大学に行ったら1番に行く場所、それは「掲示板」でした。
掲示板・・いろいろな場所の掲示板が失われて行きます。「駅の掲示板」は、待ち合わせの伝言に使われていました。そこに書かれている伝言から、いろんなことを想像するのさえ楽しかった。大学の学内掲示板は、大学生活には不可欠なものでした。
もう今から50年前の関西大学の掲示板前の写真です。今ではネットを使って、授業の休講の連絡やいろいろな学内の連絡事項を入手出来ますが、僕の学生時代にはインターネット等無く、掲示板の前に立つことなく休講を知ることもありませんでした。
1回生の時代ならともかく、4回生にもなれば週に1~2回しか登校しないのは普通でした。卒業に必須な単位は、ゼミと1~2科目しか残っていなかったからです。その1日の為にアルバイトも休んで登校すると、この掲示板に休講の連絡が。入学金から授業料まで全て自分で稼いで払った僕は、正直4年間休講のたびに「休むなら金を返せ!」と思ったものです。「前もって言えよ!」とも。
休講になったら2時間近く、次の授業との間に時間が空きますから、クラブに属していた者は部室で時間を潰せます。そうでない人で、懐の温かい人は喫茶店に。何も無ければ僕は部室コースでしたが、たまたまこの掲示板の前で「喫茶店に行かない?」と声を掛けられたら、同じ授業を取っていたクラスメートと喫茶店に行ったものです。そんな時に店内で聴いて気に入った音楽は、レコードを買って今も愛聴盤になっています。音楽を聴けば、あの頃の思い出が頭の中で再生されます。まるで映画のように。
これは「島耕作」シリーズの中の1コマですが、当時は大学にアルバイトの求人が、こんな風に張り出されていました。「アルバイト情報」「アルバイトニュース」などの有料情報誌(今はもうありませんね。)を買うまでもなく、いろんな求人から探すことが出来ました。大学OBの方の会社のアルバイトに当たった時などは、待遇も他の大学の人よりも良くして頂きました。
求人募集は書体も色も書き方も様々で、人のぬくもりというものを感じました。同様に僕らも履歴書には真剣に取り組みました。字が綺麗だとそれだけで得をしました。履歴書に添付する顔写真も、きちんとカメラ屋さんで撮ってもらっていました。インスタントの証明写真では・・。
掲示板と言えば雑誌の「読者のコーナー」などには、「文通募集」や「交換しましょう」「売ります・買います」等の投稿があり、そこには本名、住所などが明記されていました。個人情報にうるさい現代からは考えられないことですが、当時はルールというか常識のある人ばかりで、それが問題にはならなかった。良い時代だったと今更ながらに思います。
インターネットや携帯電話が登場し、世の中が飛躍的に便利になりましたが、それを使うのは人間です。人が正直であれば、普通に何も事件は起こりません。人の心の在り方が、あの当時とは随分変わり、その為にいろんな事件事故が発生し、世の中が住みにくくなっていると感じてなりません。