青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

梅田地下・ふるさと名産店の終焉

2010-06-21 | 昭和・懐かしい大阪の風景

先日、仕事で大阪に行った時のこと。地下街があちこち工事中。阪急百貨店前の大通りなどは工事で道幅が半分以下になっているものだから、狭くて仕方がありませんでした。地下街の人口密度が高くなっていました。

以前にはなかった、美味しそうなパン屋さんが出来ていたりもしましたが。それにしても梅田地下街も変わったものです。

第1から第4ビルの中や、丸ビルの中、三番街そのものは同じでも、その途中の地下街が一変したな~と、強く感じたものです。その時ふと思いました。仙台の銘菓「萩の月」が食べたいと。阪神百貨店から地下鉄西梅田駅までの間の地下通りには、全国各地のお土産が手に入るように県の数だけのお店がありました。「ふるさと名産店」です。僕が物心ついた時には既にありましたから、少なくとも40年前からは、あったことになります。

お店の奥行は何と「50センチ」しかありません。ここで出張のアリバイを作るサラリーマンがいるということを聞いていましたが、私は昔ここで、「ひよこ」など各地のお菓子を買ったものです。「賞味期限は大丈夫か?」という気持ちもありましたが、美味しくいただいたものでした。秋葉原にも、これくらい狭いパーツ屋さんなんかが残っていると聞きますが、大阪には全国の都道府県の数、こういうお店がズラリと並んでいたのです。

しかし、「萩の月」を求めて歩いて行くと、何とこの名店街のお店の数が激減していたのです。シャッターが下りていて、知らない人には単なる地下通りの壁としか思えないと思います。しかし、実はお店のシャッターが下りているのです。

こういう大阪名物が無くなって行くのを見るにつれ、時代が変わって行く・・そう思わざるを得ません。皆さんは知っていますか?大阪でジャンボ宝くじの1等当たりが1番出る売り場を。第4ビル前の売り場ということになっていますが、実はここは移動してきた場所で、昔は阪神百貨店と地下鉄御堂筋線改札口前の、地下の夕刊新聞などを売っていたお店が並んでいた場所でした。汚いから改装という理由で、売店も全部強制立退きになり、現在の場所に移動になったのです。

壁には夕刊紙のサンプルが貼られ、「こ●き」(何でこれが使用禁止文字なのか?)も結構座っていました。80年代のバブル期には、「こ●きは3日やったら辞められない」というのは本当か?と、僕が実際にやってみたら、当時現場仕事のアルバイトで1日5,000円のバイト代が相場だったのが、1日座ったら確か12,000円になり、毎日座ろうかと思ったことを、今記事を書きながら思い出しました。この時、喉が渇いたので、売店に缶コーヒーを買いに行ったら、「こ●きは向こうにお行き!若いのに働きもせず!」と言われて、缶コーヒーを投げつけられたのを覚えています。

しかし、こちら梅田の「ぶらり横丁」は健在でした!ここは以前より道が整備されて、行きやすくなったような気がしますね。



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