「ところがあなたは、これまでのだれよりも悪いことをした。行って自分のためにほかの神々や鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、わたしをあなたのうしろに捨て去った。」(Ⅰ列王記14:9新改訳)
神はダビデ王国から十部族を引き抜いてヤロブアムにお与えになった(8)。しかしそのことに感謝せず、これまでの誰よりも悪いこと、つまり偶像教を創設し、国を罪悪に導き、亡国の基礎を作ったヤロブアムに、神はきびしい審判を宣言されたのである。▼もし彼が預言者アヒヤに聞き、その教えどおりに神を恐れつつ歩んだなら、おどろくべき祝福が彼の家と北イスラエルにのぞんだにちがいない。だがヤロブアムは信仰的に盲目だった。息子アビヤが重病になったとき、恩師アヒヤに伺いを立てようと思ったのは良かったが、その贈り物がわずかな駄菓子(だがし)とは(3)、なんという預言者を軽んじた扱いか。その行為は、彼の神に対する不敬虔のはなはだしさを示している。▼彼を王に任命した信仰の師・アヒヤを眼中に置かなかったヤロブアムの不敬虔と高慢、それが命取りになった。主を心からおそれることがすべて、と述懐(じゅっかい)したソロモンを思い出すではないか。▼御聖霊はエペソ教会へのメッセージを通して、今も私たちに語っておられる。それはヤロブアムの道を歩むな、ということである。「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。」(黙示録2:4,5同)