楽農piano協奏曲

一日一生。一日一笑。


木枯らしに堪えきる孤児の上野駅

2021年09月18日 | 出来事
 9月17明け方に放送されたNHKラジオ深夜便「明日へのことば」を聞いた。

昭和45年3月10日夜の東京大空襲で戦争孤児となった

鈴木賀子(よりこ)さん(83歳)が壮絶な体験を語った。

大空襲では10万人が犠牲になった。

(写真はYouTubeから)





母と姉2人(18歳 14歳)と賀子7歳 弟4歳の5人家族は、

父は亡くなり生活は厳しかったが仲良く暮らしていた。

 その生活が大空襲の夜から一変する。

防空壕に逃げたが、家に忘れてきた物を取りに向かった母と長女は戻らなかった。

14歳の次女は高円寺に住み国鉄職員として暮らしており、そこに向かったものの

一緒には暮らせない。賀子と弟は親戚を頼り向かうがすぐに厄介者に。

北海道にもらわれて行くも虐待を受けたため、東京に帰ることを伝えた。

切符を買ってもらったが付いてきてもらえず二人旅。

今で言えば小学2年生と年中保育園児である。

食べ物が無く恵んでもらったり、盗んだりした。

姉の住む高円寺をめざす。姉に上野駅の地下道に連れて行かれてそこで暮らした。

弟は保護施設に入所した。

空腹を抑えるため盗みを重ねた。浮浪児仲間の連携が便りだった。

茨城の家庭にもらわれて、中学校卒業まで世話になった。

この時に戦争が終わったと実感したという。



悲しいことに弟は19歳で亡くなったという。


「BuzzFeed News 

私の戦争は、終わらなかった 戦災孤児が語る終戦後の地獄」を検索されたい。

鈴木賀子さんが語っている。A4版15ページ。




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