火野正平さんが塩屋崎で手紙を読んだのは大震災から1年2か月後のこと。
波が静かに寄せてはかえしていた。
手紙には、乱れ髪の碑が震災の被害を受けてはいないだろうかと書かれていた。
火野正平さんが前に立つとひばりさんの歌声が流れた。


私は2016年5月19日ツアーバスでこの地を訪れた。
昼食をとった食堂に貼られていた数枚の写真に
心が震えたのを覚えている。
津波が押し寄せる有様が映されている。






ツアーでは語り部大谷慶一さんの話しに涙を流した。
大谷さんは塩屋崎北側の薄磯地区に住んでおられ家財など全てを失う。
腕時計を見せながらこれだけが残ったと話してくれたのを覚えている。

ネットで、いわき市語り部活動を検索してみた。
【大谷慶一、加代さん】 後悔と思い出夫婦で
「多くの住民が津波で犠牲になったが、そこから目を背けてはいけない。
生きている私たちが次の世代に事実を伝えていく」。
いわき語り部の会で震災体験や震災の記憶を伝える、
いわき市平薄磯の大谷慶一さんと妻加代さんは薄磯を訪れた
若者に向かってマイクを握り、語り掛ける。
大谷さんの自宅があった薄磯は津波で甚大な被害を受けた。
大谷さんの自宅があった薄磯は津波で甚大な被害を受けた。
大谷さんの自宅も津波で流され、友人らを亡くした。
大谷さんは妻と逃げる際、近所のお年寄りを見つけ、
一緒に高台にある神社を目指したが、
階段を上る途中で握っていた手を離してしまい、
助けることができなかった、つらい経験を持つ。
県内外から訪れる中学生や高校生、大学生の前で、
県内外から訪れる中学生や高校生、大学生の前で、
お年寄りを助けられなかったという後悔と、
津波で消え去った古里の思い出を話すことを2012(平成24)年から続けている。
大谷さんを支えてきた加代さんも語り部として共に活動する。
話を聞き涙ぐむ子どももいる。
大谷さんは「つらい気持ちを人に話すことでだいぶ楽になった」
と語りが自らの心を癒やしてくれたと打ち明ける。
「できる限り語り部を続けていく」。
大谷さんは今日もバスで訪れる子どもたちの前に立つ。
