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しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <分裂の原因>

2025-03-31 | Ⅰ列王記
「王は民の願いを聞き入れなかった。かつて主がシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムにお告げになった約束を実現しようと、主がそう仕向けられたからである。」(Ⅰ列王記12:15新改訳)

ここにはソロモンの死後、なぜイスラエルが南北に分裂したか、その経緯(けいい)が記されている。レハブアムとヤロブアムはそれぞれ大きな罪を犯した。すなわち前者は神の前に身を低くしなかった高慢、後者はゆだねられた北王国を偶像礼拝に導いた罪であり、この二つがやがて両王国(北イスラエル王国と南ユダ王国)滅亡の原因となった。▼ヤロブアムはへりくだって民を導くよう、長老たちに忠告されたのにそれを退け、高慢かつ威圧的(いあつてき)に出たので支持を失い、十部族はソロモン王朝から離脱(りだつ)したのである。▼考えてみれば、謙遜ほど大切な徳はない。神と人の前に自分を低くすることはすべてが祝福される道なのだ。謙遜は聖書全ページの真理を開く黄金の鍵といえる。霊界のあらゆる秘密はこの鍵で解かれるといっても過言ではない。なぜならイエス・キリストのご本性は真の謙遜にあり、全宇宙に輝いている栄光だからだ。▼「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくしてしもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。」(ピリピ2:6~9同)


聖日の朝に <罪を負うこと>

2025-03-30 | みことば静想
「この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。」(Ⅰヨハネ2:2新改訳)

バプテスマのヨハネはイエスが歩いておられるのを見て、二人の弟子に「見よ、神の子羊」と言った(ヨハネ1:36同)。▼それを聞いた二人はイエスについて行き、ついにその弟子となった。そのうちの一人はペテロの兄弟アンデレだったと記されている。もうひとりは、たぶん12弟子のひとり、ヨハネであろう。▼バプテスマのヨハネが言うように、イエス・キリストは「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29同)である。私たちはどんなに隣人を愛し、そのためにすべてをつくしたとしても、絶対にできないことがある。それは「罪を負う」ということである。じつに人は、ほかのあらゆることができたとしても、他人の罪をわが身に負うことだけはできない。▼いま地球上の八〇億人がおり、その人々があなたを愛し、ありとあらゆることを残らず、あなたに代わってしてくれたとしても、「あなたの罪を負う」というたったひとつのことだけは、できない。それができる方はただひとり、「世の罪を負うことができる神の子羊キリスト」だけだ。だから私やあなたにとり、キリストの御存在こそは、限りなく尊い価値を持っている。このお方の前にひざまずいて礼拝の姿勢を取ろうではないか。私たちは、この唯一無二の子羊を礼拝するために、日曜日の朝、教会に集うのだから。

             小羊をば
①小羊をば ほめたたうる たえなるものの音 あめに聞こゆ
 いざみ民よ 恵みの主に 栄えの冠を ささげまつれ
②みつかいらも うち伏すまで わが主の み傷は照り輝く
 いざみ民よ 救いの主に 栄えの冠を ささげまつれ
③たたかい止み 矢叫び絶え 祈りと歌との声はひびく
 いざみ民よ 平和の主に 栄えの冠を ささげまつれ
④空のきわみ 地の果てまで みいつの光は照り渡りぬ
 父とともに しらす君に 栄えの冠を ささげまつれ
                                                  <新聖歌4 詞:Mathew Bridges,1800-1894>

朝の露 <燃えさかる試練>

2025-03-29 | 1ペテロ書
「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。」(Ⅰペテロ4:12新改訳)

ヘロデ・アグリッパ王はエルサレムにできた教会に迫害の手を伸ばし、使徒ヤコブを剣で殺した(使徒12章)。これはユダヤ人以外の支配者から加えられた最初の攻撃であった。▼それに続き、ペテロが捕らえられ、死刑の決定がなされたが、エルサレム教会を抹殺(まっさつ)しようとする本格的な攻撃の火ぶたがきられたわけで、信徒たちの緊張(きんちょう)と覚悟(かくご)は最高潮(さいこうちょう)に達したと思われる。ここでペテロが「燃えさかる試練」と記しているのは、その事件を指したのではないだろうか。たぶん彼は自分の死を予想しており、平安のうちに獄中で過ごしていた(使徒12:6,7)。▼明日、刑が執行されるというのに熟睡していた彼の様子に、天的平安のすばらしさを見る。
私たちにも思わぬとき、思わぬ方法で試練がおそいかかることがあるかもしれない。しかしあわてふためいてはいけない。主の助けはまちがいなく与えられるのだから。

朝の露 <最後に言います>

2025-03-28 | 1ペテロ書
「最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙遜でありなさい。」(Ⅰぺテロ3:8新改訳)

一つ思い、同情、兄弟愛、柔和、謙遜、これらはすべて御霊がキリスト者に結ばせる実である。ペテロはただ並べているのではなく、あのペンテコステのとき実際にその成就を見たのであった。「信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日、心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。」(使徒2:44~47同)▼実にペテロはその中心的指導者として、御霊に満たされた最初の教会の美しい姿を日々目撃し、体験していた。その彼が上記の勧めを記したと思うと、感慨深い。したがって、現代の教会が世に対して、福音の強い説得力を持つのは、私たちの集まりが、実際に聖霊によるこれらの徳性を持ち、それに生きることに尽きよう。それなしには、世の人々が教会に来て交わりに加わっても、神の愛を絵に書いた餅として見るだけにとどまるのはたしかだ。

朝の露 <ソロモン王の最後>

2025-03-27 | Ⅰ列王記
「ソロモンがエルサレムで全イスラエルの王であった期間は、四十年であった。ソロモンは先祖とともに眠りにつき、父ダビデの町に葬られた。彼の子レハブアムが代わって王となった。」(Ⅰ列王記11:42、43新改訳)

繁栄をきわめたソロモン王朝は、この章から暗転する。原因は彼が偶像崇拝者である異国人の女性を愛し、妻としたことにあった。しかもその数は千人にのぼった。▼晩年になるとソロモンの体力、気力とも衰(おとろ)えたのであろう、大ぜいの妻たちの願いを聞き入れ、彼女たちの宗教を許容(きょよう)し、エルサレムの周囲に異教施設を建てたのであった。こうなると転落は早い。もともと人の心にある罪性は偶像礼拝を好み、隙(すき)があればそちらに傾(かたむ)こうとしているから、王朝はたちまち自由宗教体制に移行していった。神がお怒りになったのは当然である。▼私たちキリスト者も、信仰的な緊張をもって数十年にわたる生涯をつらぬくのは簡単ではない。晩年になると気がゆるみ、この世と妥協(だきょう)する生き方になりがちだ。だから教会とみことば生活を決して絶やしてはならないのである。