Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

グレン・グールド

2011年11月01日 | 映画
 ドキュメンタリー映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」が公開されている。グールドの生涯を数多くの映像と関係者の証言でたどった作品。2009年のカナダ映画だ。

 グールドというと、コアなファンがいるし、たとえそれほどではないにしても、自分なりの思い入れをもっている人は多い。グールドとはそういう演奏家――聴く人になにか一対一の関係を感じさせる演奏家――だった。

 グールドが最初に入れたLP、あのバッハの「ゴルトベルク変奏曲」は、学生だったわたしの愛聴盤の一つだった。繰り返し、繰り返しこのレコードを聴いた。あれは衝撃的なバッハ演奏だった。それだけではなく、青春の鬱屈した想いをぶつける対象でもあった。これはわたしだけの事情ではなかった。友人のS君はダブダブのコートを着て、長いマフラーを巻き、ハンチング帽をかぶって学校に来た。わたしはS君の専攻のフランスの詩人ランボーの真似かと思った。でも、そうではなかった。あれはグールドだった。

 グールドはわたしの友人の間では神話的な存在だった。

 その後、就職した。グールドからは次第に遠のいた。そして何年たっただろうか、「ゴルトベルク変奏曲」の再録音が出た。大々的に宣伝されたそのLPをわたしも買った。さっそく聴いて、すぐに封印した。わたしの知っているグールドとはちがっていた。相前後して、グールドの訃報が届いた。なぜかそれには驚かなかった。ほぼ同時に、グールドがオーケストラを指揮してワーグナーの「ジークフリート牧歌」を録音したことを知った。これには驚いた。狼狽した、といったほうがよい。できることなら、そんな事実は抹消したかった。

 これがわたしの内なるグールドだ。

 グールドは1982年に亡くなった。50歳だった。グールドはその生涯を、若いころは明るく楽しく、しかしいつのころからか、苦しみに満ちて過ごした。この放物線は、ある意味ではわたしたちのだれにでも共通するものだ。ただグールドにはピアノの天分があった。ピアノ演奏によって放物線の軌跡を残した。

 本作にはグールドが関係した3人の女性が登場する。それぞれが語るグールドの思い出は、コマーシャリズムによってプロデュースされた虚像ではなく、ひどく生々しい実像を見せてくれる。没後30年近くたつ今、わたしたちのグールド理解は一歩深まった。
(2011.10.31.渋谷UPLINK)

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