「ベン・ハダドは彼に言った。『私の父が、あなたの父上から奪(うば)い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。』『では、契約(けいやく)を結んで、あなたを帰そう。』こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。」(Ⅰ列王記20:34新改訳)
アハブは一見やさしそうに見えるが、ベン・ハダドに対する取扱いは肉(神に対する不従順)そのものであった。というのは、神がご自身の御名(みな)のゆえに、アハブに奇蹟的(きせきてき)勝利をもたらせたのだから、どこまでも従い、アラム王を聖絶(せいぜつ)すべきだったのに、それをしないでゆるしてしまったからである。▼神に従うことは、人間的な情実(じょうじつ)を廃し、毅然(きぜん)とした態度で正義を実行することである。ここでアラム王をゆるせば、結局はイスラエルの将来をむざむざ敵に売り渡すことになるのに、アハブは妥協(だきょう)して融和策(ゆうわさく)に走ったのであった。偶像礼拝を許容(きょよう)し続けた彼は、主にどこまでも従うことはできず、神を怒らせるのみであった。▼エリヤ、エリシャといういのちがけの預言者を起こされた神の憐れみに、まったく盲目だった偶像礼拝者アハブ。その最後が刻一刻と近づいていた。