいったい何者なのか分かりませんし、最終回と違って鬼太郎たちも彼らに見られてはならないわけだから(時間旅行の基本ルール)、過去へ旅したとしてもこっそりと二人を覗きこんで微笑んだ筈ですが(二人が結ばれないと、鬼太郎たちはこの世に登場しなかったかも?)、私の中の『ゲゲゲ女房』第一話では、この森のどこかに鬼太郎たちがいたことは、もはや既定事実になってしまいました(完)。
 スタッフ&出演者の皆さん、半年間(実際の撮影期間は半年以上ですね)お疲れ様でした。

 日本人は「見えんけどおる」ものに敬意を払いながら生活してきましたが、彼らは自然と同じようにいつの間にかいなくなってしまうため、悲しいことに失ったことすら気づかないのが現状です。戦後の世界が獲得したものと、それと引換えに失ったものを並べてみると、この先どう生きたらいいか答えが出そうな気がしますが、ゲンゴロウやトノサマガエルがいなくなったことに何も感じない人は、座敷童子や河童がいなくなったことにも何も感じないだろうし、普段は封印されている河童のもう一つの哀しい顔にも気づかないでしょう。祭りのお神輿が何故前後左右に激しく揺れるのか理由がわからないように・・・。
 このドラマを通じて、民話やその土地ごとの歴史に興味を持ってほしいと思いました。水木さんの漫画や原作本が売れるだけでなく、『遠野物語』も読んでもらえたら、鬼太郎たちも喜んでくれるでしょう。誰もが知っている絵付小説でもキツネが語っていましたが、大切なものは目に見えません。五感を使いましょう~♪

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