「ですから、私たちは確信をもって言います。『主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。』」(ヘブル13:6新改訳)
金銭は人がいちばん頼りにするもの、安心の土台である。が、ヘブル書は金銭ではなく、キリストが共にいてくださる事実こそ、信仰者の確信と安心の土台だと強調してやまない。▼悪魔は主イエスを荒野で誘惑したとき、全世界の富を見せ、私を礼拝するならすべてをあなたに上げようと言った。彼は人間が富(金銭)に対して最も弱いことを知りぬいている。しかし主は「あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい」(マタイ4:10同)と、これを断固(だんこ)拒否された。また、パウロも「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです」(Ⅰテモテ6:10同)と述べたように、この世は富みへの欲望とあこがれのために、みなサタンの奴隷となり、滅びへの坂道をころげ落ちている、というのが真相である。▼キリスト者は神の約束にしっかり立ち、悪魔に向かって「主は私の助け手だ。富をちらつかせ、迫って来るお前の誘惑など少しも恐れない」と宣言すべきである。事実そのとおりなのだから。
神はわがやぐら <新聖歌280 マルチン・ルター>
①神はわがやぐら わが強き盾 苦しめる時の 近き助けぞ
おのが力 おのが知恵を 頼みとせる 陰府の長も など恐るべき
②いかに強くとも いかでか頼まん やがては朽つべき 人の力を
我と共に戦いたもう イエス君こそ 万軍の主なる 天つ大神(おおかみ)
③悪魔世に満ちて よし脅すとも 神のまことこそ わが内にあれ
よみの長よ 吠え猛りて迫り来とも 主の裁きは 汝が上にあり
④暗きの力の よし防ぐとも 主のみことばこそ 進みに進め
わがいのちも わが宝も 取らば取りね 神の国は、なお我にあり