昔、2007~2008年頃、埼玉にあるジョン・レノン・ミュージアムに、何度か足を運びました。何度行っても素晴らしいミュージアム。オノ・ヨーコが世界で唯一公認して、多くの遺品を展示していた場所です。アメリカやイギリスのファンがそこを訪れたら、きっと驚いたに違いありません。
ジョンが生まれて初めて手にしたギター、彼の通知簿、学校のノート、ビートルズ来日時のコンサート衣装、4人のサイン入りレコード、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのジャケット衣装、愛用のめがね、ヨーコのアート(有名なYESのアートの再現を含む)、イマジンなど多くの曲の草稿・・
本物のゴールドレコード、プラチナレコード、グラミー賞のトロフィー(ダブル・ファンタジー)、ジョンのパスポート、運転免許証、愛用のバイク、グリーンカード、クレジットカード(カタカナの本人直筆署名入り)、ジョン直筆のイラスト、多くのギター・・・全てが本物で、ヨーコ秘蔵の品約130点が展示されていたのです。世界一のミュージアムだったと思います。
僕も多くの品々を約2時間で見て回りました。海外からのファンの姿も多く、ファイナル・ルームには、ジョンが残したメッセージが、壁一面に日本語と英語で書かれていて、感動したのを覚えています。
ラウンジではジョンの音楽を無料でCDを借りて聴くことも出来たし、ギターに触れることも可能でした。そうそう、「オノ・ヨーコの歌声を聴きたいね」と話していたビートルズの初心者ファンであろうカップルがいたので、ダブル・ファンタジーから「キス、キス、キス」を聴かせてあげました(笑)
素晴らしいミュージアムでしたが、2010年2月、入館者数の減少などを理由に同年9月末での閉館が発表されました。閉館の報道後から来館者が増え始め、最期は1日平均100人前後だった来館者が「夏休み以降は平日でも1,000人ぐらい入るようになった」(担当者)という盛況ぶり。国内外からファンが訪れ、9月上旬には来場者60万人を突破しました。そして、閉館を飾る最終日にはオノ・ヨーコが、「ジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださった方々に」とのメッセージを、自身のツイッターで公開しました。
■ジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださった方々に 2010/09/30
ジョン・レノンは世界中をめぐる運命を持っていました。彼の魂は動くことによって継続していたのです。動かないと死んでしまう。ジョンの精神が宿るミュージアムも動かないとミュージアムではなく、お墓になってしまう。ジョンにはお墓はないのです。彼が息を引き取ったとき、私は「ジョンの葬儀は行ないません」と世界に向けて言いました。それは、ジョンの魂が永遠に生き続けることを知っていたからです。
ジョンの魂は、10年を節目にしてここからも離れて行きます──次の旅を見つめながら…。まず、5年と思っていたのが、みなさんのミュージアムへの愛によって10年になったのです。
このジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださったみなさん、深く感謝しています。あなたがたひとりひとりの中にジョンのスピリットが受け継がれ、そのみなさんのスピリットが、世界の平和が実現していくための愛の力になることを信じています。みなさん、ありがとう!
愛をこめて…
オノ・ヨーコ
ジョンの生誕60周年の2000年10月9日、妻オノ・ヨーコさんの全面的な協力を得た公認博物館として「さいたまスーパーアリーナ」内に開館した「ジョン・レノン・ミュージアム」でしたが、2010年の閉館の理由は入館者数の減少というのが本当に残念!
こういう著名人の資料館は全国各地に多くありますが、その多くがコロナ禍に関係なく、それ以前から次々と同じような理由で閉館の憂き目にあい続けています。史料館、博物館が1つでも多く継続し、人々にいろいろなことが語り継がれて行って欲しいと心から願って止みません。